その都度真理
私の腕時計が、壊れた。
都合8年ほど連れ添った、愛着のあるG-SHOCK。ソーラ時計だからいつまでももつような錯覚に囚われていたが、最近止まってしまうことが多くなった。
時々、思い出したように正確な時刻を示すが、それでは腕時計の意味がない。正確な時刻かどうか、くじ引きのような時計なんて……(笑)
『古畑任三郎』という懐かしい名ドラマがある。そのドラマ内の世界の架空のTVドラマで「ブルガリ三四郎」というのがあって、ウケた私はずっとその単語が頭の中に残っていて、その影響からブルガリの財布を買った私は、また今度も『ブルガリの時計』を連想した。
でも、私はその妄想をはたきで追い払った。あれ、安いやつでも50万、そこそこなものなら100~200万するの。そんなもの買おうものなら、奥さんがだまっちゃいない。ウチは決して裕福な方ではないのだ。
ともかく腕時計は必要なので、私は時計店へ足を運んだ。
それまでの筆者限定の金銭感覚として——
●腕時計なぞにかけるお金は、2~3万程度
MAXでも、5万
そういう前提があった。
筆者今までしていたG-SHOCKは3万円。この3万の時計でも、過去に持った中で最高額である。でも、店内を眺めている内に、目に入った銘柄があった。
それが、CASIOの『オシアナス』という銘柄(シリーズ)だった。
なんせ、理屈は抜きで、ビビッときた。(神田正輝に惚れた松田聖子みたい……)
そして、所々あしらわれているマリンブルーに淡く光る細工。これがカッコ良くて、なかなか見飽きない。
で、値段を見ましたら——
15万ナリ。
「ななななななななななななななな」
ブランド時計みたいな高さではないとはいえ、5万で予算を考えていた私はビックリ。でも、最後にはその時計が放つ波動というか、引力が勝った。
さっそく腕にはめて帰ったが——
「か、軽い!
う、薄い!(感動)」
今まではゴツイ塊りが手首に乗っている、という感じだったのが、これがウソのように軽やかだ。ほぼ、重さを感じない。で、厚みもそれまでの半分以下。
薄く、軽くできる技術の分が、値段に反映しているんですって。なるほど、納得。
時間は幻想ですけど~(汗)、時間を確認するのが楽しくなってしまった。
成金趣味とかそういうことではなく、やはり良いものは良い。
筆者が現在の活動を始める以前は、生活が決して楽ではなかった。その時の私なら「もったいない」「そんなもの買うくらいなら浮かしてもっと必要なことに」と思ったことだろう。
時計を買って帰った私の心は、実にすがすがしかった。やっぱり高い買い物だった……なんて否定的に考える気持ちはこれっぽっちもなかった。
見れば見るほど、良かったとかいい買い物したとかいう思いしか湧かない。ああ、その辺は私も変わったなぁ、という感想をもった。
で、今回の教訓。
●すべての人に、いつだって通用する真理などない。
あるのはたた、『その都度真理』のみ。
先ほどの話で言うと、私は「本当にいいものなら、素敵な波動を発するものなら(もちろん、買いたければ)買いだ」という真理を今生きている。
でもそれは、経済的苦難の時代にあっては、したくてもできないことであった。ってか、自然の摂理で「そうしたいとも思わなかった」。
私はその無名で極貧の時期、ただスピリチュアルな発信ができること自体を楽しんだ。その時代は、それだけでよかったのだ。それが学びだったのだ。
豊かさ実現のメソッドなど真剣にやらなくても、自分がしたいことを喜んで実行するだけで今の私になった。イメージの中でこそ時々「豊かさ」を思い描いたこともあったが、物欲的なものはほぼ満たさなかった。
でも、こうして現在がある。で、今はその「できる範囲」で豊かさを味わえる段階に来た。だから、それに合わせて私の従いたい「真理」が変化したのだ。
無理をしてでも贅沢しろ、という教えがある。現実に関係なく心で喜んでそうする(ワクワクする)ので、結果時間差で現実が伴ってくるという考え方が引き寄せという分野にはある。
もちろんそれは、否定できない。実際そういう側面もあるにはある。
意識が先でその次に現象の創造だと考えれば、とにかく豊穣脳に自分を慣らす(贅沢が自然である、という感覚に慣れることで、そういう現実をクリエイトしていく)という方法は理に適っている。
でも、みんながみんなそうできるわけではない。その勇気が持てる人間だけ救われるのなら、それでは選民思想になってしまう。だから、皆がいつだって守るべき真理などはなく「その都度真理」と考える。
●実際に先立つものがない時には、お金に関して無理をしなくていい。
あなたにはまた、相応しい別の学びがあるのだ。安心せよ。
お金があるステージになったら、それはそれでふさわしい境地がある。それぞれの段階の問題なので、あえてあなたのステージに合わないことをする必要がない。
例えば、「喜びやワクワクに生きよ」というメッセージがあるとする。
「ホントそうですよね!」と思えて、そのメッセージが励みになるのなら、あなたの魂はそのメッセージの「対象年齢」に合っているのだ。中学生になって方程式や関数と出会うのと同じで、ちょうどふさわしい学びの段階なのだ。
でも、今現在自分にとっての喜びやワクワクが分からない人の場合、メッセージが励みにならないどころか苛立ちさえ覚える。
『どうせ私は、なにが喜びやワクワクかも分かってないですよーだ!』
そう反発されても、不思議ではない。
それは、小学生が中学生で学ぶような方程式や関数を突きつけられるようなものである。身の丈に合ってないので、消化できない。ってか、それ自体がどんなによいものでも、その段階ではない者には苦痛しか与えない。
私は、今回財布や時計の件を通して、変化した自分の感覚を味わった。しかしそれは、最初から私が知るべき真理として存在していたのではなかった。
決して、今の感覚がない昔の時点で、私が「まだ分かっていなかった」という評価は大間違い。その時は、それで最善だった。今は今で、流れの中でその都度「最善」。
決して、何かの絶対的物差しで、自分や自分の人生を測らなくてもいい。皆、あきれるほどこの「物差し当て」が大好き。
私に来る質問の9割は、「何かの基準が前提としてあって、そこから価値判断した上での質問」である。私はその前提を壊すので、いい顔をしない質問者もいる。
あなたも、スピリチュアル本に教科書のように書いてある内容を、頑張って消化しようとせずともよい。あなたが受け入れたいもの、心が踊るもの、苦しくないものだけを選べばいい。
皆さんの人生が、ひとつの正しさを求めるための人生の旅ではなく、その都度の変化を余裕を持って楽しめる旅路になることを祈っている。
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