まぁ、急ぎなさんな
以下のお話は実話である。
まだ、第一次世界大戦突入前くらいの、昔のアメリカでの話。
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農場で働いていたシングルマザーが、毒蛇にかまれた。その毒蛇に噛まれたら、血清を打たないでいると30分~1時間くらいで死に至る、という。
医者のところへ行くにも呼ぶにも時間がかかる。ここは市街から馬車で一時間半以上も離れた場所だ。当時は電話も一般には大して普及しておらず、電話で医者を呼ぶということができない。
そして、他人に助けを求めようにも、折悪しく近くに誰もいない。子どもたちは学校で、近所といっても隣家は数百メートル以上離れており、大声も出ない。
要するに、もう手の打ちようがない、というわけだ。ジ・エンドである。
その女性は、死を覚悟した。
さて、覚悟を決めてからのその女性がすごかった。
どうせ死ぬのだから、学校へ行っている子どもたちが帰ってくる前に、せめて夕ご飯を作ってあげてから死ねればと考えた。その一心で、女性は体を動かした。
夕ご飯はできたが、まだ死ぬ感じではない。そう言えば、そろそろ子どもたちの冬物の服を出してあげないといけないが、修繕が必要な服があったな……と、力を振り絞ってお裁縫を始めた。
その次には「立つ鳥跡を濁さず」で、死ぬ前には家をきちっと掃除しようと思い掃き掃除と床の拭き掃除をした。なんだかんだで、結局彼女は思いつく限りのすべての用事を済ませてしまった。
それまでは「死ぬ前にこれだけは」と思って必死にやっていたので気が付かなかったが、とりあえずすることがなくなって、我に返ってみて気が付いた。
●あれ?
私、いつ死ぬんだろう?
とりあえず、医者には行っとかなきゃと思い、遠い町医者を目指した。
彼女を診察した医者は、ビックリ仰天した。確かに、彼女が毒蛇にかまれたというのはウソではないようだ。その種の蛇特有の噛み痕が鮮やかに残っている。なのに……元気そうというところまではいかないにしても、普通に生きてるなんて!
様々に検査をしたが、彼女がなぜ助かったのかについて明確な理由は見いだせなかった。医師は、証明のしようがないがひとつの仮説が考えられる、と言った。
『あなたの「何が何でも~をしたい」という強い意志が起こした奇跡だと思えます。
人の意識の力は、何よりも強力です。あなたが「死」を意識するよりも「これだけはするぞ」ということに最大限の意識の集中と全エネルギーを注いだので、体は主人であるあなたの意識に従い、その間に体の新陳代謝機能に奇跡が起きて、全力の労働の間に毒素が追い出されたのでしょう』
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今日の教訓。
●問題に、真正面から取り組まない。
問題など置いておいて、自分のしたいことをする。
その間に、自然に問題が問題でなくなっていることを発見する。
まず、あなたのエゴが気にしているある状況を「問題」と定義するところから、問題は始まっている。問題を問題としない、ということができれば簡単なのだが、いきなりそうもいかない方も多いだろう。そこで、二次的解決策がモノを言う。
問題を、放っておく。
状況によってはそうもいかないこともあるだろうから、問題に注ぐエネルギーや時間配分は最小限でいい。(社会的礼儀的基準の最低限は守る)で、あとはイヤなことは忘れて、できるだけ気分が「快」になるような時間を多くする。
たった、それだけ。それだけで、問題にガチに取り組んで出る成果なんかはるかにしのぐ現実的、精神的利益を叩き出せる。
私などは、陰陽の変化の幅の中のどの位置も同価値で、問題と見たり嫌だと見るのはエゴの錯覚と分かっているので(もちろん、錯覚と見抜いているというだけの話で、決して嫌と感じない、というわけではないことに注意)、最終何の問題もない。
でも、「問題を問題ととらえない」というのは、魂の旅が進んだ者の使える高等技術なので、皆さんにおいては「問題にはかまわず、それ以外のワクワクすること、情熱を傾けられることにフォーカスする」ことが推奨される。
そうしている間に、気が付いたら、問題が消えている。
消えているというより、問題自体は存在し別に消えたり小さくなっているわけでも何でもないが、もっと別の素晴らしい事柄がその問題などかすんでしまうような大きさに成長したので、何ほどのことでもなくなる、というのが正確だろう。
人間の大きさなら、戦う相手は脅威だが、あなたがウルトラマンサイズまで大きくなってしまえば、相手の大きさが元と変わらずとも、問題ではないはずだ。踏みつぶせば、おしまい。
●だから、問題に対してそう焦りなさんな。
焦って、嫌な気持ちで過ごして、何か得なことがあるんだったらいいが、ない。
同じそういう問題があるという時間を生きねばならないのなら、気分良く生きる方がいいし、その時間を自分の魂が一番喜び納得することに使うほうがいい。
でも結果的には、それこそが「最善の解決法」となっているのだ。
問題があって焦るのは、エゴの勘違いからくる恐怖が原因である。神であるあなたの外の問題が、あなたを脅かしあなたの価値を損なうことができる、という勘違い。
たとえ勘違いに過ぎなくても、神がする勘違いなので、その幻想にすぎない対象に、大きな力を付与する結果になる。問題が、実際の大きさ以上に怪物化する許可を、あなた自身が与えているのだ。
それに気付いた者から、問題の大きさが実は光を当てて生じた巨大化した影に過ぎないと気付いた者から、いわゆる「幸せ」になっていく。
何度も言うが、幸せの本質とは、あなたの人生に具体的に良いことが起こったり良い要素が増えたり、ということに依存するのではなく、「あなたの物事のとらえ方」だけがカギなのだ。見方さえ変われば、現実などがどんなに化けようとも、そこから受けるダメージは激減する。
あなたも、問題のことなんかできる範囲で忘れて、気持ちよく楽しく「今」を過ごしてみませんか?
自分が一番やりたいことに時間と力を使う許可を、自分に与えてあげませんか?
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