人それぞれのスピリチュアルがある

 本田健さんの『ユダヤ人大富豪の教え』という自己啓発本がある。

 筆者が過去、講演で何度か話題にしたことがある。

 アマゾンでレビューを読んでみたのだが、星ひとつという酷評ばかり読んでみると、幾つか共通する「批判のポイント」がある。その多くは相手にするのもくだらないものであるが、ひとつ相手にするに値する(話題にしても面白い)内容があったので、今日はそれを取り上げて見たいと思う。



 さて。多くのからい評価に共通しているのが、以下の内容である。



●この本では、好きなことをして生きれる「自由人」こそが良いもので、会社に雇われ拘束され、組織に飼われて生きるのはその反対なのだそうである。

 たとえ高収入であっても、医者や弁護士など、忙しすぎて自分の自由になる時間が少ないのも、やはり推奨できないという。ここでの豊かさの定義が「どれだけ、自分の本当にしたいことに時間を使えるか」にあるから、極端な話会社の社長だって、この基準では「貧しい」ことになる。

 でも、このユダヤの大富豪だって、無数の「彼に雇われ、給料をもらって一定時間拘束される人」たちによって、その生活が支えられているわけだ。ならば、自分のような自由人(好きなことをしていても、お金が入ってくる)が理想的で、生活のために本当にしたくもないことをし、一定時間を拘束される雇われ人がよろしくない、と言ってしまうのは、いささか乱暴でありまた失礼ではないのか。

 世の中、この大富豪や自由人ばかりでなり立つわけがないのだ。雇われ人という役をこの世界で演じてくれている大多数の人々に対するリスペクトはないのか?

 本当に、愛のない言葉だ、というわけだ。



 以下、実際のレビューの文章を載せてみる。



●……結局、不自由は嫌だって読者には思わせるような内容になっている。

「夢を追いかけるのを忘れて安定した人生を選んだ人は、『退屈な人生を生きる終身刑』を自らに科しているのと等しい」。この表現が一番嫌いだった。(中略)人を侮っている。

 他人の幸せの価値観を愚弄する表現は、好きじゃないし、愛がないと思った。

 不自由とされる側に従業員がいるが、私が自由人で彼らを動かす立場なら、仕事のパートナーにそのように思いたくない。



 質の低い悪口ややっかみなど、くだらない批判が渦巻く中で、この論点だけは面白いと思った。確かに、一理ある批判だ。

 今日私が言いたいのは、この説得力ある批判すら的を外している、ということだ。人間常識的にはいい線行っているが、残念賞。はっきり言えば、本のネタ元であるユダヤ人大富豪のゲラー氏も、著者の本田健さんにも、何ら非はない。



 まず、押さえていきたい前提。

 


●世界中のすべての人が納得する理論や教えなどない。



 これがまず分からないと、ありもしないその理想をかかげて、他者のアラに際限なくツッコミを入れ続けるという、面白くもない人生に身を投ずることになる。

 皆、何かを批判する時には、その人なりの「前提」がある。その前提は、たいてい生まれてから親や先生、社会から学び吸収したものだ。

 多くの人が平均的にそうで、これだったら無難であろう(文句は言われないだろう)というもの。魂レベルの低学年は、それをもっている自分を「常識人」「まともな人間」だと勘違いする。

 何か、それで大きな後ろ盾でも得た気になり、厚顔無恥にも他者を批判できる。

 その人が威を借るその「常識大明神」の正体は、実はがらんどうだとも知らず。

 子どもでもそうでしょ? 一番強いガキ大将側に付いている時の、取り巻きの威張り振り。自分自身には力がない、ということをこの時は見事に忘れている。

 大人の世界も似たものでしょうね。一番大きな勢力に属している時は安心。でも、諸行無常のこの世界では、勢力図があっという間に塗り替わる。その時に、あたふたすることになる。

 歴史上、時代の変わり目には、人は大変な思いをしてきたはずだ、と思う。だって、それまで常識だったことが、そうでなくなるというショッキングな体験をしてきたから。

 今、まだ時代の変化が表面的には分かりづらいから、まだ多くの人は今の時代の常識や価値観に「寄らば大樹の陰」ができる。



 そして、次に押さえたい前提。



●宇宙の主人公(王)は、その人ただ一人。

 主役はその人なのだから、その人ひとりが納得すれば何でもいい。

 それについていくかは、皆さんの勝手。イヤなら、単に関わらなければいいだけの話。それをムキになって非難するなら、逆にその人自身にクリアすべき課題があるという証明。



 まず、ひとつの世界に沢山の人(沢山の個々の意思)がひしめいている、という考えを脱却してください。このブログを読む上で、そこが分からないと???になります。

 この世界には、ただひとつの意識しかありません。言い換えると、ひとりしかいない。あなたは私。私はあなた。

 ワンネスが「分離」という幻想を楽しみに来たのです。

 そして、現象世界上の個々人それぞれが神(自分の宇宙の創造主)となって、自分の周りの世界を創っている。それがある共通項で重なり合っているので、同じ世界に沢山の人がいるように見える。

 あなたの見ている他人は、まったくの幻想だとは言わないが、かなり幻想。(笑) あなたの見たいように見るべく、かなり歪めて見ている。



 例えば、あなたには好きな人がいるでしょう。でもあなたが好きだ、というその人のことが、キライだという人もいるのです。

 あなたには、キライな人がいるでしょう。でもその人が好きだ、という人もいるのです。それどころかずっと一緒にいたい、なんて結婚する人も出てくるのです!

(あなたにしたら、信じられないことでしょう)

 じゃあ聞きますけれど——



●ある人を嫌いなあなたと好きな誰かさん、どっちが正しいのでしょう?



 あなたの、その人に対するキライという評価と、他人の好きだという評価。

 その人が、絶対的に「いい人」だとか、絶対的に「悪い人」などという評価は不可能。結局、この世界に存在するすべての価値判断は相対的。

 人は、自分の見たいようにしかものを見ない。しかも、その判断材料がいかにいい加減か、という自覚もなく、皆堂々としている。 



 例えば、映画。

 映画には、かならずその物語の中心となる「主人公」がいる。その主人公を中心に、話が進んでいく。

 言い換えれば、その主人公を「そのお話の中での正しさの中心」に据えて進んでいく。その主人公の立場(都合)に、かなりひいきした展開になる。

 でも、これは仕方がない。一番描きたいのは、視聴者に見てほしいのは「主人公」であり、その人物こそは映画で一番訴えたいことの重要なカギを握っているからだ。

 だから、主人公びいきする。主人公に都合のよい世界・展開にする。



 でも、これを「その映画に出てくる、主人公の敵」にスポットを当てたら、どうなるか。敵の方を主役にして、映画を作り直したら? 最近の例だと、バットマンに対する「ジョーカー」という映画のようなもの。

 その敵にも敵の人生があり、ドラマがある。そちらはそちらで、人の胸を打つ物語にも成り得る。そればかりか、敵役視点だと、かえってもとの主人公の方が敵に見えてきたりして!

 このように、誰を中心とするかによって、世界もガラッと変わるのである。そしてそれは悪いことではなく、それでいいのだ。

 すべての人を、同一線上で平等に「主人公」として扱うことなど、できない。

 だから個々の宇宙で、独特の「自分主役ストーリー」があっていい。

 てか、それしかできない宇宙で、自分の言いたいこと・したいことをないがしろにして、人の機嫌を取り人に頭を下げ、好かれよう非難を免れよう、問題を避けて生きようなど、そっちの方が疲れるし面白くない。



 だから、ユダヤ大富豪はああいう考え方でいいのだ。

 だって、あの人はあの人自身の人生を生き、言いたいことを言って生きているんだもの。何も問題ない。

 その人の宇宙にはその人しかいないのだから、その人が一番望むようにしたらいい。他人のことなど、二の次。

 心配しなくても、本当の意味で自分の事を大事にしていたら、自動的に苦も無く他人を大事にできる。それはもう、自分を大事にできてなくて他人のことばっかりの人よりも、はるかに上手に。

 本田健さんも、ああでいいのだ。あの人の宇宙はああなのだから。ほっとけ。

 これいい! と思ったんなら、彼の著書をどんどん読めばいい。セミナーにも出たらいい。でも、キライなら本読まないでセミナー出ないで、干渉しない。 

 人のこと指摘しているよりも、自分のこと考えたらいかがですか。



 宇宙は、あなたに正してもらわないといけないほど情けなくもなければ、もうろくもしていません。あなたのそんな微力すぎる努力など、結構です。

 あなたには本来、自分の意識を操作する以外の事はできないんです。

 それを勝手に、外にできることがある、他人を動かせると勘違いして「寄り道」というSMプレイをしているのです。

 まぁ、永遠という時間があるから、それもいいですけど。



 確かに、ユダヤ人大富豪の教えの指摘されている部分は、自由人でない人・雇われ人の心情を慮ってないと言われればそうだ。

 ……そういう人たちがいてこそあなたも自由人であり富豪でいられるだろうに、そういう人たちが「奴隷のようなもの」? ふざけるな。

 心情的には、ごもっともだ。

 でも、あれでいいのだ。言ってる本人が頂点でいられる、あの信条でいい。

 だって、彼が主役の人生だからね。我々は、それを正さなくていい。

 感動すれば、乗っかりたければ、関わればいい。反発心が湧いてきたら胡散臭いと思えば、乗っからなければいい。

 あとは大富豪自身の問題であり、本田氏の問題であり、宇宙の問題。任せておけばいい。この批判を本田健さんなりが聞いて、後に改めるかどうかは本人の問題。それで本が売れなくなるとか、のちに仕事に影響してきたら、彼も考えるだろう。

 


 だから、あなたはあなた自身のオリジナルな宇宙の創造主として、あなた自身の世界観、宇宙観・思想信条で、あなたの宇宙をつくればいい。

 あなただけの「スピリチュアル」をつくりあげればいい。

 人の数だけ「スピリチュアル」があり、そのすべては似た部分はあっても、決して完全に一致することはない。その一致しない部分ばかりに注意を奪われるから、楽しくない。逆に、その独自性をこそ、違いをこそ楽しめばいい。



 人が、あなたの気持ちを分からないくらいで、何騒いでるの!

 そんなこと、どうでもいいでしょ。

 自分は(相手も)神ではない! とわめき散らしているのと同じ。

 あなたが世界をどう形作っていくか。あなたがどういう意識の在り方で生きたいのか。大事なのは、実はそれだけ。

 だって、あなたの意識こそがあなたの見ている宇宙の 「すべて」なのだから。

 そして、それは他の宇宙を生きる他の魂にとっても、そう。



 人が何て言ってるか、なんてことにせっかくのエネルギーを使わないで。

 自分の宇宙をどんどん発展させていくことに、エネルギーを向けましょう。

 同じ内容の事を言うのでも、何かを批判する手段よりも、自分がこれと思ったことを肯定的に主張していくほうがいいですよ。例えば、「反戦」と「平和」は違います。これは、マザーテレサの言葉ですが。目指すものが同じでも、アプローチのエネルギーの質が正反対なんです。

 いくら正しくとも、「反対する」エネルギーで生きる人に幸せそうな人が少ないのも、このためです。

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