グリコのおまけ
グリコのおまけ(キャラメルについてくるやつね)だけを、買うことはできない。それはキャラメル本体を買うと、ついてくるものであるから。
本体は要らなくて、オマケだけ買いたいということは無理。
スピリチュアルでも宗教でも自己啓発でも、この『おまけ』が一番の目的になってしまっているケースが多い。
本体を買わないで、おまけの部分を「得られない」と悩んでいる。苦しんでいる。
こんな当たり前のことを皆に分からなくさせるのが、「これをすれば幸せになれる」「豊かになる」「お金が入ってくる」「人生がうまく回りだす」という一部スピリチュアルのうたい文句である。
これ、確信犯でやっていたら「越後屋、お前もワルよのう!」級のズルい人である。なぜなら、本体よりオマケの魅力を前面にチラつかせているから。そちらのほうが、人が飛びつきやすいからだ。
本体のキャラメル以上に、おまけ(副産物)としての冨や成功に価値を置いているのが今の世の中であると皆知っていて、自分の短い人生の中では体を張って革命を起こしてそういう世界を変えるより「今の世界の仕組みを利用しておいしい思いをするほうが手っ取り早い」から、そのまま時流の流れに乗る。
人というのは現金なもので、たとえ客観的に住む世界が「理想的でない」としても、その中で他より恵まれた、アドバンテージのある側に居られてかつそれが保証されるなら、あまり世の中を変えたがらなくなる。世の理不尽や不正を正したいのは、いつだって恵まれないほう・虐げられているほうばかりである。
それかけた話を元に戻そう。ここで言う「キャラメル本体」とは何を指し示すのか、改めて考えてみよう。
これは、色々なケースがある。
例えば、スポーツで言えばプレイする行為それ自体である。オマケとは、結果としての勝利や、プロになったり稼げたりということである。
作家になる・漫画家になるということでは、小説を書く行為やマンガそれ自体を書く行為。オマケとは、本が売れたり世の中に認められて有名人になることである。
宗教やスピリチュアルの本体は、信心(確信、気付き)それ自体である。その内面的気付きが、あなたの現実に影響し、その影響が良い方向で現れた場合に、それが「オマケ」となる。
車を持っていると、車検というものが定期的にめぐってくる。それと同じ感じで、時折自分の「何か情熱を持つ対象に取り組むスタンス」を見直すのもいい。
あなたは、足の主軸をどこに置いているのか? 行為そのもの以上に(キャラメル本体以上に)、行為によって結果としてもたらされる実質的利益 (オマケのこと)のほうに意識の主軸があることもある。
例えば、ある「有名人」が生まれる過程について考えてみるといい。
スポーツでも芸能でもいい。作家でもいい。誰でも最初は、スポーツや芸能、あるいは「書くこと」自体に重きを置いている。もちろん、すべての最初から「売れたい、有名になりたい」と思って始めるようなタイプの人もいるだろうが、それで本当に継続でき成功するのは一握りである。やはり、ほとんどのケースでその活動自体が好きでないと成功は難しい。
仮に、好きでひたむきに頑張ってきたことの成果が出て実績を残し、それによってがある程度多くの人に自分の能力や作品(スポーツ選手なら記録)が認知されるようになったり、それオンリーでで「メシが食える」 ようになってくると、ある種の誘惑が起こってくる。
どんな誘惑かというと——
●これまでは、あくまでも自分の喜びのためにある行為をしてきたのに、その行為をすることで得られる副次的なもののために、それをしだす。
例えば筆者のことで言うと、情報発信を開始した最初っから「書くこと・発信することの喜びのために書いていた」。
もちろん、筆者とて普通の人間なので、あわよくば……ということは想像はする。想像はするが、でもそのために必死になったことは一度もない。
普通の人にはおかしく思えることだろうが、私は読者に「読んでくれてありがとう」とは思わない。「皆さんの応援があるので、更新を頑張れます」これなども、絶対に思わない。
私は、ただ自分が書きたいから書く。それを皆さんが、自己責任において(勝手に)ここをのぞいているだけである。
それだけのことである。結果として収入が入ったりするが、それもいつのまにか生じてるだけで、私はそのことを念頭に置いて(期待して)活動などしていない。
●読者からの支持・応援 > 書きたい、という思い
(>は『大なり』 って読んでね。数学で習いましたね?)
この状態に陥ったスピリチュアル指導者は、足元を崩されている。
アマチュアだと大して害もないが、お金を稼ぐレベルの人だと——
●仕事上、世間の顧客から人気に応じて入る報酬 > スピリチュアルに関わるそれ自体が楽しい、という動機
この罠にかかりやすくなる。いつも間にか、第一に考えていることが「人気」になる。言い換えれば、自分が世間からどう評価されているか、ということが過度に気になり、そのためなら自分のプライドさえもかなぐり捨てる状態のことである。
上記の罠の怖いところは、「ある程度まではそれでも世間的な成功ができてしまう」という点。でも、的を外した成功なので、ある程度の成長と膨張の後、バブルがはじけるように壊れる。
なので、その罠にかからないために次のことを自問自答してほしい。
●例え、誰も認めてくれなくても、評価してくれなくても——
あなたはそれをやり続けたいだろうか?
その問いにYesと言えるならば、あなたは「おまけの罠」にかかることはまずないだろう。
逆説的ではあるが、おまけに目を向けない(やりたいことそのものから目を離さない)人ほど、結果的に内外共に充実することが多い。
「オレは、ビッグになってやる!」と言って、芸能界を目指したりする若者がいる。これでは、まずダメである。「ビッグになる」という、オマケでしかない副産物を最高の目的に祭り上げている。これでは、「歌」や「演技」といった芸事本体に大変失礼である。
三度のメシよりも演じることが好き、とか書くことなら時間を忘れていくらでもやってられる、とか。そういうのが、グリコのキャラメルの本体を主軸に置く生き方の理想形。
それだけを買えないからといって、おまけだけむしりとるのは、ある意味万引きであり泥棒。いつかバレた時に、一気にそのツケが来る。
私は、今日も明日も多分何らかの情報発信をしている。
でもそれは、私が書きたいから、言いたいからである。筆者は他人に気を遣わずに書くため、人の不興を買って時にこう言われることがある。
●そんなんではいずれ、あなたの文章なんか誰も読まなくなりますよ。
それでもいい。
さっき言いましたよね? 私は書きたいから書きたいように書いているだけ。
見てくれている人が沢山いようがゼロだろうが、どちらの状況であっても「好きに自分を表現できる」というキャラメル本体は誰も私から奪えないので、問題ない。
だから、このコメント主の脅しは、私には屁でもないのである。
私は外の状況なんて流動的(諸行無常)だってことは、納得して腹をくくっているから。これからも、書ける状況であり続ける限り書くだけである。
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