豊かさとは、選択肢の多さ
以前の記事で、「私は願望に関して狙わない。具体的目標を立てない」という内容のことを言った。これに関してはもう少し説明がいるかな、と思う。
皆さん。過去にも触れましたが、『豊かさ』って何だと思いますか?
いろいろな表現がありますが、今回こう表現してみよう。
●すべてであること。
もう少しレベルを落とした言い方をすると、選択肢がひとつでも多いこと。
例えば、ある状況に遭遇した時、自分の意識状態や行動に関して選択肢がないのが 「貧しさ」。
不幸な目に遭ったら、泣くしかない。怒るしかない。嫌な気分になるしかない。
通常、他の選択肢はない。でもそれは、人間がそもそも神(意識)であるというスペックのことを考えたら、もったいない話である。でもそれが分からない今の世界では、皆選択肢に乏しい自分で、当たり前だと思っている。自分だけでなく、皆そんなものだと思っている。
そして、人格者や精神的に強い人、一部の聖者や成功者だけが『他のあり方を選べるすごい人』と勘違いしている。実は、あなたにもその力があるというのに。
もちろん、最初から気分よくいられる人、何も感じない人などいない。エゴに先手は絶対取られる仕組みになっている。だから念のため言っておくと、ここの議論では後手の選択の話をしている。
目標を定めるという行為、そしてそこ目がけて邁進する行為というのは、例えて言えば「的を絞って矢を放つ」ようなもの。
そこに視点を固定して、まっしぐらに進もうとするようなもの。やってみたらいいと思うが、弓道で的を射る時、的以外のものは視界の中でぼやける。なぜなら、狙っている的の中心に視点を集中させるからだ。
視点(顔の向き)を向こうの一地点に固定して、歩いてみるといい。脇の道端にきれいな花が咲いていても、目にとまらない可能性が高い。
これと同じことで、具体的な目標を定めると——
●その範囲でしか、物事が起こりにくくなる。
Maxが、目標がかなうという内容に設定されるからだ。最高でも、目標それ自体。
でも、ここがゲーム世界であることを考えれば、自己責任以外の様々な不確定要素(外部からの力の干渉)により、手堅く最高をゲットできる可能性は高くない。たいてい、目標より下のことに落ち着くことになる。
だって、宇宙の王としてのその人が、好き好んで細かく決めるんだもん。もっと意外なこと、予想もしないすごいことが起こってもいいのに。
先ほど、豊かさとは選択肢がひとつでも多いことだと言った。
具体的で細かい目標設定は、ハッキリ言って選択肢をせばめる行為である。その目標しか見えなくなる。その周囲にどんな横道があっても、他の可能性が見え隠れしていても気付けない(認識できない)ので、黙殺する形になる。
しかし。的を凝視するのをやめたら、どうなるか?
あなたが射たいと思っている的よりも、もっと魅力的な的があるのを見つけるかもしれない。風景を楽しんでゆっくり歩いていたら、道端にきれいな花が咲いているのに気付くかもしれない。足元にお金が落ちていることに、気付くかもしれない。
誤解の無いように申し添えておくと、何も「願望や目標を持つな」ということを言いたいわけではない。例えば、役者になりたい、スポーツ選手になりたい、音楽家になりたいとかそういうのは構わない。
子供はよくやるでしょ。「将来、パイロットになりたい」「宇宙飛行士になりたい」とか言ったりね。子供のころは、良い意味で「データが少ない」ので、目標に現実の厳しさや打算や利害など、具体的な戦略という要素が入らない。
おおざっぱな憧れや願望は、フーカスにはならない。そこにあるのは、ワクワクエネルギーがほとんどで、どうやってなろうとか何が要るかとか計算機をはじかない。大人でも子どものようにこれができる人がいる。
(かなうかなわないにこだわらず、純粋に意図する。願う)
ただ、大抵の人は、純粋な願望だけでなく、そこに付随するものの方に比重を置いてしまう。例えば、小説家になりたい、という時たいていの人は単純に「ものを書けることがうれしい」とだけ思っていないはずだ。有名になること、本が売れて金持ちになること。それがひっついていないはずがない。そうでなければ、バカバカしくて目指さない人もいるだろう。
また、マーケテイングの一環として「今どういうものが流行っているか、時代は何を求めているか」をまず考え、自分が書きたいものというより先に「売れるもの」を書こうとするような創作態度は問題だ。
そういうのは、まずうまくいかない。
私が目標を立てるな、と言うのは「思いやり」である。
なぜなら、目標を立てる時たいていの人がやってしまうことがあるからだ。
●目標を立てた以上、それは達成されるべき。
できないとすれば、自分の何かが悪い。
目標が達成できない、ということはあるべきではない。
これ、選択肢が乏しい状態である。
「目標達成」という道以外その人にはあってはいけないからだ。
これより豊かなのは、「失敗があってもいいし、やめて他のことをする可能性があってもいい」という状態である。もちろん、最初から頑張らないのではない。目標に向けて頑張って、それでできなければ「それも最善」としてくつろぐのである。
決して、失敗した時に「このダメダメな私! なんでちゃんとできないの?」などと自分を責めない。
目標を決めて目指す時に、「できないという可能性」に関して、腹をくくる (決して最初からあきらめるのではない!)ということができる人なら、やってもいいと思う。
でも、大概の人は 「目標である以上、達成すべき」という『べき』エネルギーで頑張ってしまうから、だからやめとけと言うのである。よくいるのが「何が何でも信者」という人種であり、彼らにとっては「ダメでもいい」と考えることなどあり得ず、それを達成する以外ないんだ、とまで自分を追い込むことでしか最高の力が出せないと信じこんでいる。そんな悲壮なやり方より、「楽しむ」「リラックスする(力を抜くという狭い意味ではない)」ことの方が力を発揮できるのに!
私は、目標を設定したことがない。
何が起こってもいい、と思っている。宇宙を信頼して、ゆだねている。
ただ、今やりたいと感じることを、先の見通しなど気にせずやり続けただけ。そうすると、自分が思い描きもしなかったような、意外な展開になっていった。思いがけないチャンス。想像していない奇跡……
もちろん筆者のやり方が正しい、と言う気はない。ただ私の宇宙(マイワールド)がこういうものです、と紹介しているだけ。
皆さんが宇宙の王として私の言葉を採用したいと思ったら、どうぞ。気に入れば、あなたのワールドに取り入れてくれればいい。
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