幸せは、あなたが決めることです

 古い映画だが、スピルバーグ監督の『リンカーン』という映画の中で、面白いセリフがあった。



『人は自由を得るために戦っているけど

 自由を得た時どうするのかを考えていない』



 このようなケースは、三次元ゲームをしている人間においては、日常茶飯事だ。

 筆者が個人セッションをしていると、こういう質問が来る。



「~ (具体的な問題) を解決するためには、どうやったらいいでしょうか」

「~ を得たいのですが、それには引き寄せの法則が有効でしょうか?」

「~になりたい(~をしたい)のですが、自信がありません。(あるいは、どうやったらいいでしょうか)」



 ここに、ひとつの盲点がある。

 例え、相談事が解決して問題が何らかの形でなくなっても、欲しいものを得れても、何かの地位を獲得しても——



●その人自身は、何も変わっていない。



 人は、何かが私を幸せにしてくれる、と勘違いしている。

 自分の外のものが、他の誰かが。

 また、目の前の問題さえ消えてなくなれば、幸せが来ると思っている。

 例えば、お金持ちになりたかったとして、本当にお金を得れたとしよう。

 じゃあ、自動的に幸せになるか? なるんだろう、本当にお金が必要な人にしてみれば、他の何よりもお金があることが大事みたいだから。

 しかしそこには、二つ考えるべきことがある。ひとつめは——



●お金がなくなったら、幸せではなくなる。



 だって、それが自分を幸せにしてくれたアイテムだから。

 認めない人はいないと思うが、この世界は諸行無常の世界である。変化に富むこの世界では、何が起こるか分からない。

 ずっとそのお金のある幸せが続くという保証は、どこにもない。そういう意味で、具体的な何かを幸せの根拠にしていると、その幸せは脆弱である。

 状況次第で、いかようにも変わり得る幸せなのである。そしてもうひとつ。

 

 

●願いが叶おうが、問題が回避されようが——

 あなた自身が変わらないなら、無意味である。



 つまり、何かの方策やテクニックでもって問題を回避しても、魂の成長のプロセスと関係ないところで地位や富を得ても、あなた自身は何も変わってない。

 問題をただ回避するだけなので、そこには何の精神的成長もない。

 だから、問題は過ぎ去ってもあなた自身の中身が何も変わっていないので、次にまた似たような問題が来た時に、結局また同じ次元で右往左往する。そしてまた、現実的手法で回避する。この繰り返し。

 問題というのは、ある意味ではそれに取り組むことによってあなたを成長させる糧である。それに真正面から取り組んでクリアすることで、次の精神的ステージに移行できる。

 だから、ただ回避しても何度でも突きつけられる。いくら試験を回避しても、ちゃんと受けて合格しないといつまでも受からないのと同じ。



 記事で一番最初に紹介した言葉を思い出してほしい。

 自由を得るために戦っているが、それを得たあとどうするかを考えていない状況。

 それはつまり、問題がなくなることを目指しているが、たとえ問題がなくなっても、問題がある時のあなたと問題がなくなった後のあなたとの間に、何の変わりもないということ。

 結局、そこに何も残らないということが共通している。

 問題がなくなることが、本当の目的ではない。自分が外に何かを得ることが、本当の目的ではない。



●外の問題になど影響されない、目に見えない内なる宝に気付くこと。

 何かを得た、得ないに左右されない内なる強さ(パワー)に気付くこと。



 これこそ、三次元ゲームにおいて得られる強力なアイテムである。

 これらなくして外側に何を得ても、それらは脆弱である。



 ゲーム内で強力なアイテムを手にできても、そのアイテムには使用条件があったりする。レベル~以上。筋力~以上、敏捷性~以上、知力~以上。

 その条件を満たせないと、アイテムを装備できない。

 内なる世界の開拓なしに富や権力を手にした状態がどんなか、皆さんは想像できるだろう。歴史を学べば一目瞭然。今の世界を見ても、またしかり。

 自分の実力レベル以上の武器を無理に装備すると、アイテムに振り回される。

 アイテムに、喰われる。



 私は、本書の中で『問題から逃げてよし』と書いた。

 でもそれは、永遠に逃げ続けろという意味で書いたのではない。

 弱っている時。自分がまだ立ち向かう力をつけていない時に、無理に強大な敵に立ち向かわなくてもいいよ、という意味である。逃げて良し、というのはいついかなる時にも通用する真理ではなく、ここぞという勝負の時には逆に逃げるべきではないのである。

 つまりは、すべての人に向けた言葉ではなく、今辛く苦しい立場にある人たちのためである。

 目の前の問題を回避できても、外に何かを得ても、それであなたは何も変わらない。変わったように見えるとしたら、それは錯覚。

 結局、あなたの本質が何も変わらないなら、問題回避も世間的な成功も、張子の虎。だから、外のものが手出しできないあなたを目指してほしいのです。



 あなたの許可なしには、何者もあなたを傷つけることはできません。

 そもそも、あなたから何かを奪い去ったり、傷つけたりすることなど不可能なのです。不可能なのに、あなたがそうされ得ると信じているので、あなたの願い通りの世界が展開しているのです。

 外の何かに幸せを決められるステージを、いつか卒業しましょう。

 ゆっくりでいいです。時間はあります。

 力をためて、満を持して、どこかで勝負をかけてください。

 そのための応援を、私は惜しみません——。



 前に紹介した芥川龍之介の書いた短編『杜子春』を思い出してください。

 杜子春は、最初仙人に何と頼みましたか? お金がほしい、お金持ちになりたいと願ったのです。仙人が願いをかなえてくれて、杜子春はお金持ちになりました。

 でも、お金がなくなったとたん、杜子春は元通り。で、また仙人にお金を願う。

 それを三回繰り返しました。杜子春は、その三回の経験で気付いたのです。



●結局、お金があるかないかが変わっただけで、自分自身は何も変わっていない、ということに。

 幸せというやつは、どうやら外側の何かではなく、目に見えない、自分の内側に正体があるらしい。 



 だから、またお金を出してやろうと言う仙人をさえぎって、杜子春が願ったことは、仙人になることでした。

 それはつまり、外の何かではなく、内なる部分に真の富を見出そうとする方向性でした。



※注) 杜子春のこの方向性自体は良いものでしたが、ありのままの自分ではない「仙人」という何かを目指そうとしたことは、誤りでした。だからこそ仙人は、杜子春の願いをそのまま聞き入れず、自ら過ちに気付くように仕向けたのです。



 皮肉な話ですが、問題に囚われている時には、問題を何とかしたくてたまりません。お金を欲しいときには、欲しくてたまりません。有名になりたい時期には、何としても成功したいと思います。

 でも、それらを扱うに足る精神性を身に付けた時には、皮肉な話ですがそれらへの執着を失っていたりします。極端な話どうでもよいと感じます。

 お金も、あればあったでよいけれど、なくたってだからどうだとは思いません。

 地位など、自分のワクワクにプラスならあってもいいかとは思いますが、それによって不自由になったりと、したいことができないなら固執しません。



 そう考えれば、あなたにとっての究極の問題解決とは、問題を具体的に解決することではなく、問題を問題と思わない境地・それに至るカギとなる『気付き』を得ることです。

 外に何があってもなくても、それとは無関係に『幸せであることを選び取れる』、宇宙の主人公としての意識のパワーに目覚めることなのです。

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