恵みはいつもあなたの内に

 まずは、以下の物語を読んでいただきたい。



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 ある農家の夫婦が、引っ越してきた。

 前にいた土地が不毛の地で、開墾の努力も空しく不作だったのだ。

 彼らは、新天心地を求めて、人の住まないこの地にやってきた。



 土地を耕し、畑とし、種をまき——。

 雑草を抜き、手入れをし、その他様々な努力を成した。

 しかし。思うような収穫を得ることはできず、生活は困窮するばかり。

 夫婦は、2年は頑張った。

 だがついに、その地で農業を続けることをあきらめた。

 そして、また別の土地を求めて去って行った。



 数年後。

 夫婦が去っていった土地から、石油が出た。

 農家の夫婦がいくら頑張っても、作物が出来にくかった理由。

 それは地下の石油が土に染み出し、作物に悪影響を与えていたからなのだ。



 農業という枠にとらわれていた夫婦は、悪い土地だと決めつけた。

 見方を変えていれば、実は恐ろしいまでの財産がそこに眠っていたというのに。

 農業で得るよりもさらに莫大な富が眠っていたというのに——。



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 私たちは、自分の境遇を嘆く。

 でもよい物・よい人・よい出会いというのは案外身の周りにある。

 ただ、気付かないというだけ。

 物の見方を少し変えてみるだけで、恵みをつかむことは実はそう難しくないことなのかもしれない。



 必ずと言っていいほど、私たちは「ひとつの固定された物差し」で世界を見るクセがついている。そしてそのクセは、魂の乗り物としての私たちの体に頑固にこびりついている。

 先ほどのお話では、農夫という前提上、その行動枠(作物を育てること)を崩して発想することができなかった。農夫をする上で都合のいいことだけが「幸せ」であり、そうでないことが「不幸」であった。

 石油が出る土地のオーナー(石油王)になることは暮らしを豊かにするが、農業という枠に囚われていた人には「石油だ」というヒントがいつでも目の前にぶら下がっていたのに、まったく盲目だった。視点ひとつ変えれば、一気に世界が変わるというのに! これまでが何だったのか、と思うほどに。

 筆者が本書で伝え続けているのは、「視点の変化」である。

 そのために、特別な努力はいらない。ただ、どんな自分も(外部の世界も)受け入れて、リラックスするというだけである。この内容以外に、ぶ厚いスピリチュアル本など本来はいらない。



 そう考えれば、いわゆる「覚醒体験」など要らない。

 もちろん、起こるなら起こっていいが、起こるべきとか起こってほしいとかまだかとか、そんな風に覚醒ということが「執着」になるなら、かえって邪魔なのではないだろうか?

 私は、覚醒のおまけとして視点の変化を身につける者よりも、そんなものなしに「視点の変化」を意図的に操ることで幸せを得ている人の方が、人間的は「スゲー」と思う。

 覚醒という意識状態は、覚醒者だけの専売特許ではない。人工的な工夫で、同じ意識状態になれる。(厳密には同じではないが、そこを問うのは些末な問題である)

 だって、考えてもごらんなさい。



●人は皆、覚醒意識以外ではありえない。

 だた、それをホンネで認めているか認めれないかの違いがあるだけである。

 だったら、素地は十分ではないか。

 素のままで、資格があるではないか。

 


 覚醒体験がいるとかいらないとか、そういう白黒どっちかという議論は的外れである。だって、今あなたがそのようであるなら、それが一番の最善だからだ。

 その認識の下では、一切のできるできない・したしないの価値判断が色あせるものだ。

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