思考による判断は当たらない

『あしたのジョー』という不朽の名作マンガがある。

 ずいぶんたってから実写映画化まで果たした。

 マンガとアニメのほうのラストは、世界チャンピオンの『ホセ・メンドーサ戦』。このラストに胸を熱くし、涙したファンは多いことだろう。

 そもそも、いくら矢吹丈やぶきじょうが日本で強いといっても、世界チャンピオン・ホセはやはり最強だった。序盤、ほとんど勝負にならない。

 力量差はハッキリしていて、ジョーがどこまで耐えれるか、という感じだった。



 しかし、力量差を超えたところで、ジョーがホセに勝る。

 ホセには、ボクシングはあくまでも仕事だった。

 愛する妻や子ども、守るものがある。あくまでもそのためにボクシングをするのであって、それらをなげうつほどの意識はない。

 だが、ジョーは違った。彼にとっては、戦いこそが命そのものであった。ボクシングこそは、すべてを(命までも)懸けるに足るものだったのだ。

 それが、彼にとっての『血』であり、宇宙から与えられた脚本であった。



 ホセから殴られる一方のジョーは、目が腫れ上がりかすみ、視界がボヤけてきた。ちゃんと対戦相手を見ることすらできない。

 でも、ジョーは勝負を捨てない。気力が続く限り、パンチを放つのである。

 一方受けるホセは、涼しい顔で対処する。ホセは試合の中でジョーの戦術やクセ、タイミングなどを見切って、慣れていた。だからこの時も、計算し尽くした上で最低限の動きだけで、ジョーの攻撃をかわそうとした。

 しかしである。

 やがてジョーのパンチが、ホセの顔面をとらえる。今まで当たらなかったのが、ウソのように当たり出したのである。驚愕の表情を浮かべるホセ。

 ……な、なぜだ?

 なぜ、当たる? やつの動きはもう、見切っていたはずだ!

 これには、当てたジョー自身もビックリするが、やがてその理由に思い当たる。



 ポイントは——

『ジョーの目がもう使い物にならず、相手をハッキリと捉えられていない』

 そのことにある。つまりジョーが本調子で実力を発揮できる状態であれば、それはホセの良く知っているジョーでり、それならもう見切っている。

 データ収集及び分析済み。対策完了済み。だから、脅威でも何でもなかった。

 しかし。ジョーの目が本調子でなくなったということは、彼本来の狙いとはパンチがずれる形になる。相手を正確に読み続けていたホセからすれば、そのズレに対応ができなかった、ということだ。

 目がおかしくなり、本来のパンチが打てなくなったことが、意外にもいいほうに働いたのだ。



 これは、私たちの人生においても同じことが起こる。

 人はたいてい、経験や学習から収集したデータに基づいて分析・思考し、損得を計算して何らかの判断を下したり、選択をしたりする。感情よりも、多くの場合こちらを優先する。

 そして、その多くの思考的判断は——


 

●的を外している。



 もちろん、今の幻想ゲーム世界では、上記のような判断はよいとされる。だから、表面的には通用する。

 しかし、確かに問題は起こらないかもしれないが、それでは魂が本当の意味で満足しない。だから、社会で成功しながらも、一応の外から見た「幸せ」を手に入れようとも、ふとした瞬間に「ほんとうにこれでよかったのか感」「なんだかこれじゃないんじゃないか感」というものが残るのは、そのためである。



 ここでは、エゴというものが世界チャンピオンのホセに当たる。

 彼は、見切っているのである。あなたの思考程度の判断を。

 何も怖くない。自分を主人公として生きる生き方を忘れ去っている宇宙の王など、脅威ではない。だから涼しい顔で、私たちの日々の選択を嘲笑っている。

 よしよし。かわいいやつめ。その調子で、自分の本当の力を忘れていろよ——。



 ジョーは、そのままなら、世界チャンピオンに圧倒されて終わりなはずだった。

 だいたいの人の一生は、これまでその繰り返しであった。エゴに気付かず、振り回されていることも分からないで一生を終え、コンティニューモードを選び、輪廻し続けて生きた。

(もちろん、この世界にはそれをしに来たようなもので、別に悪いことではない)

 


 しかし。

 そのジョーが、目をやられた。

 目をやられた上で放つパンチは、ジョー自身の計算やセンスを無視した軌道・狙い・動きとなる。計算が完璧なホセが、そのような不確定要素の強いパンチを避けられなかったように、もし私たちが堅実な思考による判断(実はそれも主観で、本当に堅実だという保証はまったくない)を捨てたら?

 思考を鎮静化して、理屈や損得を超えた魂からの声に耳を傾けたら?

 計算せず、ただ無心に「本当にしたいようにした」としたら?



●それは的を射て、奇跡を生む。



 自分の思考程度の判断など、過信しなさんなよ、ということ。

 あなたがどんなに秀才で、成功者かどうかなんてどうでもいい。

 そんなことに関係なく、どんな頭が考えたのかに関係なく——



●思考パンチでは、王者エゴには勝てない。



 もちろん、勝ち負けではない(笑) 。

 ただ、エゴを超える、エゴをうならせる『宇宙の王』としての判断ができないだけである。エゴは、あなたよりも優秀なので、同じ土俵で勝負しちゃいけない。

 相手のデータにないもので勝負するのである。つまり『ハート』である。

 ハートは、エゴとは別次元のものだ。エゴのデータベースにないので、これを持ち出された日には『対応不可』。データ照合の結果「検索結果該当なし」と出てお手上げである。

 だから、どんなにあなたが知恵を絞ってデータを駆使して最高の判断ができたと思っても、エゴにしたら屁でもない。

 でも、魂の声に耳を傾けた判断に、エゴは驚愕する。エゴにしたら、損得をはじめとする外側の事情を先に考慮しないなんて、信じられないのである。



 もちろん、今回の記事のポイントは「目をボコられて潰されろ」というススメではない(笑) 。あなたが今しているその思考、その判断。それは、本当にあなたを幸せにするものでしょうか? という問題提起である。

 いくら立派に見えても、堅実に見えても、その判断は結局エゴの守備範囲であり、ただ現状維持を目的としたものとなっていませんか?

 自分の魂の輝きよりも、自分以上に他人や社会を神とした、恐れや損得に基づいたショボい判断では? そういうことを、少し思いめぐらせていただきたい。



 あなたが、肉眼の目で見るもの、そこからダウンロードされてくる情報の分析以上に『心の目』のほうにより信頼を置くとするなら。あなたは、最強の「この世ゲームファイター」キャラになれる。

 明日の「ジョー」は、あなたなのだ!

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