あなたの本

 今回の記事では、ある本の紹介をしてそこから筆者のメッセージにつなげていくことにする。



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●あなたの本 (誉田哲也・著 中公文庫)


【ストーリー】


 父の書斎で見つけた奇妙な本。『あなたの本』 と題されたそれを開くと、自分の誕生から現在までが何一つ違わず記されていた。このまま読み進めれば、未来までもわかってしまうのか。その先をめくるか否か、悩みぬいた男の決断とは?



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 実はこれ、全体が「あなたの本」というひとつの話なのではなく、短編集である。だから「あなたの本」という話は沢山収録されている短編のひとつの題名にすぎない。お話自体は短く、すぐに読めてしまう。

 以下に、お話のダイジェストを記す。



 ある男が、亡くなった父の書斎を整理していた。

 そこで見つけた、ちょっと普通の本とは違った雰囲気の本。

 タイトルに「あなたの本」と書いてるだけで、著者や出版社、値段の類の余計な字が一切ない。父の自叙伝みたいなものかな? と思い読み進めていくと、どうも「読んでいる自分」の生まれてからのことが詳細に記録されているようだった。

 自分の人生のことだから、この本がハッタリかどうかはすぐわかる。

 ああ、そういうことがあったと思い出せるもの、逆に本の記述のお蔭で「すっかり忘れていて、自分の力では思い出せなかったこと」まで脳裏に甦ってきた。

 そして、自分のこれまで生きてきた内容は読破した。問題なのは、その先である。どうも分量的には、自分の未来のことまで書かれてあるようなのだ。



 主人公は、まず怖さが先に立つ。

 これまでの記述で、この本の言うことが正確であることは身をもって実感した。

 ということは、先を読むことは「人生のカンニング」に当たるのでは?

 しかし、本当の恐怖の原因は、そんなルール違反を気にするような殊勝な気持ちからのものではなく、「それで先のことを知ったからといって、果たして未来は変えられるものなのだろうか?」という部分にあった。「書かれてあることが本当に決まっている」のだとしたら、個人がどんなにあがいても抵抗しても、いやなことは「起こってしまう」のでは?

 本に嫌な未来が書かれてあった場合、知らないでその時に起こるよりも、知っていながら努力しても回避できなかった場合を考えると、そっちのほうが辛い。

「戦国自衛隊」という小説もちょうどそういう話だった。現代の自衛隊がタイムスリップして戦国時代へ行く。最新鋭の兵器を持つ彼らがどこに味方するかで歴史は容易に変わってしまうかに見えたが、オチとしては「まったく変わらない」のだった。

 この本の世界観では、「人間がいかに意図的に小細工しようが、逆らえない大いなるものがある」というところだろう。



 彼はその本を捨てることができなかった。かといって、先を読む勇気も持てなかった。

 結局、その後数年間その本を開けなかったが、後で起こった部分に関してだけ本の記述を読み返すと、やっぱり当たっているのだった。

 そんなある日。彼の妻が重い病気になった。生きてはいるが、どうにも手の施しようのない状態で、延命措置をこのまま続けるかどうかという選択を迫られた。

 妻は傍目にも苦しそうで、そりゃ生きていてほしいが、これ以上どうしようもない状態で苦しい時間を延ばすだけ、というのも酷な気もする。

 苦慮の末、男は妻のこれ以上の延命措置を断念する。これでよかったんだ。そう自分に言い聞かせながら——



 妻が亡くなってから少したって、男は「あなたの本」を開いた。

 するとそこには、目を疑うような記述があったのだ。



●妻は何とかもっているが、生きているだけで苦しそうだ。治る見込みもない延命措置も妻を苦しめるだけと思い、よっぽどやめようかと思った。

 しかし、本当にやめないでよかった!

 延命措置の継続を決めて数日後。ドンピシャリのタイミングで、妻の症例の治療に成功した研究報告が医学会で発表され、画期的と話題に。藁にも縋る思いでその研究機関に飛びつき、首尾よく治療を担当してもらえることに。

 妻は、奇跡的に助かった。

 本当に良かった……



 思いっきり、皮肉なオチである。

 普通なら、これまでの経験から本には「起こった事」が寸分たがわず書かれているはずだった。男もそれを期待してページを開いたのに、あろうことか「現実に起こらなかったこと」が記載されていた。ここは、読者がどう受け取るかによって実に様々な解釈ができるところである。

 筆者は、どう受け取ったか?

 結局、間違いのない未来が書かれてある本をせっかく手にしていても、まったく利用できなかったのがこの男である。読めなかったのは、ちっぽけな人間の「運命」という大いなる存在に対するささやかな「抵抗」からであった。人生とは、死ぬまでこと細かに決められているものなんかであって欲しくない。自分の意思や選択で切り開いていけるものと信じたい——。

「自分の力ですべてうまくいくはず」ということに賭けた「希望」が、男をして未来の記述を読ませなかった。しかし、この男も中途半端である。なぜなら、答え合わせのように過去になった記述は読んでいたからだ。

 本当にカンニングには頼らず自分で生きると覚悟したのなら、答え合わせとはいえ「あなたの本」のページをめくるのは女々しいと言える。

 あなたの本とやらは、この男にこういうメッセージを発したような気がする。



●そんなに自分で決めたいなら、いっそ自分で決めてみな!



 この短編は、本書を好んで読むようなご奇特な読者の皆さんに面白い教訓を伝えてくれる。

 筆者は、「人生で起こることはすべて決まっている」と言ってきた。

 でもだからと言って、先を事細かに知ってしまっては、そりゃ興がそがれる。だから主人公が「あなたの本」の先をあえて読まなかったのは共感できる。

 でも、それならなぜ焼くなり捨てるなりして、破棄しなかったのだ。なぜ後生大事に持ち続けたのだ?

 この男は、死ぬまで「答え合わせ」だけに使うつもりだったのだろうか。いや、ずっと所持し続けていることは、持ち主の心に潜在的に「いつか頼るかもしれない」という無意識の部分があったのではないだろうか?

 目に見えない「依存」、もっと言えば甘えがあったのではないだろうか。



 男は、「決まっている未来」に嫌悪感を持った。

 でも、一方で「書かれてあることは間違いない」とも理解していた。

 男はいったんは「見ない」ことにした。自分の選択の力を信じて。また、運命などというものを決めて人間を弄んでいる何がしかの存在……「神」のような者に対するささやかな抵抗として。

 擬人的に言うが、その男の思いにこたえる形で、本(人の運命を司る大いなる何か)は、こう対応したのだ。



●そうか。気持ちは分かる。だったらお前の望むように、決められた運命ではなくお前自身が選んだらどうなるか、ちょっと見せてやろうじゃないか——



 そうやって、人間が自我という限界ある判断機能で、いきあたりばったり対処療法的に人生を組み立てていった結果、どうなるかを見せてくれたようなものだ。だから、男の妻をめぐる一件では「あなたの本」に書かれてある『正解』とはズレた現実となった。

 もちろん、お話はSFのようなフィクションであり、死ぬまでのことが明確に分かる本なんて存在しない。手に入れることなどできない。だからこれはまぁ、イソップ童話のような「寓話」だな。

 生き方に正解などもちろんない。だが、筆者なら次のどちらかにする。



①本を捨てて、一切読まない。(自分という命を信じる生き方)

②本を読みまくり応用しまくる。(有利に利用できるものは徹底的に利用しよう、という生き方)



 ただし②の場合、未来を知ったところでどうやっても結局決まった通りになる可能性も捨てきれない。結局ムダであるかもしれない。また、起こると決まっていることを知ってしまい意図的にそれとはかけ離れた行動を取ったら、シナリオが書き代わり全然違う第三の結果になる可能性はゼロとは言い切れない。

 まぁ、こればっかりは人間キャラの分際ではよう分からん。(笑)

 ①にしろ②にしろ、正反対のようで共通しているのは「一本筋が通っている」という部分である。

 この本の主人公のように、未来は知りたくはないが、かといって本を捨てきれないで答え合わせには利用するという煮え切らない態度、つまり——



●何事も中途半端が一番良くない。



 ベタな着地点だが、要するにそういうことなんだろう。

 


※わたしはあなたの行いを知っている。

 あなたは、冷たくもなく熱くもない。

 むしろ、冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。

 熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。



 【ヨハネの黙示録 3章15~17節】

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