覚醒者なんて大したことない
今日のショッキングなタイトルは、「本当にそうだから」付けたのではない。
ただ、それくらい言っといたほうが、皆さんが覚醒者に抱く勝手な「幻想」を砕いてあげられるかな、と思って、親切にも思い切って言ってみた。
その昔、ある人気スピリチュアルブログのコメント欄で、面白い現象があった。そのブログのコメントの常連の方がいて、どうも文章の内容からただの一読者というよりは、ご自分もその人気ブログ主に近い「覚者」っぽい人。
毎回、適切なというか、素晴らしいコメントを残すので、そのコメント欄の世界では結構人気者だった。だが、ある日の事。
その覚者の方が、珍しく批判にあったのだ。
確かに、あなたの言っていることは正しい。的を射ていて、非の打ち所がない。だが「非の打ちどころがなさ過ぎて、イヤ。」
まぁ、平たく言えば「人間味がない」ということかな。逆に、きれいすぎる、ということかな。
覚醒などしておらず、まだ悩みの中にいる私の気持ちなんか、分かってないでしょ? と批判された。もっと泥臭い、一生懸命生きてます、みたいな必死さがあるほうが好感が持てる、という声も挙がっていた。
●白川の清きに魚の住みかねて 元の田沼の にごり恋しき
江戸時代、そんな狂歌もありましたっけ。日本史の勉強で、習いました?
その後、この覚者の方と、ツッコミを入れたコメ主とのやり取りの応酬が続く。
覚者は相変わらずで(笑)、良い意味でも悪い意味でも「ブレない」ので結局、批判主が求めているものは何なのかをつかめないまま、やり取りは終わっている。
お互いが依って立つ次元が違うので、まぁ話がかみ合うわけがない。
この覚者さんは、何の悪気もない。だって「攻撃や問題を、それとして正面から相手にする発想が欠落しているから」。
そもそも、何か人から突っ込まれたからといって、それを深刻にとらえ「どうやったら相手が納得するのか?」という、恐れの意識で対処するのが不可能なのだ。でも、不可能なくせに愛があふれている(笑)から、無視はせず誠実に返答する、という形になる。
でもその返答が、問題があるとする質問者と住む次元が違う(問題のない世界)ので、結局覚者は悪気なく相手を不快にさせる。
だからこのケースで悪いのは(ちょっと皆さんの次元におりてみますよ~)、覚者さんではない。どちらかというと、あなた私の気持ちが分かってない、と突っ込む質問主さんのほうが考えを改めるほうが建設的である。
皆さんの中に根強くある、勝手な「覚醒者」のイメージがある。
こういう人であるべき、という押しつけがある。
●愛であふれている。
優しくて、人格者。
怒らない。
いつ何時でも、人に対して誠実な姿勢を崩さない。
必ず他者の思いを的確に汲み、的確にそれに応える。
間違いを犯さない。
だから覚醒者(と思われる人)が、自分のニーズに対してこれだけ会話をしても、納得のいくものを与えてくれない! そういう、勝手なイメージを抱いて勝手な要求水準を設けて、その合格水準を満たさないので「なんじゃこいつは! 覚者なんだろ?」となる。
だから、こう思っていただきたい。
●覚醒者って、大したことないんだよ。
この場合の「大したことない」の意味合いに注意いただきたい。
読んで「文字通り」大したことない、のではない。
善悪や正誤という基準が存在する、という幻想がまかり通るこの世界において、覚醒者は時として不器用である。
だって、もう覚醒以前の呪縛(認識パターン)に陥ることができないので、相手(一般感覚を持つ人)のエゴが満足するような対応が、もはや不可能なのだ。
あなたの次元で、かゆいところに手が届くような細やかなケアは、もう無理。
もちろん、自由意思でトライしてみることはできる。でも、結果は先に紹介した覚者とそうでない者とのやり取りのごとく。英会話の心得がない人と、英語のネィティブスピーカーが会話するようなもの。
だから、私などは人と会話する時、相手に理解してもらおうとか、どうやったら納得していただけるか、など考えていない。考えても無駄(自分はその次元にいない)と自覚しているので、同じどうしようもないなら「好きなこと、言いたいことを言おう」という方針。
つまり、覚醒者はあなたの次元に降り切って語れない、という点。
問題のある意識ステージで生きている者を、真剣に構ってあげられない点。
それこそが、覚者の「弱点」。
でもそれは一般的感覚での表現であって、覚者自身はそれを弱点と思っていないことが多い。むしろどうでもいい感じ。問題にしていない。
人によっては、ここで突っ込んでくるだろう。
「じゃあ、覚醒者がやっている個人セッションは、意味があるんですか? 講演会活動などは、意味があるんですか? だって、認識の次元が違うんでしょ?」
この問題は、視点を変えないとダメだ。
ある方が覚者の個人セッションを受けるなり、講演会に行くなりという現象が実際に起こる時、それは「起こるべくして起こっている」と言える。
つまり、時が来たのだ。時満ちたのだ。
その時、それをするのが最善だから、起こった。
受け止め、気付きを得て次のステージに行ける段階になった可能性がある。
それなら、覚者と話すことに意味がある。
だから、たまに覚者が(あなたにとって)失言しても、大目に見てやってください。寛大な心で「しょうがねぇな」と思ってあげてください。
●だって、コイツら本当の意味であなたに共感できる次元の外に行っちゃったんだから!
多少、あなたの気持ちを繊細に汲めなくても、許してあげましょう。
あ、ひとつ言っておかないと。
もちろん個人差があるので、覚者でも本当にそのあたりの扱いがうまい方がいます。しかし、覚醒者が皆そうではないことを覚えておかないと、要らぬイライラが生まれます。
覚醒した、って言っても、肉体を持ってこの次元で生きているんですよ。二元性の世界に存在できている以上、完全ではない。っていうか、完全になっちゃったらこの次元にはいられません。
あちら(一元性)の世界に強制送還されちゃいますよ。
イエス・キリストという人物がいる。
私がメッセージで何度も「キング・オブ・言いたい放題」として紹介しているマスター(覚醒者)だ。
彼の唯一の言行録である「聖書」を読むと、一見したら本当に「聞く相手のことなど全然配慮していないかのような」言葉ばかりである。イエスに関する聖書の記述は、そのような言葉で埋め尽くされている。
ズケズケ、覚醒の観点から恐れずものを言った結果、十字架上で無実にもかかわらず処刑された。皆の理解を大幅に越えていたのである。でもきっとイエスは、そういう事態になっても自分が「失敗した」とは思わなかっただろう。
覚醒者が、自分より上(なはず)だという過度の期待が、邪魔なのだ。
覚醒者なんだから分かってよね、できてよね! という勝手な押し付けが邪魔。
終戦後、昭和天皇が人間宣言をされたように、私も改めて宣言してみる。
●覚醒者が、皆さんが勝手に考えるような「上等」な存在なんてとんでもない。
皆さんより、上でも下でもない。
皆さんと同じ、人間です。同じ魂です。
覚醒者である人間。
覚醒者でない人間。
このふたつの言葉が並び立つ時、「覚醒者である」「ない」という部分よりも「人間」という部分の方が、圧倒的に重要。人間、という言葉を修飾する語句(どんな人間か)に、大した重要性はない。
ないのに、この幻想世界ではその「どんな人間か」ばかりに気を取られている。
その事実に気付いていただきたい。
●トムとジェリー
仲良くケンカしな。
覚醒者と、非覚醒者。
(そんなもの本来ないけど)
仲良くケンカしな。
できることなら、ゆるし合いな。
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