100%自分原因説の誤解

【100%自分原因説とは】


「思考は具現化する」という考え方のもとに、いま自分の目の前にある現実は、すべて自分の思考が創りだしたものであり、逆に自分が望む現実を自由に思考することさえできれば、思い通りの人生を手に入れることができる、という考え方。



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 これは、非常に危険な考え方である。

 というか、思いっきり的を外している。



 例えば、日本に住んでいる人は、日本の法律や常識に従って生きている……はず。これ、アメリカの法律ではOKなんだけど? と言っても、日本にいてダメなものならどうしようもない。

 日本に住んでいる者には、他国の法律がどうでも関係がない。それと同じことが、100%自分原因説にも言える。今日の問題のキーポイントは、「どの視点からこのテーマを考えるか」にある。



 この世界は神意識(あるいはワンネス、というひとつの大いなる意識)が生みだした、という意味では100%自分原因説は正しい。なぜなら、我々の正体がまさにそれであり、ワンネスそのものだからだ。そういう切り口では『100%自分が作っている』と言ってもおかしくはない。

 でも、ここでひとつ問題が生じる。神(意識)がその完全な神の自覚のままでは (完全な神が神の自覚のままでは)、二元性世界ゲームが面白くない、という問題である。そもそも存在自体が完璧なので、怖くないし完璧にやりおおせてしまう。

 だから、神(意識)はあえて自らの完全なる知識……アカシック・レコードに『アクセス禁止』をかけた。そうすることで神であることを忘れ、ゲームに没頭しハラハラできるようにした。

 そういう、限定的・有限性のある仮ゲームキャラとしての神(我々人間)は、「意識的にすべてをつかさどることができない」。コントロールできない部分をあえて持っているのが我々である。

 それを証拠に、人生ってままならないでしょ?



 引き寄せや、100%自分原因説を用いて、起こることを完全コントロールできている人なんているの? いないはず。

 私はそうです! という人がいたら、バカか嘘つきのどちらかである。または、どうしても意識の操作ではうまくいかない部分があるのに、あえて見ないようにしているかである。

 釈迦は、ダイダバッタという弟子にひどい目に遭わされた。その最後は毒にあたっての残念な死だった。キリストは、弟子に逃げられ裏切られ、最後は無実の罪で十字架刑に処せられた。

 この二人は、意識面・精神面においては誰もが 「最高の高みにいた」 と認める聖人である。その二人をして、意識のありようでそのようなことを回避できなかった。

 まさかあなた、釈迦とキリストが 「最初からそのような目に遭いたかった」とか、バカなこと言わないよね?

 キリスト教は、何とそこを 「イエスは十字架にかかるため生まれた」 とか言っちゃうんだけども。



 この世界は、「ゲーム」に例えられる。

 皆さん。ゲームって、全部自分が作ったものしかやりませんか?

 そんなことはないでしょう。自分で全部ゲームを作ってやる人はいません。

 ゲームプログラマーはいるでしょうが、自分が作ったゲームなど隅から隅まで理解しているがゆえに、ハラハラドキドキして楽しむことができないでしょう。

 そのプログラマーだって、ひとりで好き勝手にゲームを作れるわけではありません。ゲーム会社の色々な部署の協力や干渉があるはず。消費者のニーズだって研究して参考にするべきだし、デザインアートに関してはプログラマーより優れたグラフィックデザイナーがいる。そっちにお任せする部分もあるはず。



 だから、私たちは自分の人生を100%作ってなどいない。

 それどころか、ほぼ作っていない。

 我々はゲームキャラであり、役者である。コントローラーから伝わってくる信号に従って、画面の中で動いている。しかも、その電気信号によって動いているのを『自分の意志で動いている』と思い込んでいる。

 役者は脚本どおりに演じているにすぎないが、本番では自分が 「まさにその人物になりきって」 全力で演じるじゃないですか。

 全部、自分の意識の在りようによって左右できるなんて考えているなら、あなたは「サンタはいないのに、幼少時代にいると思っているのと同じレベル」。

 でもまぁ、それも夢があっていいよね!

 自分がこのゲーム世界で、自分の意識の指向性どおりに物事がすすまない、というふうにあえて面白くするために確信犯的にやっていることを含めて意図的だ、という視点では、確かに100%自分(=正体が神意識) 原因説は正しい。でも、人間意識で生きているこの世界では、そんなこと考えてもしょうがないのである。

 考えたところで、絵にかいたモチなのだ。100%自分が原因だと考えても、役に立たない。だって、覚えがないのだから! ここが一番致命的。

 誰も嫌なことなんて起こってほしいとは思っていない。

 日本人で、男で (女で)、この親に生まれて、この性格で、この容姿で……全部、自分で意識的にそんな風に願った覚えはありましぇええええん!



 100%自分原因説は、単に役に立たないだけではない。

 人によっては、「自分を追い込む」 材料になり得る。

 だって、全部自分に責任があるのだとすれば。意識のありようによって、どうとでもなるのだとすれば。心の願いの通り、イメージングの通りうまくいかないということは——



●自分のやり方が、どこか間違っている。

 もっといいやり方がある。

 自分が、それを分かっていないだけ。



 じゃあ、もっと頑張らなきゃ。

 一番いい 「意識操作」 の方法をつかまなきゃ!

 だって、100%自分が生みだしているんだから!

 私からすれば、どんな格好よく素敵な理屈でも、「自分がいまここにおいて不十分である。やりようがあるのに、そうできていない」という気分にさせるなら、それはゴミほどの価値もない。

 この考え方では、うまくやれる人とうまくできない人、が宿命的にどうしても生まれる。永遠に、これを克服することはできない。

 うまくやれる人が優越感に浸れるというだけで、すべての人が幸せになれない。これでは、せっかくのスピリチュアルがただの選民思想だ。



 100%自分が原因、というのは究極の観点でのお話。

 完全なる神(意識)であることにアクセス禁止(記憶喪失状態にする)をかけて、そもそも前提として障害や問題のある 「ゲーム」 というものを楽しみに来たのだ。だから、ゲームキャラとして挑む我々は、人間自我意識では 「自分の作った覚えのない舞台設定、意図した覚えのない出来事」に立ち向かっていくことになる。その世界観の中で、「全部あなたが作っているんだよ」という理屈は、屁ほどの慰めにもならない。

 アメリカの法律は、遠く離れた海外のもの。そんなもの、日本で通用しない。



 では、今回のまとめ。



①100%自分原因説は真理ではないが、まったくの間違いというわけではない。合っている部分もある。

②でもそれは究極次元においての話であって、三次元人間ゲームにおいてさほど意味を持たない。 

③神(意識)が人間ゲームをしてるので、認識にズレが生じる。「自分は(この現状をわざわざ願って)作った覚えがない」という。

④さらに、人生(エゴの)思い通りにいかない。そうならないのは、この考え方だと自分のせいになる。

⑤だから、うまくいくように頑張る。でもできないとき、自分はダメだ、となりかねない。

⑥この世界ゲームは、そもそも障害や問題があってなんぼ、であることが分かっていない。

⑦だから、意識の力で「問題をなくそう」とする。でもなくならない。それはさならがら「ゲームでそもそも敵を出て来なくしようとする」のに似ている。

⑧スピリチュアルは問題を解決するためにあるのではなく、問題ととらえないためにある。

⑨意識の力で起こることをコントロールしよう、という発想が土台間違っている。そんなことできない。傲慢な姿勢である。



 我々にできるのは、 「今という瞬間の連続」を味わい楽しむことであり、その連続の結果として「いいことが起こる」。それをある視点で見たら「心がけが(意識のありようが)良かったから、こういういいことが起こせた、あるいは引き寄せられた」と解釈することも可能だが、それは勝手な意味付けである。

 あなたの意識と、起こることの間にはほぼ関連性がない。たとえあっても、それは次元を超えたゲームマスターの胸の内にしか分からず、我々には分かりようがない。

 キリストがマリオをやったら、クリボーやクッパがひれ伏して、簡単になるか?

 釈迦がマリオをやったら、穴がふさがって落ちなくなるか?

 プレイヤーの心がけがいいから、問題や危険性が減るということはない。ゲームは、人格者がやろうが悪人がやろうが、プログラム通り問題は公平にやってくる。

 100%自分が原因だの何だのって言っても、このゲーム世界ではどうしようもない部分があるのだ。



 自分を 「もっと意識の持ちようがあったのに! そうしたら、この事態を変えられてたかもしれないのに!」なんていじめたりしないで済むためにも、100%自分原因説のとらえ方を見直されることをオススメする。

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