生かされ、支えられる主人公

『ジョジョの奇妙な冒険』という、長い連載を誇るマンガがある。

 作者の荒木飛呂彦氏がテレビのインタビューに答えていたのを、昔見たことがある。先生が作品を描く上で大事にされていることは何ですか? という取材者の問いに、荒木氏はこう答えていた。



●大事なのは、『人間賛歌』です。



 例えば、主人公のピンチに、神様だとか主人公より強い超越的な存在が助けに来たりしない。また、強力な武器が突然手に入ったりしてそのおかげで敵に勝てる、という話は作らない。 

 あくまでも、主人公たちが自分の知恵や力量で、その場その場を切り抜けていき、成長していく。何か他の強力な『外力』に頼ることなく——。



 筆者は、基本的にそのアイデアには大賛成ではある。

 この世界を生き抜く上で実に見事な人生訓と言おうか、特に現代の若者には持ってほしいスピリットである。多感な少年時代、こういう良質な作品に触れて勇気をもらうことも、貴重な経験だと思う。

 ただ、この「人間賛歌」という考え方は、バランスを欠くとただの傲慢やひとりよがりになる。



 人はよく、「私は自立できている」とか「あなたは自立していない」とかいう言葉を使ったりする。

 でもこの自立、という言葉は結構扱いが難しい。

 自立したのしないの、と言う時。人はたいてい「自分で稼いで食っているかどうか」を基準にするようである。それ以外では「広い意味で、他者に頼り過ぎず生きているかどうか」ということが基準になる。

 だが本当の意味での自立など、この地上では誰一人不可能なのである。



 確かに、あなたは労働をして、それに見合ったお金を稼いでいるのかもしれない。そしてそのお金で生活しているのだから、あなたは立派なのかもしれない。

 でも、あなたが働いている職場は、誰が作った? あなたが住んでいる家は、誰が建てた? あなたが購入する食料品は、誰が生産した?

 野菜や米は、誰がつくった? あなたは、吸う空気を自分で捻出しているか?

 ちょっと極端だと言われるかもしれないが、ここは非常に大事なポイントだ。



●人は、だれ一人として『お蔭様』で生きていない人はいない。



 何かの世話にならずに生きていくことなど、不可能なのだ。どんなに人がエゴの狭い了見で「オラぁ誰の世話にもなってねぇ! 自分だけで生きてるだ!」などと主張しようとも、そんな言い分は井の中の蛙の意見に過ぎない。

 目に見える部分、見えない部分も含め、あらゆる存在に支えられている。支え合っている、と言った方がより正確だろうか。

 宇宙全体が、よくできた完成された『プラモデル』だと考えればいい。たったひとつの部品も、欠かせない。この世界に必要でないものは何もない、という言葉を聞くことがあるが、まぁ平たくはそういうことである。

 でも、例えば悪は必要ないとか、兵器はすべてこの世から消えたほうがいいとか、蚊やヘビやゴキブリは要らないとか。アイツはこの世から消えたほうがいいとか。人はどうしても、そういうことを考えてしまうものだ。



 キレイ好きで汚いもの大嫌い! な「勧善懲悪スピリチュアル」なら、悪も人殺しの機械も、もっと言えば醜い欲望も要らないと言うだろう。それらは、愛の光によって浄化され、消滅してしまうべきものだ、と。

 もちろん、ゲーム展開的(将来的)に減っていく(完全消滅は不可だが)ということはあっていいし、目指してもいいだろう。ただ、一番的外れなのは「今この瞬間においても必要ない」と考えることである。

 今、あっていいから在るのである。宇宙がゆるしているから、在る。その今あるものをあってはいけないなど、大いなる流れへの挑戦であり、不信だ。

 だって、現にあるものをあってはいけない、などと己の分限を超えた価値判断をするのであるから! 今あるものはいったんその「在る」を受け止めてこそ、「じゃあ次無くしたいのだけどどうしたらいいか」に移行できる。今を「そうあるべきではないのだ」と否定して、何もいいことはない。



 話が少々脱線したが、要は「完全な自立など在り得ない」ということ。

 必然的に、己の力がすべて、などという状況は生まれ得ないということでもある。どこまでいっても、何かのお蔭様で生きることから逃げられない。だから、人間賛歌は結構なのだが、それはあくまでも次のような現状の上に成り立つ。



●大枠では何かのお世話になるしかない世界の中で——

 せめて、自分でできることは自分でありがたくさせていただく。



 これこそが、本当の『人間賛歌』。

 宇宙に、自然に、他者に「生かされている」という謙虚さの中での、己が力。それを最大限振るうことが、自立である。守られ、生かされている中で自己ベストを尽くすことが、自立である。

 自立とは、支えられ助けられる中でこそ実行可能なのである。自立、自立うるさいやつらの中には、このことが分かっていない人が多い。

 人間賛歌を、ただ「オレは全部自分の力でやってるぜぇ!」という底の浅い、ただの頑固でしかない「自己努力礼賛主義」にしないように気を付けてほしい。



 あなたは人生の主人公だ! そういうメッセージを、私は何度も発信してきた。

 でも、主人公だって、一人では何もならない。物語の舞台。背景。他の登場人物。そういったすべてがそろってこそ、主人公が輝ける。

 筆者があなたを「人生の主人公」だとか「宇宙の王」だとか言ったりするのは、何も単純に「あなただけが最高」だとか「他には頼る必要がない」というような意味合いからではない。あなたはあなたの人生の主人公には違いないし王には違いないが、他の登場人物あっての主人公であることを忘れては、足元をすくわれる。

 また、民のいない王など滑稽である。まるでムスカ大佐!(国が滅びたのに、王だけ残っているなんて滑稽だわ)王もまた、土地や民あっての王なのである。



 外の何かに頼って解決しない。

 自分の力で切り抜ける。

 この二元性世界レベルでは、実に大切な心がけだ。

 でも、それだけではちょっとした手違いで簡単に「支えられている、お蔭様で存在していることを忘れた自己礼賛」になりかねない。

 そのことを、念頭に置いて「人間讃歌」を謳歌してもらいたいのだ。

 若い人たちにも、このバランス感覚を持ってほしい。



●生きている、生かされて在ることへの感謝。

 その大いなる安心の中で、自分の可能性を試せる喜び。

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