見たんか~!
あるスピリリチュアルブログの記事に、こんな言葉があった。
『宇宙とのパイプのつまりを、キレイにすることが大事です』
私は、思った。
●何それ何それ何それ何それ何それ
見たん? 見たん? 見たん? 見たん?
具体的に説明してみれそれどんなんか
具体的に説明してみれそれどんなんか
パイプってどれくらいの太さ? どれくらいの太さ?
で、どれくらいの長さ? どれくらいの長さ?
パイプの中には何が通ってるん? 何通ってるん?
それが詰まったりするん? 詰まったりするん?
具体的にどういう成分のものが詰まりを引き起こすのん?
で、どうやったら掃除できんのん? 何かの道具使うのん?
どうやったら、掃除でけたって分かるのん? 何が目安なん?
で、それって定期的にたまるのん?
週一? 月一? もっと? どれくらいの間隔でメンテ必要?
詰まらせてると、どういう不具合が生じるのん?
放置しすぎたら、シャレにならんことになるわけ?
宇宙って、パイプのつまり加減でペナルティを課すような冷たいやつなん?
サムシング・グレートって正体が愛なわりには、ケチな舞台設定してくるんやね。
で、一言。
●スピリチュアルって、うざ~~~!
「これは、波動が高いですね~」
「これ、めっちゃ波動低い」
「あんまり、いい波動じゃないっすね」
………。
●見たんか~~!
波動って、見えるん?
見えるもんやない、感じるもんやって?
へぇぇ。あんたは自分が感じたもんは、解釈したもんは他の人にも間違いなく同じようであるはず、って思うてたりする?
絶対な、客観的波動なんてあるん?
あんたが見たいように見、感じたいように感じるだけちゃうのん?
実は、波動なぞない。
(そういうものがあると決めたので、あるように観察されるだけ)
でも、あると信じて生きているシナリオの人のために、百歩譲ってあるとしよう。それでも『絶対の波動』というものを、人間は残念ながら捉えられない。それは、絵に描いたモチである。
なぜなら、すべてにおいて『人は見たいようにしかものを見ない』からである。
主観以外で、世界を捉えるすべがないからである。
スピリチュアルというものは、時折いい核心を突いてはいても、結構な部分で思い込みと独りよがりがある。
(そう言うからには筆者自身も、自分がそうであることを認めた上でこの発信をしている)
自分の体験を、信じたいのは分かる。絶対だという確信も分かる。でもさ、もうちょっと落ち着いてみない?
他の人にも当てはまるって、必要以上に思いすぎて、でしゃばりすぎてへん?
特に、以下の文句には注意。
①あなたを、悟らせます!
②あなたが幸せになれる方法を教えます! あなたを豊かにします!
無理。
他人をどうこうできると考えている時点で、もうスピリチュアル(悟り系の)としては外れている。
確信犯として言うなら一流の商売人。本気ならただのバカ。
私は、口が裂けても(いや、いざ裂けるとなったら多分言うが)あなたに幸せになる方法を教えますとか言えない。これを学んだら(やったら)、豊かになりますよとか言えない。
●なるかもしれないし、ならないかもしれない。
分からない、としか言えない。
その結果は、あなたが何をしてきたかというそこまでの情報に必ずしも左右されない。でも夢を見たければ、見るがいい。それを止める権利は、誰にもない。
ただ、夢から醒めるまでの限られた幸せになると思う。言い換えれば、そのスピリチュアルを本気でやれば幸せになれる、って思えている間の幸せである。
筆者にできるのは、自分のやりたいこと(表現)を精一杯やることだけで、それを読んだり聞いたりして他人に良い変化が起こっても、それは私の蚊帳の外。私が悟らせたとか私が幸せにした、なんてことはない。
個人の言動は、行動した(言い放った)その瞬間に、その本人の手を離れる。別物になる。そのあとで起こる化学変化は、もう他の支配に移る。
後で良い変化が生じるようなことがあれば、それはもっと複雑な要素のお蔭もある。それを、誰々が悟らせたとか、誰々が幸せにした、誰々のお蔭だなど純粋に表現できる現象などない。
残念ながら、皆さんをいい気分にさせ甘い言葉「あなたが幸せになれる方法教えます!」で誘ってくる『ハーメルンの笛吹き』が現時点で多い。そして、そっちのほうが人気があったりする。
それがいけないのではない。私としては、どうでもかまわない。
筆者も今程度のマイナーな人気加減の方が、落ち着いた暮らしができようというもの。私の言うことは、本当に必要としてくれる人以外の大衆に広まらなくていい。
●あなたを幸せにできるのは、あなた自身である。
悟りは、何かをやったら来るのが早まるとか、誰と会ったから早まるというものではない。来るときに来るものである。
強制イベントなので、人間に分かりやすい『発生条件』などはない。
何度でも自分のスタンスを表明するが、私が文章を書くのは、世界のためでも人類のためでもない。というか、本当の意味では~のためになんかなれないことを知っている。仮にそう観察できる状況が生まれたとしても、それは大いなるシナリオに依るものである。
筆者はただ、突き動かされるままに言葉を紡ぐだけである。自分がしたいことを、後悔なくすることである。そのオマケとして誰かが喜ぶような良いことが起きても、それは私のおかげなどではない。
私は、言葉を発した後のことは、行動した後のことは、もう自分の手を離れたものとして考えない。後で何を聞いても、それは相手自らの命の持つ力であり、宇宙(全体性)のお蔭であると思っている。
もちろん、誰かが「筆者さんのメッセージのおかげです!」とか感謝の言葉をかけてきた時に「私など何もしていませんので、そんな言葉をいただく筋合いはございません」などと言ってニコリともせずに立ち去るようなことはしない。「そうですか、よかったですね」とニッコリ言葉を返す程度の社会性は持ち合わせている。そこのところの使い分けは大事なポイントである。
まだ、しばらく多くの人は踊り続けるだろう。あなたを幸せにする、豊かにするという人気メッセンジャーの笛の音に従って。
筆者は花形の野球部の陰で、ワンダーフォーゲル部の部長でもやっとくかな。(あんたなら落研のほうが合ってる、とか言わないでね)
私のメッセージは、ある程度の人だけに伝わればよろし。そのほうが、落ち着いた人生を私も送れる。関わる人が増えれば、覚者だろうがむっちゃたいへんな人生ドラマになることを私は知っている。
今の状況もまたよし、と思うのである。
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