覚醒をあえてオススメしない理由


 本書は、覚醒(悟り)を扱っているくせに、おかしなことに一貫している姿勢は『覚醒はオススメしない』というものである。

 それは、何も覚醒が「悪い」と言っているのではない。

 宇宙で起きることすべては必要だからあり、物事が存在する以上そこに優劣はなく、同価値だから。

 ただ、「今が時ではないのに目指す」という姿勢を問題にしているだけである。

「ふさわしい時に、ふさわしい状況で」得られるのは素晴らしいことである。

 それは、三次元キャラである人間のコントロールを超えた管轄であるから。



 覚醒というのは、人生の進行に似ている。

 例えば、小学生がいくら 『今、この瞬間に大人になりたいんだよう!』と泣こうがわめこうがなれない。当たり前の話である。

 その子が十数年して、成人の日を迎えないことにはなれない。つまり、その人の意識の力や引き寄せなどが歯が立たない、通用しない領域にある。

 この宇宙には厳密に「不可能」はないのだが、ここで確率の低すぎる実用的でない話をあえてするのもつまらないので、自力で覚醒を得られるケースは考えない。

 話を戻すと、子供が大人になるためには、一定の時間性が必要なのだ。



①子どもは、一定の時間性を経ないと、大人になれない。

②逆に、一定の時間性さえ経てば、嫌でも生物的には大人なるものになる。



 覚醒もまた、このようである。

 いくらわめいても騒いでも、来ない時には来ない。

 逆に、時がきたらば、覚醒に興味があろがなかろうが嫌だろうが来る。(私がそうだった)

 だから、来る時には来る(逆に来ない時はどう逆立ちしても来ない)ことを思い煩っても仕方がないので、同じ時間を過ごすなら、今自分が心からしたいと思うことや楽しめることをしたらどうだろう?

 阿波踊りでも言うではないか。



『踊るアホウに見るアホウ

 同じアホなら踊らにゃ損損』



 先ほどのたとえ話で、ひとつ補足しておくことがある。

 理屈っぽい人へのフォロー。

 覚醒を大人になることに例えた場合、人間で言えば「体だけ大人になって、中身がお子ちゃま」なひとはたくさんいますよ? そんな、一定の時がくれば皆覚醒するって言いきっちゃっていいんですか?

 その人の意識の持ちようも影響するんじゃないんですか?



●ある意味では、影響する。

 ある意味では、影響しない。



 これは、ものの見方による。

 あなたの人生を一本の道と考えた場合。

 無数の選択の積み重ねにより、紡がれるシナリオは変化する。

 見た目に、その人の意識のありようによって覚醒を迎えるタイミングが早まった、あるいは遅まったという認識ができる。(早まった、遅まったとあえて断言せず、そう認識できると表現したのは、文字通りの意味である。そう認識することが可能だというだけで、真実かどうかということとは別問題である)

 しかし、「パラレルワールド」という考え方や、 「すべてはすでに(同時に)起こってる」という観点まで考えていくと、話が変わってくる。

 宇宙には、違う選択肢を選んだ無数の自分が存在する。

 今覚醒していないあなたもいれば、覚醒したあなたもいる。

 これは、横のつながりの話。もしあなたが未来において覚醒するのだとすれば、そのあなたはもう存在している。

 今あなたは「覚醒していない」あなたを体験しているが、実はもうその未来は起こっていて、どこかであなたは覚醒をもう体験している。

 これは、縦のつながりの話。



 あなたが、ひねくれて覚醒を後に伸ばそうが、本質的に生きて覚醒を早めようが、結局多次元宇宙には全部のパターンがもう存在している。

(注:くどいようですが、遅める早まるなど決めつけて考えるのは危険。あくまでもそう結び付けて考えやすい、というだけ。これはあえて読者との対話を成立させるために言っている) 

 例えば、今この宇宙にいるあなたが今覚醒しなくても、別の宇宙次元のあなたが覚醒している。一方、今あなたが覚醒したら、別のパラレルワールドにいるあなたが、まだ覚醒未体験を担当する。

 このように、すべて絶妙なバランスによって成り立つので、私たちが心配するこっちゃない。お釈迦様の手のひらの上でしか飛べない、孫悟空のようなものだ。



 ミクロ的な視点では、人が自由意思であれこれ選択して違った結果を出しているように見える。

 もちろん、それはこの世視点で間違っちゃいない。しかし、別次元宇宙も含めたマクロ的な視点で見ると、私が今どうなろうが、そうでない役を別の宇宙が担当することになる。そのため全宇宙次元を貫く無数の「私」という存在は、結局全部の可能性(すべての選択肢)を体験するのだ。ただ、今この時点では三次元ゲームキャラとして、今しがたしたひとつの選択の結果しか見えない、というだけ。

 すべての私はいつか(三次元にいる身では、そのいつかは説明不能)いずれ統合され、全部の体験・全部のパターンが分かることになる。人生の全分岐の答え合わせ、的なことがある。

 ただ、同じ全部分かるのなら、今この時点でどれ見ときましょう? どれがお好みですか? というだけの話。



 話がそれたが。

 結局言いたいのは、ど~せいつか覚醒するんだし(今生か、もっと後か。あるいは別次元の私がやっといてくれる)、今私がしたいことだけ考えとけばいいんじゃないの? ということ。

 あなたは、いくつもあるワールドの中で例えるなら「山田さん53号」かもしれないし、「佐藤さん56984001号」かもしれない。

 例えば、53号であるあなたが今無理に悟らなくてもいいんです。

 あなたの気がそちらに向かないなら、6794号がやってくれるでしょう。

 逆に、あなたにとって本当に意識的な目覚めを望むことが心からワクワクすることだったら、他のワールドが安心してもう少し「ゆったりと」人生ゲームを進めることができる。

 


 伝統芸能の世界であることだが、ある師匠に弟子入りしたい人物がいて、その家の門を叩くとする。

 でも、まず最初は相手にされない。必ずといっていいほど無視されたり、けんもほろろな対応を受ける。

 でも、あきらめずに門の前に立ち続ける。毎日。雨の日も風の日も——

 そして一定の日数が過ぎた頃。まぁ入れと声をかけてもらえる。

 ついに、めでたくそこでの修業を認められるのである。



 一部の仏教のお寺でも、似たような話がある。

 僧として認められるまでに、かなりの期間無視されるらしい。それでもあきらめずに経文を唱えて座り込みを続けていたら、一定期間後に声をかけてもらえる。

 一体、なぜそんなことをするのか? その意図はどこになるのか?



●断ってすぐあきらめて帰るようなヤツは、ものにならない。

 そんなものは表面的なあこがれや虚栄心にすぎず、ざるでこしてしまうべき。

 それでも、ふるいにかけても残った者が本物。

 何がなくても、魂の底からそれをしたいと思う「本物」である。



 やめろ、ムダだ、向いていないと言われても、それでもやりたい時。

 やりたい、という自分の情熱にウソがつけない時。

 もしあなたが、覚醒というものに対してそういう姿勢なら、おやりなさい。スピリチュアルを、極めたらいい。それがあなたの「血」であり、自然な流れであるなら、私と同業者である可能性大です。

 そういう方は、もう私もお止めしません。



 私は、覚醒者とは 『職業の一種』 だと考えている。

 八百屋や魚屋、パン屋があるように。

 野球選手や歌手、学校の先生や医者がいるように。

 皆が皆、オールラウンドに全部に向いていて、意識の力次第で何にでもなれる、ということはない。

(これも、現実的な話をしている。可能性がゼロではないという話は割愛する)

 例えば、かつての名選手イチローは、一流の野球選手だった。

 周りからはスゲー、神業だと言われていたが、当の本人にしたら(もちろん、努力の世界もあるだろうが)ある程度は、自然なことをしていたのだ。本人には特別でも何でもない。

 逆に、彼は作曲などできないだろう。イチローは作曲家に対して「よくそんなもんつくれるな。どうやったら出てくるんだ?」と驚嘆するかもしれない。

 でも、当の作曲家にしたら、他人が苦しむほどのことでもなかったりする。



 だから、宇宙のシナリオの中で今、覚醒が人生のイベントの中に含まれ得る方だけでいい。そういう方には、覚醒に向けての苦労が苦労ではないでしょう。

 むしろ、楽しい。だって、その人に合っているから。

 でも、もし「目指すべき」「そうなるべき」と固く思っていて、魂が決して快を味わっていない、辛い状態でも「いいや、こういう苦痛を味わってでも目指す価値のあるものなのだ」と頑張っている人がいるなら、その人に言っておきたい。

 あなたが、いわゆる『強い人』ならいい。でも、そうじゃなかったら?

 高確率で「苦」に翻弄されるでしょう。

 悟りは決して、目指したりすぐにでもなるべきものじゃありませんよ。

 あなたは、あなたが今幸せで楽しい、と思えるものを選択してくださいね、と。

 覚醒することとしないことは、同価値ですよ、と。



 結局のところ、覚醒はオススメしませんよ、というのは覚醒に価値がないのではなく、一種の職業のようなものだから向き不向きを考えてくださいね、ということ。

 適材適所。これが一番。

 しかも、来るべく定まった時にしか来ない。(ただ三次元的現象としては、人の努力や意識の力で左右できるように認識され得る)

 


 これだけ止めてもなろうとするあなたは、きっと弟子入りを許されるでしょう。寺への入門を許可されるでしょう。

 無数あるワールドの中で、あなたが代表してその体験をすることが許されるでしょう。ようこそ、悟りの門へ!(笑)

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