スピードに幻惑されない力

 スマホの話だが、筆者は少し前まで「お前まだそれ使ってんのか!」と言われるような iphone6 を使っていた。6Sですらなく、ただの6。

 さすがにくたびれてきたので、やっとiphone11にした。それは、iphone11が新しく出てからまだ二か月たったかたたないかくらいのタイミングだったと記憶している。



 それから数日後、いつもの習慣ネットニュースを読んでいると——

 記事の中に「iphone12」という字の躍ったニュースのタイトルがあった。

 ウソ! マジ? 11が出てまだ日も浅いのに、もう12の話題かよ!

 冷静に記事を見たら、それはAppleの公式でもなんでもなく、非公式の、どこぞのネット記者が「次のiphone12はこうなる!」 という大胆予想を勝手に書いただけのニュースだった。次はこんなんだったらよいな! 程度の。

 でも、たとえ非公式とはいえ、もうそういう情報が飛び交う今の世界の在り方にうすら寒さを覚えた。今回は、私たちが新しく作るために壊すことを考えないで「ここで幸せになろう」としている受け皿としてのこの世界が、いかに脆弱かを考えてみようと思う。



 この世界の特徴を一言で言うと——



●情報が超高速で飛び交う世界。

 ひとつつかまえたと思ったら次の瞬間にもうそれは色あせ、新たな情報が突きつけられるので、あなたは落ち着く暇もなく古いものを忘れ、新しいものをつかもうとする。

 でも、あなたが遅いので、つかんでもらおうとする情報が列を成して順番待ちしている。あなたの思考は落ち着くことができず、ほぼ停止状態になる。



 iphoneX かと思えば11になり、もう12の話題が出る気の早さ、変化の速さ。

 センセーショナルな事件が起こったかと思うと、もう次のよりインパクトのある事件が起こり、数年後には関係者以外には忘れ去られるようなことも起こる。

 仮面ライダーや戦隊モノ、プリキュアも一年周期でコロコロ変わる。どんなに単発で人気が出ても、延長して長くする気は最初からなし。販売戦略なのだろうが、親の財布泣かせである。

 レーシングを観戦していて、その速さに追いつくために首を右から左に振って見ているようなものである。もう、振り回されまくり。

 まるで、一時でも止まってしまうとそのアラやボロが目立ってしまうので、皆の眼をごまかすために、わざと「超高速」で回転することによって成り立たせている時代、という感じがする。



 そういう世界を支えるために、その最前線に立つ人は過労死してもおかしくない頑張りをし、時に精神科にかかりながらもこの超高速世界を何とか成り立たせている。

 例えばTV番組とか、あれだけ継ぎ目なく番組を絶対に埋める必要があるのか?

 将来高齢化がさらに進んだ時、ベビーブーム世代が盛り上げ作ってしまったこの世界を、本当に維持できるのか。計画的に縮小しないと、多くのものがムダとなる。

 人によっては、技術革新(科学の発展)でカバーする、つまり機械でできることを増やして人のいないのをまかなう、という考えもあるかもしれないが、じゃあ雇用の問題はどうする? この先、定年になっても生活が大変なのでもっと働きたい、というニーズもあるだろう。機械に奪われた雇用を、どう補填する?



 たとえば、あなたの目の前を車が走っている。

 時速60~100km 程度なら、肉眼で捉えることができる。しかしこれを速くしていったら? 時速1000km とかさらに5000km とかにしちゃったら?

 人間の肉眼には、捉える限界がある。速すぎる速度のものは、目に見えなくなる。現代に生きる我々は、ちょうどそのようなものである。

 あまりにも目まぐるしく変化する世の中に、個々の認識力が追い付かない。だから、時代の現状と人々の立ち振る舞いとの間に乖離が生じることがある。

 混沌(カオス)がそこここで起こるが、自分の周囲しか認識できない個人は、そのカオスが自分の身に具体的脅威となって降りかかるまでは、のほほんとしている。



 筆者のお役目は革命家ではないので、時代を変えよう、皆で立ち上がろう、とやる気はない。皆さんにとっても、そんな話現実的ではないだろう。仮に起こるにしても、まだ時ではない。

 だったら、この時点で私たちが打てる一手は何か?



●超高速の時代の流れに、無理に眼球をついていかせようとするのを手放す。放棄する。動くものに目の焦点を持っていかれないで、定めた一点を落ち着いてじっと見る感じ。



 かなり抽象的な話になって申し訳ないが、要はどっしりした「在り方」である。

 時代は、激しく移ろい行く。変化の波は、容赦なくすべてを飲み込む。

 それはもう、宿命だ。この世界に生きる限り、逃れられない。

 でもあなたがあなたであること、「在る」ことは否定しようがないのだから、同じ在るなら「落ち着いて在る」ことを選択するのがよい。もしあなたが、この変化の時代にあって「静」をつかむことができるなら、超高速に飛び交っていたこれまでの情報たちの縫い目に、「隙間(間隙かんげき)」 を見つけることができるようになるだろう。

 そしてひとたびその状況を見切ったら、つかみ取ったコア(核)以外の情報は、場に捨てることができる。ちょうど、商品を買って過重包装を取り去ったあと、肝心の商品だけを手にして包装は捨てるようなものである。そうすれば、心はかなり身軽になるはずだ。


 

 最後は、具体的にどうの、というよりは観念論的な話になり申し訳ないが——

 時代に追いつこう、という力みを捨てることである。

 今つかんだ、と思ってもそれは数秒後にはスルリとあなたの指の間をすり抜ける。もうすでに、次の現実が待っているのだ。そんなキリのないものを相手にしても意味がない。

 だから、スピード社会に正攻法で挑むのをやめる。無理に全部を追おうとしない。力まないで、全体をリラックスのうちにぼやかして見るような感じにすれば、どこかにホール(穴)が見えるようになる。そこさえ気にしていれば、来るべき時にしかるべき思考と行動が選択できる。

 一人ひとりの力は幻想視点では小さく、今は何ほどのこともできないかもしれないが、常に感性は大事に養っておこう。研ぎ澄ませておこう。

 目まぐるしい目の前の変化に心奪われず、自分という根にしっかり立って。

 落ち着いて、この時代が紡ぐ物語を、最後まで見ていこう。

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