実践こそ宣伝

『舞妓はレディ』という題名の映画がある。

 数々の名作を生みだしてきた周防監督の映画だけに、その昔この映画の公開を知った時には漠然と劇場に見に行く気でいた。

 でも、上映が迫ってきたある頃のこと——



 私は映画好きなので、しょっちゅう映画館にいる。

 すると上映の合間の予告編などは、下手したら同じものを何度も見ることになる。

 まぁ、でもそれは映画も商売だし、宣伝して来てもらってなんぼ、なので私も納得している。「必要悪」と言えば言葉が過ぎるもしれないが、まぁそういうものよね、流されるのは仕方がないよねという感じ。

 でも、うちの地域だけの話かもしれないが、この映画はちょっと気に入らない宣伝のされ方をした。

 通常、上映時間ちょうどにCMや予告編が始まる。ひとしきりそれがあって、ラストは『ノーモア・映画泥棒』で終わる。

 それからやっと、待ちに待った本編……という流れである。

 でも、この『舞妓はレデイ』に関しては、長ったらしい予告編を、劇場内の照明がまだ明るい開場時間に垂れ流していた。一回見たのだから、暗くなってからの本予告では削られるのかと思いきや……まったく同じ内容がのものが、場内が暗くなってからもまた見せつけられる。

 もう、あの「ま~いこ~はレディ~♪」という主題歌のサビが流れるだけで嫌悪感が湧いてくるようになった。絶対行ってやるものか! そう心に誓うようになった。

 宣伝というものは、ただ「知ってもらう」ためのものではないはずだ。ただ知ってもらっても、良く思ってもらわないと意味がない。



 ドラえもん・コミックス14巻第3話の『かがみでコマーシャル』。

 ひみつ道具『遠写かがみ』を使うと、あらゆる家庭の鏡や反射するもの(水たまりなど)に、任意の映像を流すことができる。ドラえもんとのび太はそれを利用して、美味しいのに流行らない和菓子店『あばら屋』を繁盛させようと、調子に乗って宣伝しまくる。

 ひげ剃り中の男性をびっくりさせて血が出てしまったり。子守でやっと子どもが寝た時に、宣伝の大声で起こしてしまったり。水たまりに映ったのび太の顔の上にたまたま通りかかったしずかちゃんが、スカートの中を覗かれたと勘違いして怒ったり……かくしてのび太どドラえもんの努力は裏目に出、消費者の怒りを買う。

 店主は怒らず、むしろ一生懸命になってくれた二人に「このお店の最期だから」と、和菓子を食べさせてくれる。ただただ、美味しそうにそれを食べる二人。まさか、遠写かがみのスイッチがまだオンなままとも知らず……

 飾らない、純粋に美味しそうなその光景が人々の心を捉え、お店にはお客が大挙して押し寄せたとさ。



 これこそ、広告の神髄部分だと思う。

 儲けてやろう、たくさんの人に情報を知らせてやろう——

 あけすけに「利益」「戦略」という部分にこだわり過ぎると、どうもそういう部分は人には敏感に伝わるものらしい。宣伝して、知ってもらえさえすれば何とかなる、と考えたのび太たちが失敗した通りだ。

 しかし、そういう外部に要求する部分が薄れ、ただ宣伝したい何かの良さを素直に、大げさすぎず自然に伝える。(この場合、のび太たちは自分たちの行為が宣伝されていることすら自覚していなかった)そういう、シンプルな「この素敵なものを、知ってもらえて使ってもらって、喜んでもらえたらいいな」という思いを、洗練された構成と技術と映像で伝えるのが広告である。



 筆者は、宣伝とは「知ってもらう」ことに重きがあるのではない、と思っている。

 もちろん、誰にも知られなければそもそもお話にならない。でも「知ってもらうという側面にフォーカスしすぎると、本質を見失いやすい」ということは言える。

 ドラえもんとのび太が、宣伝しようなんて意図も持たず、ただただ美味しそうに商品を食べた。それだけのことが、頑張って宣伝する行為の何百倍もの効果を得た。

 私は、本書の記事を楽しく、心という鉄の熱いうちに打って、書いている。そのことをまずは実直にやる。全身全霊で。一期一会の思いで丁寧に。

 その命の通ったやりとりを続けていくうちに、例え少しづつでも広告効果はある。それはもう、戦略的に広報することよりもはるかに。

 たとえ現実的な策略で広く知らせることができても、中身がないと早晩化けの皮が剥がれる。それよりも、その場その場を丁寧に生きるほうが、長期的な視点ではより成長する。



 本書の少し前の記事で、必要条件と絶対条件に関して書いたことがある。

 カエルのいるところには水がある。(絶対条件)しかし、水のあるところにカエルがいるとは限らない。(必要条件ではあるが、絶対条件ではない)

 これと同じで、宣伝することは売れていくための必要条件である。知ってもらわないと、まずはお話にならない。それをある程度やっておいて、あとは日々の実践である。

 血の通った、お客様とのやりとり。その積み重ねが、影響力にものを言わせた組織の宣伝に勝る。それこそが「絶対条件」である。

 どういう思いを込めて、日々の行為をするかである。筆者はそこに自信があるので、その辺のクレーマーや揚げ足取りなど敵ではない。

 餃子の王将に行けば、壁に『ギョーザに絶対の自信あり!』と書かれたポスターが貼ってあるのを見る。私も、これと同じ思いである。

 もちろん、筆者に自信があるのは「正しさ」ではなく、自分が楽しんで、言いたいことを言えている度合いに対してである。私はスピリチュアル界では全然隅っこのほうの位置づけだろうが、発信に懸ける思いは高名な誰にも引けを取らないつもりだ。

 筆者はスピリチュアル界の少しお寒い現状を見て憂えたりすることなく、これからもマイペースで発信を綴っていく。

 聞きたい者だけが聞けばいい。

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