連続性を超えた奇跡

 皆さんは、『パラパラマンガ』なるものに、なじみがあるはずである。

 小学生の時、先生の授業があまりに退屈で、教科書のページの上隅あたりに少しずつズラした絵を連続して書いていく。出来上がったらページをパラパラさせて、その成果を確認する。

「わぁ~うまく動いてる動いてる!」

 きれいにできたら、感激もひとしおである。

 でも、あまりに夢中になりすぎると、先生に覗き込まれていたりする悲劇に見舞われる。 

「ふ~んうまいじゃない……そんなことする余裕があるくらいだから、次の問①くらい、答えられるわね?」



 パラパラマンガがきれいに見えるのは、絵がスムーズに連続しているからだ。

 なぜ、パラパラマンガがスムーズだと人は気持ちがよいのか? そこには、人が三次元キャラとして生きてきて身に付けてきた、ある認識パターンがあるからだ。



●前後の脈絡がきちっとしているもの。

 整然とした連続性のあるもの。

 起承転結のあるもの。

 因果関係のはっきりしているもの。



 そういうものを見ると、人はどうも安心するらしい。

 では、次にこういう場合を考えてほしい。きれいにできているパラパラマンガの絵の中に、一枚だけ何の脈絡もない絵を入れておく。

 さて、それをパラパラめくって眺めた時——

「あれっ?」

 きっと一瞬、思いっきり違和感が湧くのではないか?

 なぜ、連続しているはずの絵の中に、全然関係のない絵が一枚でも入り込んでいたら気持ち悪いのか?

 


●脈絡性がとぎれ、前後のつながりがおかしくなる。

 連続性が、破壊されているから。

 なぜ急にその絵になるのか、という必然がない。

 因果関係が無視されている。 



 私たちは、幸せを願う。

 豊かであることを願う。

 でも、人はおかしな部分で真面目である。



●一瞬にして幸せになることを、自分に許可できない。

 一瞬にして豊かになることを、自分にゆるすことができない。



 大きな理由のひとつに、「そんなことあり得ない」というのがある。魔法のように、いきなりそんなことが実現するなんてありえない、という考えが常識的だ。

 さっきのパラパラマンガの話を思い出してほしい。あれを好むのと同じ思考パターンが、人には備わっている。

 金持ちになるなら、頑張って働いた後とか、宝くじを買ってそれが当たったらとか、会社でのコツコツとした努力が認められて、後に大きなプロジェクトを任され、成功する。そして晴れて、昇進街道をまっしぐら——



 こういうような、金持ちになっても自然な、分かりやすいストーリーがあればいいのだ。これだと、金持ちになっても人は安心する。

 逆に、このようでなければ気持ち悪いのだ。幸せになるなら、展開の脈絡性などどうでもいいように思うが、論理的・科学的思考に慣らされてきた私たちには、なかなかそうはいかない。

 人によっては、このような筋道の立った幸せでないなら、拒否さえしそうだ。



 別に、苦労の挙句の、この世界の正統派的なサクセス・ストーリーにこだわるのは構わない。趣味の問題だから。

 それで頑張れる 『強い人』ならいいだろう。成功に相当する努力と引き換えでないなら気持ち悪いから、と言える強さがあるなら。

 でも、そうでない人や、幸せになるのに特に原因と結果の法則にこだわらない人に、朗報がある。



●幸せになるのに、豊かになるのに、それが起こるにふさわしい(身に覚えのある)原因や血のにじむような努力がなくても、問題ない。

 幸せになる前と後の現象面で、矛盾のない因果関係が成立しなくても問題ない。

 なんでそうなるの? という不思議さが残ってもいい。



 パラパラマンガの中に一枚でも関係のない絵があれば落ち着かない、ということからも分かるように、人は、因果関係のはっきりしたものや理路整然としたものを好む。連続している、という自然な現実性がなければ、人は自分に幸せになる許可を出せない。

 そこは、なぜか変なプライドがあるのが人間である。幸せになるのでさえ、必ず何かの明確な根拠(一連の流れ・ストーリー)が要るのである。

 確かに、このゲーム現実世界にはそれを大真面目にやりにきているので、その意味では今日のメッセージは不要とも言える。でも、ゲームに疲れを覚えた人には聞いてほしい。



●いきなり、今幸せになってもいいんじゃないですか?

 次の瞬間幸せになる可能性くらい、別にあってもいいじゃありませんか。

 根拠なくたって、連続してなくたって——

 幸せや豊かさがゲットできるんだったら、そっちのなり方の方が楽でしょ?



 パラパラマンガの中に関係ない絵が入ってもいいじゃん! という大らかさを持ちましょう。脈絡なく幸せになっていい。

 前後のつながりなく、説明のつかない不思議さで豊かになってもいい。これからの時代、そういうことがあり得るのです。

 もちろん、手放しでそうなるのではありません。あなた次第です。

 古い常識にしがみついて、戦略的行動や努力、そして運に賭けるか。それでもいいですけど、でもそれでは能力的に突出した一部の人間しか幸せになりません。

 一部しか、豊かになれません。それが今、皆さんが見ている世界の状況そのものです。でも、新時代の常識は、今までの概念を覆すものです。

 その最たるものが——



●原因と結果の関係の崩壊。

 意識の力による、奇跡的現象の頻発化。



 過去がああだったから、今はこう。

 今はこうだから、未来はきっとこんな風だろう——

 そんな、固定化された概念で自らや世界を縛るのではなく、今こうしたい。今こうありたい。過去はどうかに関係なく、私は『今』 豊かだ! そんな意識のあり方が、現在(過去 の条件などものともしない展開を実現する。

 ちなみに、「奇跡」という言葉の裏には、めったに起きないこと、という含みがある。でも、それは原因と結果や論理によって縛られた世界での話だったからだ。

 これからは、奇跡が奇跡でなくなる。なぜなら、しょっちゅう起こるようになるから。頻繁に起こると奇跡ではなくなる、というなら人類は新しい言葉を創造するべきだろう。



 ……原因と結果、前後の脈絡なく幸せになっていい理屈は分かりました。

 分かったけど、次の瞬間幸せになる! なんてそこまで思わなくてもいいんじゃ? だって、やっぱりそんなことはないと思うし。

 いくら意識がカギだ、って言っても、結局現象として起こるのは物事が不思議に動いたり、奇跡の起こるまでの時間性が早まる、という程度じゃ?

 やっぱり、次の瞬間幸せになる、豊かになるというほどには思う必要を感じません。だって、現実的には思えないですから。



 上記のように考えてしまう方のために、マラソンというスポーツを例えにつかって話をしよう。マラソンで1位を取るために、絶対に必要なことはなんでしょう?

 それは……


 

●1位を目指して、走ること。

 1位になること以外は、考えないこと。



 当たり前のようですが、そうですよね?

 だって、1位になろうとして必死に走ったって、勝負の世界だし様々な要素が絡むから、2位や3位、それ以下の順位になってしまうことだってあるのが現実。最低限、1位を目指していてこそ、1位になる『可能性』がそこに生じるのです。



 でも、もしマラソン選手が、「オレ、2位か3位くらいでいいや」と思って走ったら? まず1位にはなれません!

 それどころか、2位や3位になれるかどうかも怪しい。下手をすれば、もっと下になる。つまえり、こういうことだ。



●人は多くの場合、狙ったターゲットの少し下を得る。

 1位を狙えば、2位や3位、その付近。

 2位や3位でいいや、と思えばさらに下。

 1位を狙うからこそ、1位を得られる可能性が生じるが——

 2位や3位でいい、と思う者が1位を手にすることはない。



 つまり、これを生き方に応用した場合。次の瞬間幸せになる、豊かになるくらい思っておいてちょうどいいのである。言わば、これはマラソンで言う『1位を狙う状態』である。

 まぁ、多くの場合は時間性を経てかなうだろう。これが2位、3位ゲット状態。でも、あわよくばホントに今、大奇跡が起こることもあり得ます! これが1位状態。

 でも、「どうせすぐに幸せになんてならない」「そんなのムシが良すぎる」なんて思っていたら、この世的には地に足の着いた、優等生のいい子ちゃんと評価されるかもしれませんが、1位を狙うより得るものが大幅にダウンします。



 だから、現実的にどうか、なんてワクワクしないことを考えないでも「常に最善、最高が起こってもおかしくない」くらいの心の受容度で過ごすくらいがちょうどいいのです。

 釣り人は、魚が釣れていない時間でも、その時間を楽しみます。そしていざ釣れたら、そこにはさらに大きな喜びが生じるのです。

 常にベストが得られると信頼し続けるところに、前後の脈絡を吹き飛ばすくらいの奇跡がやってくるのです。



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【編集後記】


 このメッセージを筆者が口にしたのが、かれこれ7年以上も前になります。

 現在の筆者は、自分で言っておいて何ですが、この記事に書かれたようなことを実践する気はありません。

 意識による現実の変革(引き寄せに近いもの)に取り組む者は、喜んで一生その段階でとどまるか、それとも次のステージへ行くか(現実を何とかしようとすることへの興味が薄れ、『無為』の境地に比重が移る)であり、私は後者になりました。

 そうなると、もう一般的な欲「幸せになりたい」「富を得たい」「もっと自分の教えを広めたい」「もっと他人を幸せにしたい」というのがなくなります。決してそれらがどうでもいい(要らない)というのではなく、そういったことに向けるエネルギーが格段に減ったということです。

 本書は、筆者のメッセージしてきたことを時系列順にすべて網羅することを目的としてるため、今現在筆者はこの境地にいませんがこのメッセージ集には収録しているということを注釈しておきます。もちろん、今の魂段階でこのメッセージが参考になる人もいるだろうと思うからこそ、残しました。

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