事実は小説よりも奇なり、は本当か
「事実は小説より奇なり」 ということわざがある。
出所は、イギリスの某詩人の作品の中に使われた言葉。意味としては——
●現実の世界で起こることは、人が考えて作る小説より不思議で複雑だったりする。
今回の話題は、この言葉は本当だろうか? ということである。
もちろん、筆者がこれから述べることはひとつの世界の見方に過ぎない。あくまで本書の愛読者の間でのみ通用する「部則」のようなものだと思って、この先を読んでいただければよい。
結論からのっけに言ってしまうと——
●事実と作り話との間に差はない。
どちらも同価値である。
この世に作り話はひとつも存在しない。
逆に、作り話にならない現実もない。
事実は小説よりも奇なり、というのは錯覚である。
人が何かの物語を思いつく理由は、その物語はすでに存在しているからだ。
べつに、それがまだ存在していなくてもよいのだ。未来でもよいのだ。
とにかく、世の最初から終わりまでの間に存在できるものであるならすべて、それは人の魂の情報バンクに入れておかれる。現世にいる間、人はそれを所持はしていてもネタバレ厳禁で人生を楽しむために『アクセス禁止』のプロテクトがかかっている。これを、スピリチュアル用語で『アカシック・レコード』と言ったりする。
そこに「時制」というものは存在しない。ちなみに人は、現実にあった話しか思いつけない。
幻想視点では我々個々はは分離しているが、正体はひとつであることを考えたら、誰かが体験したことは時間軸と次元軸を越えて、他の誰かの心に浮かび得る。
そこまで話すと必ず突っ込まれるだろうと思うのは、「荒唐無稽」なお話に関する扱いである。
例えば、ピーターパンのように空を「飛ぶ」夢を見た方もいるだろう。
ガッチャマンの替え歌ではないが、「地球はひとつ、割れたらふたつ」という、恐ろしくも滑稽な想像すら可能になっている。じゃあ、そういうことすら現実にあったから頭で考えることができるというのか? そんなの信じられない——。
残念ながら、我々地球人類はこの宇宙次元という「井の中の蛙」である。
我々がいる空間とは異なる無数の異次元世界、並行世界が存在する。
その世界の中には、我々の住んでいる世界とは物理その他の制限的法則が根本から異なる世界だってある。ウチの世界で飛行機もなしに空を飛べるのはあり得ない、というのは常識かもしれないし、重力の法則は絶対かもしれないが、よそもそうだというのは幼稚な理屈ではないのか?
山田君の朝ごはんに毎日目玉焼きが出される。山田君は親しい佐藤君のご家庭に招待され、一晩泊まった。で、朝ごはんには目玉焼きが出なかった。そこで「どうして? 朝ごはんに目玉焼きは出るものなんだよ?」と不思議がるようなものだ。
我々は了見が狭いので、自分たちの星の法則(と思われるもの)や常識を、よその星や別次元にまで拡大して当てはめる愚かな癖がある。「日本の常識は世界の常識」みたいな。
●素で空を飛べる世界が実際にどこかにあるからこそ、我々はピーターパンを思いつけた。
ゴジラ(怪獣)が街で暴れまわる話が作れるのも、遠い外宇宙か別次元でそういう現実があったのである。
この宇宙(我々が属する狭義の意味ではなく、無数に存在するすべての世界を包含した広義の意味で の目的は、すべての可能性を体験することである。
だとしたら、そんなのはあったらおかしい、とかあり得ない、という意見はおかしくないか?
このゲームを仕掛けた、
どんなにバカバカしい可能性でも、ターミネーターのように粛々と回収するのが全体宇宙意識である。我々の世界で回収できない体験なら、別次元を使ってでも回収する。だからスターウォーズのような世界だってあるし、進撃の巨人のような世界も本当にあるのだ。
事実も作り話も同等なのに、作り話は損をしている。
なぜかというと——
●事実とは、そこにものすごい情報量が込められている。
生の人間。そのリアルな現場。ダイナミックな人々の心の動きがそこにはある。
しかし作り話は、一個人が書く文字数にして数千字~数万字程度の情報量で終わってしまう。子ども向けに語る昔話とかなら、数百字で済んでしまうことも。
情報量が圧倒的に違うので、作り話よりも現実のほうが複雑で不思議に見えるだけである。
物語は、情報量で損をしているのである。
物語は2メガバイトくらいとすれば、現実はギガバイト、いやテラバイトの情報量。そりゃ、事実のほうが重く見えるの、あたりまえでんがな。
あえてことわざにするほどのこっちゃない。
けれど、皆「作り話はウソ」という前提でモノを考えている。どちらも本当にある「現実」なのだとすれば、ただ「情報量の差」だけの違いになる。
現実と作り話(物語)の違いは、その程度のことでしかない。
スターウォーズもサイエンス・フィクション(SF)ではないのである。
どっかで、相似形の話が実際あったはずである。(登場人物名とか個性は、話を作る者の主観や希望といったバイアスがかかるので、実際の事件そのものよりは歪んで出力される)
あなたは、あこがれの芸能人とデートした夢を見たことがあるかもしれない。
それはただの夢ではない。どこかにそういう宇宙がある。
(残念ながら今ここの体験では、それはおあずけだが!)
あなたもまた、この次元に一人ではなく無数にいる。無数にいるけど、あなたの正体はひとつ。
だから、全然別の「あなた653号」の体験 (ある宇宙であこがれの芸能人と親しい)が、全然そういうことのないあなたの夢に出てくる。体験をフィードバックしておくメインバンクは、1号だろうが56891242号であろうが、同じ場所を使っているから。
自我という縛りが解けた夢の中では、一見荒唐無稽に見える異次元の現実が引き出されやすい。まったくファンタジーな夢のこともあれば、現実舞台はほぼ違いはなく、ただ人間関係や置かれた立場が微妙に違うだけの、「現実に近い夢」もある。どちらもどこかの別次元、異世界の現実である。
ただ、夢の面倒なところは、思考から自由なので、物語を筋道だって時系列に配列してくれない。だから、前後の脈略がなく、全体として見た夢は支離滅裂になる。
事実は小説よりも奇なり、ということはない。どちらもあったことだから。
ただ、小説は文字情報しかなく、事実は具体的でそこにはものすごい情報量がある。その情報量の分だけ、物語よりも説得力があるというだけのことである。
もう一度言うが、あなたがどんなにバカなことを考えても、その事実はどこかにあるのだ。あなたが有名女優と結婚する話を考えたら、それもどこかではあるということだ。なんともうらやましい話であるし、そっちへ行きたくもなる。
でも、それはできない相談である。私たちは、置かれて在る今を体験するためにここにいる。置かれた場所で、配られたカードで勝つ(幸せになる)ためにいる。
だから、どんなにうらやましく見えてもよそのことは放っておいて、今目の前を生きるのである。
今回のような話は、ヒマつぶし・コーヒーブレイク的に考えてもらえるといい。
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