勇気ある戦い

 あるお店で、欲しい商品があったので買おうとした。

 でも、店員の対応にカチンときたので、買わずに帰った。

 本当なら、すぐにでも欲しいものだった。そこ以外で買うなら、かなりの面倒がかかる。しかしその面倒に代えてでも、その時は「こんなところで買ってやるものか」と思ったのだ。



 ある人がとても素敵なものをショッピングで見つけ、弾む気分でレジに並んだ。

 レジ前の客の並び方が雑で、横入りされた。

 忙しいのだろう、店員はそれには気付かず「次のお客様どうぞ」と何の注意もなく対応。何だか得も言われぬ気分になり、機嫌を害したその人はレジ待ちの列を離れ、せっかく見つけたその商品をもとの棚に戻し、プンプン怒って帰っていった。



 今、たとえ話として二つのシチュエーションを挙げた。

 このふたつのケースに共通するのは?



●本当はそれが欲しいのに。

 本当は大事なものなのに。

 ささいな引っかかりのゆえに、素直な選択ができない。

 その大事なものを得ることさえ、放棄できてしまう心理状態。



 昔からある言葉で、「背に腹は代えられぬ」というのがある。

 でも、人は時として「背に腹を代える」ことがある。いや、世の中をよくよく観察するとそちらのケースも馬鹿にできないくらいによく起きる。

 そんなことが起こるのはなぜか?



●人は、感情の生き物だから。



 感情を害される、ということはトランプのジョーカーの強さみたいなもので、一番強い求心力をもつエネルギーだ。愛や優しさが正のベクトルにおいて強いエネルギーだとするならば、こちらはそれと対照的に負のベクトルにおける強いエネルギーと言えるだろう。

 それは人に金銭的・物質的利害を越えさせるほどの力がある。その感情を守る(時としてプライドとも言える)ためには、他の犠牲は何ほどのものでもない、と錯覚させるほどの力をもつ。言い換えると、正常な判断力や冷静さ、客観性というものを失わせる力があるということ。

 ただしその効果はあくまでも一時的なので、時間が経過し落ち着いてみたら、自分が一時の感情のこじれによって大きなものを犠牲にした事実に気付き「しまった!」なんて悔やんだりするのである。



 ドラえもんの道具に「ビッグライト」がある。(スモールライトとついの関係にある)

 先ほどの例で言うと、「店員の対応が気に入らなかった」「レジの順番を抜かされた」とかいうことは、落ち着いた頭で考えたら実にささいなこと。何かを犠牲にする価値などないようなこと。

 でも、感情を何よりも大事にする人間は、その瞬間の沸騰した頭の中では、そのささいでしょうもないことが『ビッグライトを当てられ、巨大化したみたいに』見えてしまうのである。大事なものを懸けるだけの価値があると錯覚させられてしまう。

 でも、あとでそのライトの効果が消える時が来る。その時になって「やっぱり買っておけばよかった」となるのである。



 筆者個人も、過去にそういう経験がある。

 とある窓口で、取り寄せた商品を受け取ろうとした。

 その時、「手数料がかかります」と言われた。

「はぁ? 聞いてねぇぞ!」と思った。

 自分なりに、買う時からすべての説明を漏らさず聞いたぞ、という自信があった。だから、聞いてないと思われることを最後に言われて、カチンときた。

 どのみちその手数料は払うことになるのだし、同じ払うならその窓口で払えば今すぐ商品を手にすることができるのに……その場で、その窓口でなんか受け取ってやるものか! という思いが肥大した。背に腹を代える気になった私は、何とその商品を今は受け取らないから、宅配便か郵送にして自宅まで送れ、と言い放った。

 そうしたら余分にお金がかかってしまうが、その窓口で受け取るなんて業腹だ、と思ってしまった。何かそこですんなり受け取るのは負け、みたいな錯覚に陥った。

 とにかく、自分の中のモヤモヤした何か、価値すら判定できないそんなモヤモヤしたものをその瞬間は何よりも優先して守るべきもの、と思ってしまったのだ。

 結局、手数料さえ払えばそれ以上払わなくていいはずの数百円の郵送料と、それが配達されてくるまでの時間は我慢して待っていないといけない、という代償を払ったのであった。



 そういう経験をする時って、落ち着けさえすれば自分のハマっている罠が分かる。

 でも時として、「頭では分かっていても」体が動かない時がある。

 感情のエネルギーが強力すぎて、冷静な合理的思考(つまらないことで意地を張らず、それを買えばいいじゃないか。その商品に罪はないんだし、欲しいものの価値は変わらないんだし、ちょっと我慢して買ってしまいなよ。そうして手に入れたら、嫌なことも忘れるさ)ができない。

 問題も乗り越え方も、理屈では単純である。その時一番大事なものは何か? 何を優先することで、長期的な利益が逃げないか? その重要ポイントら目を離さないことである。でも、言うはやすし行うはかたし。これが結構しんどい。



 でも、その戦いに挑み、肥大した幻想を打ち破ってほしい。

 筆者は、その戦いのことをあえて——



●勇気ある戦い



 そう呼びたい。

 難易度は少々高めだが、クリアした時に得るものは大きい。

 もちろん、この世界はあらゆる可能性のある豊かな世界である。だから、ちょっとしたことで「気に入らない」感情が出てきた時に、それは今日のたとえのような「明らかな誤り」ではなく「ムシの知らせ」、つまりは本当によしたほうがいいというサインである可能性もないとは言えない。もしかしたらそれを避けろ、と教えてくれているのかもしれない。

 そのへんのことは一般論として普遍的法則性を探ることにさほど意味はないので、その時々で一期一会の問題として、真摯に向き合ってほしい。それこそが「生きている」という手ごたえと実感をさらに際立たせてくれるだろう。


  

 もちろん、勝たなくちゃいけない、なんてことはない。

 負けてもいいのだ。何も悪くない。

 かえってそれは、「人間らしい」。

 そういうドラマも、面倒だけど愛おしいもの。

 もし負けてしまったら、その経験があなたには必要だった、と思うこと。

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