シンプル・プラン
ある格闘家は言った。
絶対に負けない秘訣は?
●それは、戦わないことだ。
正確に言えば、『戦わずに済ますことができる者こそが、最強だ』ということ。
戦い自体を避けることができたら、勝ち負け自体がなくなる。
戦いになるのは、相手が「勝てるかもしれない」と思ってこちらに挑んでくるから。要するに、あなたを「自分でも勝てる強さ」だと相手が値踏みしたのだ。
こちらが、相手が最初から「戦っても仕方がない」と思えるほどに強ければ、相手も無理して挑んではこない。ゆえに、真の格闘家が目指すのは「勝つ戦いを続けること」ではなく、「戦わなくても済む強さに至ること」であり、最終的に争いがなくなることを目指す。
戦いそれ自体に血沸き肉躍るのはただのケンカ屋であり、格闘家ではない。
武芸の達人が目指すのはあくまでもある意味での「悟り」であり、それは言い換えれば内なる絶対の平和。ただ格闘に勝ち続けるだけでは、結局次の戦いをまた生むだけである。
私が最近辟易しているのは、「エゴ、エゴ」とやたらうるさいスピリチュアルである。エゴをなくしましょう、克服しましょう、とうるさい。
エコエコアザラク、の方がまだ好感が持てる。そんなに好きなんか? と思うくらい、スピリチュアル系の本やブログにはまめに登場する。
もしかしたら、愛って言葉と肩を並べるくらい「愛用」されている単語なのではなかろうか。
すべてのものは、必要だからこの世界に存在する。
その中にはもちろん、あなたが人生ゲームを進める上で障害となる役割分担のものも存在するだろう。要するにあなた個人の幸せに「都合の悪いもの」である。でもやっぱり、宇宙全体としてはそれすらないといけないのである。
エゴなど、一見なければいいように思えるが実は「ないと困る」ものの代表例ではないだろうか? この世にエゴがないと、個人の幸せというものが認識・把握できない。イコールこの世での「幸せ」を求めることができなくなる。
さらに言えば。
スピリチュアルを実践して「エゴ、エゴ」言って幸せそうな人にほぼお目にかからない。やめたほうがいいんじゃないか、と心配してしまう。気にすることでかえってしんどそうにしている。
エゴって言葉自体、「よく分からん」という人の方が幸せそうだ。
エゴというありもしない(あ、言っちゃった! 今のは忘れるように)ものを問題と設定し、わざわざしなくてもいいケンカをして。私から見たら、非常に面倒なことを皆している。
皆さん。エゴを克服しよう、っていうスピリチュアルに騙されたらダメよん。それで幸せになるのは、そういう強さというか精神性を持てるシナリオの一部の人種だけですよ。
誰だって東大に入れますよ! ウチの塾で学びなさい、って言われているようなもの。あなた、信じてホイホイ入りますか?
絶対に、入れる人と入れない人が出てくるのだ。どんなに頑張っても。
本来取り組まなくていい問題をあえて設定し、格闘するバカバカしさに気付きましょう。やめた瞬間、楽になります。
やめてしまったら、エゴという問題は依然としてそこにあり続けて悪さし続けるのでは、と心配しなくていい。逃げなのでは、と心配しなくていい。
実は、戦って無くそうとすること自体が逃げなのだ!
戦うことをやめ、敵視することをやめた時。エゴは、ゼンゼン違った顔を見せることになる。敵に対してみせる顔と、友に対してみせる顔が違うのは、当たり前である。あなたは「案外、いいヤツだなぁ」なんて思うはずだ。
もちろん、精神レベルの高い人は、エゴに対して「戦う」という姿勢でないことは確かだ。でも、その指導者に学ぶ人のほとんどが、師のようにできていない。
大概の人が、エゴと戦うというアプローチを無意識にやっている。
それじゃ、やらないほうがマシだ。
覚醒したらエゴがなくなるか?
そんなことはありません。
そもそも筆者は、そんなこと考えたこともない。
エゴって言葉、動画発信とか本書を書くとかそういう「よそ行き」のモード時以外、意識することすらない。逆になんじゃそれ? って聞きたくなるくらい。
だから私、生きやすいんじゃないかな。幸せ感が倍増なんじゃないかな。
筆者のワールドではエゴは悪者ですらない。
ってか、概念自体が存在しない。
皆さんがうるさく言うので、私もメッセージ発信時に言葉として使っているだけで、実は私が「エゴ」という言葉を使う時はチョー他人ごとである。
多分皆さんはこんな意味で使っているんだろうなぁ、こんな風にイヤに思っているんだろうなぁ、って思いながら使っている。
私は私じゃ! 私はひとつじゃ!
何で、私の中がエゴとか本当の自分だとか、マインドとかハートとか……別れたパーツに分解できるん?
肉屋さんならいいよ。ロースとかカルビとかバラとかハツとか、分けるのは必須だし。でもエゴと本心・マインドとハートを別で把握して考えるの、面倒くさいでしょ。その時その時で、どう感じたどう思ったその結果どうしたい、だけを見つめていけばいいだけじゃないの?
……ってことで、筆者が今回提唱するのが、これ。
『シンプル・プラン』
SPECという昔のドラマを知っている人しか意味が分からないと思うが、ドラマの中ではこれ「全スペックホルダー(特殊能力者)暗殺計画」。
それにちなんで、ここでは「スピリチュアルの知識でムダな戦いをしている疲れ人減らし計画」という意味で捉えてほしい。
スピリチュアルで常識とされている、でも世間では頭おかしいと思われる概念を捨てるのだ。心配ない。捨てても問題ない。
逆に、捨てた時の爽快感が心地よいだろう。
●過去も未来もない。今ここしかない → 普通に過去現在未来がある、に戻す。
●時間は幻想 → ちゃんとある。
●あなたは人間ではない。ひとつの意識しかない → 他人はおり、皆にそれぞれの心がある。
●この世界は幻想 → リアル
●エゴなんて、生活上いちいち考えない。マインドとハートに分けて分析しない。
●執着しない → したければする。結果得れなくていい覚悟で欲しがる、とか器用なこと考えなくていい。
●瞑想 → したくなかったらしない。したくなくても頑張ったら何かつかめる、なんて期待して無理に頑張らない。
一言でぶっちゃけると、フツーに生きろ! ってこと。
この場合のフツーってのは、人から聞いた基準じゃなくてあなた自身が「やりやすい・生きやすい」基準で生きる、ということ。それがスピリチュアルで言っている基準と一致するなら仕方がないが、そうじゃない時に、無理にそちらに合わせなくてもいいですよ、ということ。
筆者の中では、シンプルプランはすでに発動済みである。
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