わらしべ長者

 むかしむかし、一人の男がいた。

 男は貧乏で、何とかしたいと観音様に願をかけた。

「どうか~豊かにしてくだせぇ~」

 すると、こうお告げがあった。

「このあと初めに触ったものを、大事に持って旅に出なさい」

 観音様から離れてすぐ、男は石につまずいて転んだ。

 その時、偶然一本の藁しべに手が触れた。



 男はお告げ通り、その藁しべを手に持って道を進んでいった。 

 しばらくして、大きなアブが男の周りを飛ぶようになった。

 狙ったように顔の周りばかり飛ぶので、うっとおしくて仕方が無い。

 そこで男はアブを捕まえると、藁しべの先に結びつけ、飛ばして遊んでいた。

 すると、大泣きしていた男の子が、アブが結び付けられた藁しべを面白がった。

 男の子はあれ欲しい、欲しいとしきりに言うので、母親がこの子にそれをあげてくれないか、という。お礼に、ということで男は代わりにみかんを受け取った。 



 さらに歩くと、のどの渇きに苦しんでいる商人がいた。

 商人は男が持っていたみかんを欲しがった。

 持っていた上等な反物との交換を持ちかけてきたので男はみかんを譲り、反物を手に入れた。



 一本の藁しべが上等な反物に代わったと喜んでいた男は、侍に出会う。

 乗っている馬が急病で倒れたが、急いでいるために馬を見捨てなければならない状況にあった。

 侍は家来に、役に立たない馬の始末を命じ、先を急ごうとする。

 かわいそうに思った男は、侍の家来に反物と馬の交換を迫る。

 家来は反物を受け取り、そのまま侍の後を追っていく。

 あとで男が水を汲んで馬に飲ませたところ、馬は元気を取り戻して立ち上がった。

 男は馬に乗り、旅を続けた。



 道を進んでいくと、大きな屋敷に行き当たった。

 ちょうど旅に出かけようとしていた屋敷の主人は、男に屋敷の留守を頼む。その代わりに、馬を借りたいと申し出る。主人は三年以内に自分が帰ってこなかったら、この屋敷を譲ると男に言い出す。

 男は承諾し、主人は馬に乗って旅に出発した。



 3年待っても5年待っても主人が旅から帰ってくることはなかった。

 こうして男は屋敷の主人となり、裕福な暮らしを手に入れることができた。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 この物語には、豊かさへ至るヒントが隠されている。

 まず、最初の「観音様にお願いしたらお告げがあった」という部分。

 ここは、気を付けないと「自分には豊かになる力などなく、自分より高次な存在(神)にすがることで、幸せになる」という、宗教によくありがちな方程式——


 

●信じる者は救われる



 こうとらえるのは、すべてに良し悪しはなく同価値とはいえ、私はオススメしない。信じれば救われるのではなく、どうかが重要である。

 頑張って信じても、仕方がないのである。なのでここは、こう受け取っておけばいい。



●ハートの声(ホントは自分)の声に耳を傾け、素直に従うことで物事がうまく運んでいく。



 最初はわら。そのあと、あぶ→みかん→反物→馬→屋敷。

 面白いのは、こんなことは「予測不能の展開」だということ。どんなに頭のいい人でも、この展開は論理的思考では考え付かない。

 この世界では、思考を使う。願望のかなえ方、人間キャラでは分かりようのない未来まで思考を使って予測しようとする。ひどい場合、疑いなくその思考の筋道通りになると思っている場合がある。

 人は学習した知識や経験で先を読み、その通りになることを喜ぶ。もちろん、それは許されたゲームの楽しみ方のひとつではある。でも、これからの時代はエゴや思考など、自分の思い図れる範囲のことが実現した程度のことを喜ぶ時代は、次第に終わる。

 じゃあ、どうなるかというと——

 


●思ったり予想した以上のことが起こる



 筆者は覚醒体験を経てから、自分から何かを考えてやろうとしたことはない。

 今しているように、スピリチュアルなメッセージを執筆すること以外は。でも、それだって結局心に湧き上がってくるものに従っているに過ぎない。

 講演会も個人セッションも、望まれなかったらやることはなかった。それは覚醒体験前にはまったく思い描けなかったことだ。

 最初は、わらだった。こういう発信を始めたころ。

 わらが次に本当により良い何かになるのか? そんな心配はせずに、わらにアブをくくりつけて遊び、リラックスしていた。決して楽な生活ではなかったが、遊び心で生きることができた。

 そのうち、講演会や個人セッションを依頼されたり、最後には著書を出版することもできた。これは言ってみれば、わらしべ長者がどんどんモノを交換していったようなことが起こったわけだ。

 私はその期間、未来に何も望まなかった。それ以前に、今が楽しすぎて今じゃないことを考えるヒマもなかった。

 きっとわらしべ長者も、今持っているものがまた何かに替えてもらえるなんて、考えてなかっただろう。観音様の約束はボンヤリ考えていたかもしれないが、基本的に気分よく歩いていただけだと思う。今、という空気を吸い味わいながら。

 何も先を考えない、計画も練らない狙わないでは、大丈夫なのか? と心配になるかもしれないが、そこは大丈夫。

 私が保証する。

 皆さんも、もう少し楽に今を生きてみませんか?

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