Endless Waltz

 よく聞くことがある。

 そんな生き方では、死ぬ時に未練が残りますよ。死ぬ瞬間に、しまったと悔やむことになりますよ。

 ああしておけばよかった、こうだと良かった。自分は選択を誤った、残念だ。

 このように生き方がテキトーだと、流されるように生きていると——



●死ぬ瞬間に、後悔しますよ。



 そう脅してくる自己啓発や宗教、スピリチュアルがある。

 筆者は思った。本当にそうだろうか?

 これから書くことは、まだ死んだことのない(幻想としては)私が書くものなので、「死んだことのないヤツに死のむこう側を語る資格はない!」とおっしゃる方は無視してもらって構わない。私も、正しいという前提では書かない。

 ただ、全ての人にではなくとも、今必要な人にとっては有効なメッセージであるとも確信している。

 そのつもりで、お読みいただきたい。



 死ぬ瞬間というのは、もちろん完全にではないが肉体外の世界に橋渡しができた瞬間である。ある種の「悟り」のような状態が訪れる。

 それはもちろん、それは我々がこの世界で言う(釈迦やイエスが至ったような)悟り、つまり覚醒体験とは違う。

 具体的には、ある人間キャラがこの世ゲームを終了する(死ぬ)時には誰もが感じれるもので、ゲーム終了時に結果としてのスコアや順位が確認できるのと似ている。ああ、ここまでやったか、という。

 この時の感覚というのは、ある種の深刻さとは無縁になる。

 生きて、こちら(ゲーム世界)側にいる者は、かわいそうな死に方をした者を見たら「痛かっただろうなぁ。苦しかっただろうなぁ。さぞ、無念だろうなぁ」と勝手に想像する。でも、それはまだ死というものがかなり先の人間の、まったく見当違いの妄想である。

 今まさに死に至ろうとする人には、一瞬宇宙のからくりが種明かしされる。

 この瞬間だけは、プレイヤー意識(この世界の仕掛人)が垣間見れる。ああ、壮大なゲームなんだなと分かる。だから、この瞬間には誰でも後悔などはなく、安らぎを感じる。生前の行いには関係なく。



 マリオが死んでゲームオーバーになって、数日「わぁ~ん、マリオが死んだぁ!」 と言って泣き暮らす人を見たことがない。三日程度の喪中期間を経て、涙が乾いた頃にやっと「もう一度マリオに挑戦する元気がやっと湧いた」ってなことで、ゲームをやっと再開するだろうか?

 ゲームキャラが死んでも「あ、死んじゃった~」程度で、「ほなもう一回!」と、重苦しさのかけらもなく、結構さわやかにコンティニューするのではないか?

 今は家庭用ゲーム機が普及してしまったので、ゲーセンでわざわざコイン入れてゲームする人にしか分かりにくいかもだが、お金をかけてやったTVゲームのワンプレイには、例えゲームオーバーになってもお金かけて真剣にやった分、そこに「ああ、遊ばせてもらった。楽しかった」という気持ちは残るものだ。



 でも、この世の秘密を知り、至福を味わった後には、残念ながらそこの部分に関しては映画のMIB(メン・イン・ブラック)に出てくるようなニューラライザー(記憶を消す装置)を使われてしまう。

 天からのプレゼント覚醒の効力は一瞬で、その後はまた普通にキャラを変えてコンテイニューするか、すぐにはゲーム開始せず、あちら(皆さんが霊界という名で呼びたがる別次元)で過ごすか。一瞬ゆるされる目覚めは要するに、気持ちよく次のステージに行くための「気付け薬」みたいなもんかな? 

 再びゲームをするのに、宇宙のからくりの完全な理解はあっちゃ余計でしょ? しかも、これまでのゲームプレイの現状や、これからの設定を選んだ経緯もできるだけ知らないほうがさらにいい。スリルや没入感が違うから!

 分離意識が、シラフで大真面目に人間キャラを演じ続けられるのも、飽きずにコンティニューできるのも、このおかげだ。ゆえに我々は、絶対に「イヤな、胸糞悪くなるような気分で」仕方なくケイゾクを決定するのではない。誰もが、次のゲームへは「気分よく」出発する。



 今日、一番言いたいこと。


 

●どんな人生だろうが、死ぬ瞬間に後悔はない。



 ゲーム頑張ったなぁ、大変だったけど楽しかったなぁ。

 そう思える。だから皆さん、心配するな。

 死ぬ時に後悔しないように、なんて力んで生きなくてもいい。伸び伸びやればいい。宗教やある種のスピリチュアルが脅しても、気にするな。



 死ぬ時に後悔しないためにも、~を知りましょう。

 ~を受けましょう。~コースを体験し、マスターしましょう。

 そういうのは、無視。絶対、何を選んでも後悔しないから。

 もうね、あとあとの心配を動機として人生の選択をするのはやめな。得をするため(来世に持ち越せるアドバンテージを気にして)今を生きるのをやめな。

 死を意識したり、後々のために今を使うのを「打算」って言うんだよ。

 例えば、プラモデルを組み立てていくようなワクワクがあるなら、何かの未来完成図を思い描いて今を組み立てていくのはいい。しかし、完成させること自体を至上目的とし、今の成果を評価しもっとこうあるべき、などと自分を(他人を)評価しだしたら、行いに義務感が欠かせなくなったら注意信号。

 ただ、好きなものを選びな。



●神(神意識・プレイヤー意識)は、つくづく物好きだ。

 完全性をとりあえず封印してさえも、この変化の次元に飛び込んだ。そして「終わらない歌」を歌っている。

 我々は、個の人間キャラを越えて無限に生き続ける。この宇宙における生のループを。とりあえず、今この時点ではこの顔で! (綾小路きみまろ風に)



『永遠のゼロ』という映画で、最後特攻で死んでいく宮部久蔵(岡田准一)が、ニヤッと笑うシーンがある。その意味は、ここまでお読みくださった皆さんなら、お気づきだろう。

 彼は決して、子どもにも奥さんにも会えず特攻で死ぬことになった、悲惨な人物などではない。生きているこちら側にいる我々にはかわいそうに、痛ましく見えるが、一方の本人は最後宇宙の神秘を知って、自分の命の意味と正体を垣間見て、そこにくつろいだのだ。

 あなたも。あなたにとっての、すべての人も。

 心配しないで。皆幸せに旅立っているから。

 もちろん、死後の選択は色々である。でも、橋渡しの瞬間においては皆至福。

 もちろんその至福は、もう死んだ次の瞬間には忘れ去っているものなのだろう。でも、あなたは魂の奥底では理解している。その見えない信頼が、あなたをこの世ゲームにチャレンジし続けるようにつなぎとめている。

 プレイヤー意識の手に委ねることをさせている。

 


 さて、つかの間結構考え事をしたね。

 それじゃあ挑戦者よ。また、歩き始めようか。

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