ひとしずくのエッセンス

 ひと昔前、 「こうのとりのゆりかご」(その昔赤ちゃんポストという名称で世間に登場し、色々と物議を醸した後名を改めた)をめぐるある事件が起きた。

 本来生きた赤ちゃんが入れられるはずのこうのとりのゆりかご、に赤ちゃんの遺体が入れられたという事件である。



 入れた人物は、すぐに判明した。

 この遺体の赤ちゃんの母親は、妊娠に関する知識も乏しいのに誰にも相談せず (いや、できなかったと言ったほうがよいか)、産婦人科に一度も通院せず、お風呂場だかで一人で産んだ。で、死産したその子の体を、こうのとりのゆりかごに入れた、と。事実関係としては、そういうことである。

 そういうことだけ聞けば、悲劇的側面しか見えない事件である。

 この母親は、経歴を聞いてみれば昔からいじめを受けており、友達もほとんどいないタイプだったという。結婚して、旦那が仕事を失ったタイミングで妊娠が発覚するが、旦那は失踪。

「せめて両親や我々に相談できなかったものだろうか、と悔やまれる」とは、遺体を入れられたこうのとりのゆりかごがある病院関係者のやるせないコメント。子を持つ親として、本当に身につまされる話である。

 この話だけだと、「可哀想だけどとんでもない母親」という印象だけが残る。

 だって……遺体をボン、ってこうのとりのゆりかごに置いて逃げる、なんて「死んじゃったからあとは何とかして!」 みたいな図々しさすら感じるではないか。我が子なら、せめて最後まで責任持ってほしい、と思うのが人情である。



 この母親は、裁判の席に立たされた。

 こういう質問が、弁護士から投げかけられた。

「なぜ、赤ちゃんの遺体をこうのとりのゆりかごに入れたのですか? 山や海に捨ててしまおう、とは考えなかったのですか」

 で、母親の返答はこうである。



●いいえ、とんでもない。

 大事な我が子だからこそ、そうしたんです。

 こちらなら、この子をちゃんとしてやってくれる、と思ったんです。

 決して、ただ捨てられるわけがありません。



 もちろん、どんな理由があれこの母親のしたことは手放しで認められる話ではない。ただ、問題ではありながらもその中に「一滴ひとしずくの愛のエッセンス」 を、私は感じ取れた。

 もし、この報道を裁判の様子を伝えた続報まで聞かず「死産した赤ちゃんの死体をこうのとりのゆりかごにブチこんだ母親がいる」という情報だけ知って終わっていたら、筆者は「この母親はひどい」以上の感想を持てなかっただろう。やはり、なんでも情報というものは最後まで追っておくものだ。

 このエピソードを聞いたから、この悲劇的話の中にもほんのひとしずくの「愛のかけら」を感じることができた。それはこの母親がこの先も生き続ける限り、未来につなぐ「希望」にもなり得る。



 筆者は本書で「この宇宙のすべてのことに意味はない」と言ってきた。

 でもそれは、究極視点(上位概念)としての話である。この幻想世界視座では「すべてのことに意味がある」となる。その視点の使い分けができないと、悟りの話やくうの話なぞチンプンカンプンになる。

 この世界には、一見不可解な事件や現象があふれている。ミクロ的には、ご近所さんや友人、同僚の言動にも理解の及ばないようなものもあるかもしれない。なんでそんな事するの? どんな気持ちでやってるの? わけわかんない!

 でも、人間がするすべての行動には意味がある。そうする必然の動機がある。他人から見てどんなに奇異な行動に見えても、である。



●私たちがこの変化し続ける不安定な世界で幸せになるには、『名探偵』になるしかない。

 現象だけに囚われたら見ることのできない、その事件に込められた「ひとしずくの真実のエッセンス」に出会えるかどうかである。

 起こった現実は覆らずとも、その解釈の変化によって「救い」が多少なりとも生じるのだから!



 この母親は、裁判の尋問の最後に「最後に、赤ちゃんになにか言っておきたいことがありますか」と聞かれこう答えている。



●ちゃんと産んであげられなくてごめんなさい、と言いたいです。

 お墓ができたら、墓参りに行ってあげたいです。

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