カンチガイサン

 今回のテーマは、『カンチガイサン』についてである。

 カンチガイサンとは——



●覚醒した! という思い込みから覚醒者だと自称している人。



 これ、結構いるのである。

 筆者が覚醒体験を経たのちにスピリチュアルな発信活動を始めてから、沢山の人と知り合いになった。その中に、たまさかそういう人に出くわす。

 覚醒したと思えば次に「人に伝えたい・発信したい」と思いが湧くケースが多いので、そういう人種はかなりの確率でブログなどの媒体を利用して情報発信をしていたりする。私自身も、ブログを始めたからこそこうして道ができたクチなので、そのこと自体はいいことだと思う。

 でも、「私も覚醒体験したんです! ブログもやってるんで、是非見に来てください!」と言われて、行くと——

 


●とても痛いことが書かれてある。

 ちっとも、胸に響かない。

 それ以前に、読んでて面白くない。



 …………。

 私は、何か悪い食べ物でも当たったかのような思いで、ページを閉じる。

 あるケースでは、たまたまその(自称)覚者さんも筆者と同じアメブロだったのだが読者数9人、って!(開始半年の時点で)

 私は、何も数がモノを言うんだ、という気はない。でも、覚醒者が「今ここ」にあるパワー・したいことを心からしているエネルギーがこの程度だと言っているようなものだ。「目覚め」に泥を塗っている。

 例えば、スポーツの試合で凡ミスをしても、これが体育の授業とか、休み時間の遊びだったら「どんまいどんまい」でゆるされる。

 でも、これがお金取って試合を見せるような「プロ」だったら。ただのプロではなく、プロの中でもランキングの上位だったら?

 そんなこと、あるべきではない。一流なら、最高のクオリティを、喜びをもって提供しようとするはず。また、それに比例した実績が現実でもある程度見えてくるはず。だから私はこの方が「覚者」を名乗る以上、厳しいが何かがおかしいと思った。



 ただ、一番良心的に解釈しようとすると、次のことも言える。

 覚醒者は、皆が皆講演会して、目立って有名人になるわけではない。

 ここ、あなたまさか前提として分かってない、なんてことはないですよね?

 でないと、アブナイ。覚醒者などという肩書で、芸能人並みに活動する者は氷山の一角にすぎない。覚醒したとしても、市井しせいの人としてひっそり生きるタイプの人も相当数いる。

 覚醒者になったら、有名人になれる! なんて幻想は捨てましょう。(笑)

 そりゃ確かに目立つタイプの人もいるが、その人の適性や使命にもよるのだ。

 だから、最初に紹介した「ブログ読者9名」の方の場合は「大衆の前に出て導くのとはまた別の使命があるのだ」と理解した。そのうち、こっち(大勢に向けて発信する)は向いていないことに気付くだろう——。



 せっかく、そのように良心的に解釈してあげたのに。

 それを壊すようなメールが、その人物から届いた。

 私が、「にせ覚醒者」だと言うのだ。だから、今すぐブログをやめなさい、と。

 こうも言ってきた。あなたには2つの選択肢がある——



①今すぐブログをやめ、世のため人のため覚者と自認しての活動を停止すること。

②あなたのブログは間違っているが、沢山の読者はいるし、見てもらえてもいる。だから、私のブログを大々的に宣伝しなさい。そうすれば、正しい情報が皆さんに見てもらえる結果になる。あなたのような人でも、このことでは役立てることがある。



「アホか!」



 マジで、思った。

『バカヤロー! 私、怒ってます』という映画があったが、あの映画の主人公みたくなった。でも、このメールにはさらに続きがあった。

 まるで、不幸の手紙のように——



『数週間以内に言われたとおりにしないと、あなたは破滅します。

 宇宙から、ニセモノのあなたに対して 「賢者テラ攻撃命令」 が出ています。』



 ぷっ!(笑)



 か、覚醒者を脅せると思っているのか……(絶句)

 自分が本当に覚醒者なら、それくらい分かるだろうに。あ、そうか。私が覚醒者じゃない、と思っているから脅しているのか。(さらに笑)

 でも、本物かどうかは置いといて、自分は覚者だと思うような人物が人を脅すか? たとえ相手が間違っているとしても。

 宇宙って、そんな恐ろしいところでしたっけ? 

 もう、相手にするのもバカらしくなったので、放置プレイをしておいた。

 あれから数週間どころか、半年・1年たっても私の日々は楽しく、充実している。

 破滅する感じは、全然ない。あの予言は一体、何だったのでしょうね?

 で、かなりたったある時、忘れたころにその覚者モドキからメールが来た。その内容は、また爆笑ものだった。 

「すみませんでした。私が間違ってました。ゆるしてください」

 それを読んで、私は脱力した。新婚さんいらっしゃい! の桂文枝が、ソファーからズッコケるような感じ。そしてその後の一文が、また哀愁を誘った。

「謝りますから、よろしければ私のブログを改めて紹介してください」

 ……まだ言うか。

 それ以後、この方がどうなったか分からない。

 そのブログは閉鎖され、風の便りにまた新たに作り直したようなことを聞いたが、今どうなっているかまったく分からない。 



 なぜ、このようなカンチガイサンが生まれるのか。説明を試みてみよう。

 覚醒とは、個人のエゴによる意識的努力や、作為的行為の影響が及ぶ範囲外にある。言い換えれば、「こればっかりは、どうしようもない」のだ。

 コントロール不可。だから、来るときには来るし、来ない時には来ない。

 でも。

 ある人物の中で、「覚醒したい!」という願望エネルギーが強すぎる場合。

 あまりにも熱望するので、そのあふれすぎた過剰なエネルギーは、ある現象を生み出す。



●そう。覚醒体験と思えてしまうような現象を生み出してしまう。



 もちろん、それは「自然に任せて、宇宙にお任せで来るべき時に来たホンモノ」とは違う。願望が生み出した、「バッタもん」「イミテーション」である。

 でも、盲目になっている本人からすると、「ああ来た! やった! 私も覚醒した!」となる。

 でも、その人の覚醒以前の視点から大して変わり映えしていないので(ヘンな自信がついて、よけいぶっ飛んだ感じになる、という変化はあるかもしれないが)、結局その言うこと成すことは、「イタイこと」として他者の目に映る。

 覚醒者、と言いながらイタイ人が存在するのは、そのためである。

 願望エネルギーが、本来意識的人為的に起こせるはずのない覚醒を、それに近いもの(もちろんその人なりの)として創造してしまう、というケースがあるのだ。 



 良しにつけ、悪しきにつけ、「思いの強さ」が何らかの現象を生み出す話って、多いでしょ? 小説でも、マンガでも、映画でも。

 それが「覚醒」という、人為的努力不可侵の分野に手を出してきたのである。

 もちろん、だからどうかなる、というものではない。思いの強さだけでは、依然として本物の覚醒は得られない。

 でも、正攻法でダメなら、ってんで幻想覚醒でも仕方がないから生み出して、それを本物と思い込み早く満足しよう、というのである。

 もちろん、その人の自意識(顕在意識)では、そのことを自覚していない。

 していないからこそ、堂々としていられる。



 今日は珍しく、覚醒者だとかそうでないとか、本物とかニセものとかいう言葉を多用した。本来、そんなジャッジ(分類)に意味はない。

 だって、見え方こそ違え、みんな一生懸命生きていることには違いないもの。

 そりゃ、私のエゴからしたら不都合なことを、あの自称覚者さんにはされた。しかしある意味ではそれも、宇宙という壮大な演劇ドラマ上その人に任された「役」。

 相手は、それを一生懸命演じてくれたに過ぎない。



 本書では何度でも繰り返し言うが——

 起こってしまったのなら、もうそれは最善なのである。

 だから、その方がトンデモなことを言ったりしたりした。私が、ちょいと迷惑をこうむった。でもそれがめぐりめぐって、今日このような記事となった。

 読者の中にはこの記事に触れることが益になる人が、たとえ少しでもいることを考えたら「いや、すべてはうまく運んでますね!」と考えてもよいのではないか。

 だから、短気を起こさず宇宙を信頼することをオススメするのである。たとえ、そこに根拠などなくても。今すぐには、どこが最善なのか分からなくても。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る