覚醒とはドクロストーンのようなもの
『タイムボカンシリーズ』という、昔懐かしの大ヒットアニメがある。
中でも『ヤッターマン』などは、あとになってリメイクされたり実写映画化したりしたので、そちらは今の若い世代も知ってたりする。
初代の『タイムボカン』から二作目『ヤッターマン』、そして三作目の『ゼンダマン』までには、ある共通したお約束事がある。それは——
●何か貴重なもの(お宝を、苦労しながらも全力で探す
……というものであった。
4作目『オタスケマン』以降は、貴重な探し物を巡って善玉と悪玉が争う、という構図はなくなった。
※細かいことを言えば、『ヤットデタマン』はジュジャクという神秘の鳥を追い求める、という話だったが、あれは鳥自体が目的ではなく、あくまでも王位継承のために必要なアイテムとして欲しいのであり、鳥そのものに何らかの価値があってお宝として追うのではない。
タイムボカンで言えば、『ダイナモンド』。
ヤッターマンで言えば、『ドクロストーン』。
ゼンダマンで言えば、『いのちのもと』に当たる。
これらのものにはとてつもない力があり、それを手にした者は、ものすごい力や効果が得られる、というものだ。(不老不死の薬だったり、莫大なエネルギーを秘めた物質だったり)
でも、最終回でのオチでは、皆共通してあることが分かる。
●必死に追い求めてきたお宝が、実はそれほど大したものじゃなかった
そんな現実に、直面することになる。
ダイナモンドは、地球の空気に触れた途端に力を失うので、見つけてフタをあけた時に空気に触れアウトになり、結局何もならなかった。
ドクロストーンには、結局何の力もなかった。(ドクロベエ自身だった)
いのちのもととは、単なる一時的な若返りの薬で、不老不死とは程遠いものだった。(なんと悪玉トリオが子どもになってしまう)
で結局、追い求める目標を失い、悪玉トリオは解散、という流れになる。
で、私は思うわけだ。
世の、覚醒を追い求める人たちのことを。
覚醒がよいもので、しかもそれは絶対に必要なものであると。
覚醒すると、何か自分が生きやすくなったり、苦しみが減ったり。
いいことづくめで、こりゃ目指さない手はない——。
そこまで露骨には思っていないだろうが、「目指す」ってことはそういうことでしょ。今の自分よりももっとすごいことになる、と思うから目指す。
得をすることがあるから目指す。そうじゃなきゃ、目指さないでしょ。
逆に、それは『今の自分では不十分。まだダメダメ』と認めることにもなる。
覚醒を追い求めるのは、悪玉トリオと同じ。
あなたは、自分が追っているものに幻想を抱きすぎていないだろうか?
めちゃくちゃ素晴らしいもので、何が何でも得るべきだと。
でも、実際にそれを手にした私が言う。
だいぶ、皆さんの思ってるのとは違いますよ、と。
まったく価値がない、とは言わない。でもそれは、起こるべくして起こり、コントロール不可な代物なので、追い求めて得れないという苦しみを味わい続けるより、そんなもの忘れて今ここを楽しく生きたらいい。
私は、他の覚醒者のことなんか知らない。
自分自身のことだけに限って言えば、覚醒とは——
●世界の見え方(視点)が変化すること。そして、その視点の継続が保たれること。
つまり、努力しなければその視点が継続されないのではなく、それが自然になる。
宇宙が自分。他人も、自分。他と自分との境目が究極にはない、という視座。
(※ただし肉体をベースに「私」というキャラとして幻想に生き続けてはいるので、覚醒視点はあっても肉体の弱さに引っ張られる場合はあるため、人間っぽい過ちを犯すことはある)
これだけのことである。
あとは、どこにでもいるただのオッサンで、別にスーパマンではない。
かっこいいヒーロでも、名指導者でもない。そしてこの能力(?)は、なければこの世でゲームがうまくやれないものではない。
てか、あるほうが生きづらい場合もある。(イエスの例を見よ)
ゆえに悟りとは、幻想世界ゲームにおける健全なゲームスタイル(マジ没入モード)に対しては、『裏ワザ』という位置づけになる。
そんなもんでゲームに勝っても、空しい。よほど、フツーの感覚でこの世で生きて得た喜びとか、感じた愛情とか、そういったもののほうが、私が覚醒の感覚で生きてやすやすと何かを乗り越えて得たものより、数百倍の価値と輝きがあると思う。
覚醒を目指したり、そうなったらいいなぁ、と思っている方々へ。
それがワクワクすることなら、魂の底からそうしたいのであれば、止めません。
是非、目指してください。
でも、それで苦しい思いをするのなら。苦しい思いをしてでも目指すべきものだから、頑張るのだというくらいなら、夢から覚めてください。
●ドクロストーンに価値などないのです。
目指している『何か』自体に、意味などないのです。
実はあなた自身はすでに完全であり、それがどんな状態であろうが最高なのだ、と気付くだけなのです。そしてそれは外に探し回るものではなく、実にあなた自身の中にもうあるのです。
人はいつか、自分の外に真理を探したり、自分が得ていないものがあって何とかそれを得よう、という努力に疲れ果て、飽きるでしょう。
そうなったら、もう外に何かを探し出さなくなります。
探したり、他から得るべきものなんて何もなかった、と分かる。
その時こそ、人は何かの大義名分に縛られることから自由になります。
だって、何かをする必要とか、義務などない、と分かるから。
そこにこそ、『あなたのしたいほんとうのこと』があります。
あなたの『血』であり『使命』であり、宇宙という壮大な演劇の中であなたが振られた役です。それを見つけることを覚醒と言うのなら、いいでしょう。それは皆が得たらいいものです。
でも、何かものすごい神秘(覚醒)体験をすることを通して、何か人がガラッと変わって人生が上向きになるようなことを言うのなら、所詮それは、あなたにとってのドクロストーンです。
早く、目指さなくてもいいことに気付いてください。
世の中には、そんなものを目指さなくても楽しいことは幾らでもありますから。
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