戦争を知らない子どもたち

 わが国では、第二次大戦の終戦からかなりの歳月が流れた。

 戦争を体験した世代が亡くなっていき、今現在社会の中心となって世を動かす大人の中でも、戦争を知らない者のほうが多数派になってきた。



 そんな時代の流れの中で、よく懸念されるひとつの問題がある。

 それは、『戦争を知らない子どもたち』という言葉に代表される。

 今の子どもたちは、戦争を知らない。だからその愚かさや怖さを、身をもって知っていない。知っていないのに、科学技術が進んで武器ばかり進化している。

 怖さが分からないだけに、戦争を知らない世代が世の中心に立てば、安逸に戦争の道を選んでしまわないだろうか?

 だからこそ、伝えていく必要がある。

 戦争の恐ろしさを。その悲惨さを、愚かさを。

 実際に、戦争体験者がどんどん減っている事態を受けてか、そういうものを伝えようとするような小説や映画が増えた。そして、学校などでも戦争時代を体験したお年寄りを読んで話をしてもらい戦争について考える機会を持ったりしている。



 もちろん、それらの動きは悪いことではない。むしろ、良いことである。

 ただ、これらの世の動きの背後には、ある感情が見え隠れしている。

 それは、恐怖である。

 そしてその恐怖を生み出すのが、『命への信頼のなさ』である。



 ちょっと、スピリチュアル的観点で考えてみよう。

 私(筆者)は、一体何者か?

 賢者テラというペンネームで活動している、40過ぎの男である。

 でも、それだけ?

 常識的な考えでは、私はそれ以上の何者でもない。

 しかし。神意識がこの三次元宇宙ゲームをクリエイトして、プレイを始めてからその面白さ、壮大さ、クリアの大変さから何度もコンティニューしてきた。

 それは、輪廻転生という現象となって現れ、あたかも駅伝でそれぞれの区間を走る走者が次々にタスキを渡すように、命は続いてきた。

 そして、その個々の世代のキャラは、全然の別物ではない。言ってしまえば、正体ひとつの意識である。

 もっと話を広げてしまえば、無数に分離したこの世界の個たる全ての人は、元はひとつである。これを、ワンネスという概念で言い表す。



 これらの前提をもって考えると、次のことが言える。



●今ここを生きている一人ひとりは、全歴史の凝縮体である。

 過去のすべての命の集大成であり、結晶である。

 今を生きる者の中に、かつてのすべては刻まれている。

 いにしえから続く命のリレーのバトンを手渡された、走者。

 その走者が持つバトンには、過去すべての叡智が詰まっている。



 私は、戦争を知らない。

 これを読むあなたも、かなりの確率で戦争を知らない世代だろう。

 でも、戦争を知らない、という幻想世界における表面的な現象は、知識的に過去を知らなければ愚かな状態を生み出す、ということは確実なことなんかではない。

 なぜなら、私たちの中にはすべてが詰まっているから。歴史のすべてを受け継いで今生きているのが我々だから!



●戦争を知らないことは、何も問題ではない。

 それ以前に、私たちは歴史の体現体だから。

 実は、すべてをどこかでは知っていて、最善の動きをしている。 



 もちろん、人間はこの世界では現実ゲームをしている。

 ゲームであるからには、私がいくらスピリチュアル視点から「戦争を知らなくとも問題はない」とは言っても、プラスアルファとして知っておくに越したことはない。

 戦争を知らないよりは、たとえ伝聞にすぎなくても知ったほうがいい。戦争の怖さを思いめぐらすほうが、まったく考えないよりはいいに決まっている。

 ゆえにまったく戦争について伝える必要などない、と言っているのではない。

 ただ——



●同じ伝えるのでも、伝えないといけないという義務感、伝えないとたいへんなことになるという恐怖、伝えないとこの子らは将来愚かなことをするかもという不信頼からではなく、伝えたいという願い(意思)と、伝えたらきっと分かってくれるという信頼をもって伝えてほしい。



 恐怖や不信頼というのは、「こういうことでも教えておかないと、子どもたちが大人になって誤った選択をするのでは」という心配である。

 これは、くだらない。表面的に何かの情報を伝えることに意義があると思ってはいけない。情報は、ただ情報でしかない。

 重要なのは、その情報に伝え手がどういう感情を乗っけるかである。恐怖を乗っければ、恐怖が伝わる。不信頼をのっければ、相手は信頼されていないと受け取る。

 ただ伝えたい、という情熱をもって選択した行動であるなら、相手は表面的な情報以上に、そのことを受け取ってくれるはずだ。

 あなたも子どもたちも、歴史が生んだ最高の走者なのだから、大丈夫。

 そういう安心と励ましの方を、受け取ってくれると信頼しよう。



 大昔から、若者と大人の間でずっと続いてきたやりとりがある。



●今時の若いのは、ダメだ!

 大人なんて、サイテーだ。分かっちゃいないよ! 



 ここは、ホントに人類が進歩しないところである。もしかしたら、大好きだから進歩したくない、と思ってるんじゃないかと邪推してしまうほど。

 大人は、自分たちのつくりあげた誇る社会の型にはまろうとしない若者がうっとおしい。若者は若者で、今までの発想を壊すよりも、問題を起こさぬようにと保守的に動く大人を尊敬できない。

 でも、これはどっちが悪いということもない。



 若者にブツクサ言う大人だって、かつては若者だった。

 その時、さらに前の世代からは「これだから今どきの若者は……」と言われていたはず。今大人をどうこう言う若者だって、職を得て結婚して家庭なぞ持ったら、世の仕組みを壊して何かを変えよう、なんて思いにくいはずだ。

 逆に、おとなしくしていればいいのに世に反抗してくる若者たちが煙たくなる。



 結局、同じなのだ。

 同じ構造を、同じループを繰り返しているだけ。

 極端な話、徳川家康が天下を平定して江戸幕府をつくりあげてから、色々はありながらも全体としては天下泰平の江戸時代が260年あまりも続いた。

 その頃の子どもは、織田信長や豊臣秀吉の時代を生きた大人にしてみれば、『戦争を知らない子どもたち』ということになったはずである。



 あんまり、知識を神格化するべきではない。

 知った、知らないが人間の選択や運命を大きく捻じ曲げる、なんて認識は捨てたほうがよい。

 そりゃ、知るに越したことはない。よく学ぶに越したことはない。でも、この宇宙ゲームは最終的には『大丈夫』なようになっていることを信頼してほしい。

 だって、自我意識で認識できていない、というだけですべての人は神だから。今を生きる人には歴史のすべてが詰まっており、あらゆる叡智と無限の可能性が、その魂に潜んでいるから。

(ただしそれを活かすのか活かさないのかは、ゲームなのでその人次第)

 


 だから。

 こうでもしないと、大変なことになるのでは的発想からは、卒業しよう。

 魂が求めてくる、やりたいことや取りたい行動さえしていけば、あとはこれしてない、あれしてないと気にやまなくてよい。『置かれた場所で咲きなさい』という本も大人気になったではないか。あなたは、あなたとしての今の役割を果たしていれば、その世界の外にある事件や不安材料でおびえる必要はない。

 


 私には、二人の子どもがいる。

 これこれを、この子には伝えねば、なんて思いはない。

 伝えねば、よりも「伝えたい」がある。不信頼よりも、信頼がある。

 これを知っとかないとこの子は……ではない。



●この子に起こるすべてのことは宇宙の運ぶプログラムだから、私が気をもむまでもない。この子は神だから、私が何か言わなくてもこの子はこの子で大事なことはつかめる。

 ただ、子どもたちの生活を守る使命はあるので、そこはしっかり果たしてあとはドンと構えておく。

 


 皆さんも、そういう意味で戦争を知らない子どもたちを信頼してやってほしい。

 彼らは、かならず見事に命のたすきを受け、また次に渡す。

 彼らは、知識とは別の意味で戦争を知っている。

 なぜなら、彼らの中には過去のすべての命が住んでいるから。

 そして、過去のすべての命が託した希望そのものだからである。

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