Q&Aのコーナー第三十回 「自殺はやっぱりよくないですか?」

 Q.


 自殺について、スピリチュアルの視点からの見解を聞けたらありがたいです。

 学生を相手にする仕事をしていますが、その学生が自殺しました。

 自殺は絶対に駄目だ!と言う立場ですが、なぜと言われると月並みな言葉しか口から出てきません。

 残された大切な人達の心を殺すことだとか、自殺してもまた同じカルマをやり直すだけ…などと聞きます。

 実際のところ、自殺の先には何があるのでしょうか?



 A. 自殺に善悪はありません。でもしないほうがいいとは言えます。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 一応参考までに、自殺について本書の過去記事に書いてあったので、紹介しておく。



●Q&Aのコーナー第三回「どうやったらこの世が夢だと分かりますか(覚醒できますか)?」



 実はこの記事、自殺をメインに論じた記事じゃないので、後半あたりに少し触れてる程度です。しかし、ずいぶん思い切って書いているので、免疫のない方はぶっ飛ぶかもしれません。

 お時間のゆるす方は、過去記事をお読みになられてから、ここからの内容に挑んでください。



 自殺について、よく言われること。

 それは、「絶対ダメ!」ってことである。

 でも私は、それってどうよ?って思う。

 じゃあなぜダメなのか、という確固とした信念もなく言う人が多いからだ。

 せいぜい、「ダメなものはダメ」程度の考えだろう。

 例え答えられても、「親から与えられた命、大事にしなさい!」とか。

「自分の力で生まれてきたんじゃなくて、与えられた命でしょ?だったら、それを自分で勝手に終わらせるのは、よくないことではないかしら?」

 これは、宗教者に多い意見である。

 もっとひどいのは、「自殺なんかしたら、あの世では大変よ?」というもの。



 全部、根拠の薄弱な意見である。

 これらの意見を裏付ける誰の目にも明白な真理など、どこにもない。

 本当に自殺したくなって、苦しみぬいて、それでも死を選ばなかった者の言葉なら、重みがある。でも、たいていは親や教師や世間から植えつけられた「常識」程度の根拠でしかない。

 自分の言葉ではない、「受け売り」であり、所詮借り物の言葉である。

 そんなもん、本気で自殺したい人の胸に響くわけがない。

 相手は、本気で死にたい、って思ってるんですよ?

 スポーツでもそうだが、相手に勝つためには、相手を上回る力と技術と情熱を発揮しなくてはならない。死にたい、と考えるということは、そこまでマジな『魂の問い』をその人はしているはず。

 そんな人に、今のあなたは挑めますか? そこを、考えてください。



 まず、ひとつこれを言いたい。



●自殺はダメ、という決まり文句は最低である。



 水戸黄門の印籠のように便利すぎて、多用されているので疲弊した言葉。

 まったく説得力に欠ける。

 以前の記事でも書いたことだが。

 逃げる泥棒に、刑事が 「待てっ」と叫んで追いかけますよね?

 あれって、まったく無意味だと思いません?

 待つわけないじゃないですか。それで本当に 「はい、分かりました」と言って泥棒が止まったら、そっちの方がビックリじゃないですか?

 多分、待てと叫んだ本人も、言っておきながらその通りになったらビックリすると思う。だから、自殺願望のある人に対して、死ぬなとか自殺はダメとか開口一番に言うのは、一番賢くないやり方である。

 まず、それで分かりました、なんてならないからだ。

 じゃあ、何が大事なのかというと——



●なぜ死にたいのかについて話してもらい、じっくり聞く。

 どれだけ時間がかかっても、全部聞く。

 自分の都合なんて放って、その命に向き合いなさい。



 聞くだけでいい。いらん口挟まんでよろしい。

 話すことで相手は、死にたい死にたいモードに感情が囚われた状況から、少し束縛が緩む。力んで、何かいいアドバイスをしないと、心に響くことを言ってあげないと、なんて思わないこと。

 この場合必要なたったひとつのことは——



●命に寄り添うこと。



 あなたにその気持ちさえあれば、他は何も気を揉まなくてよい。

 心配しなくても、口から必要な言葉は出る。

 そのあとのことは、もう本人の世界である。

 あなたが決めるのではなく、本人がどうしたいかを決める。

 その上で起きたことに、あなたは責任を感じなくてよい。自分のどうしようもない領域に関して、ああできたかもとかこうできたかもと考えるのは、傲慢である。

 とにかくいかに自分の言い分が正論でも、否定形で相手にアプローチしてはいけない。~はダメ、という否定形で相手に挑めば、高確率で否定形がリターンしてくる。

 それよりは、まず相手を受け止めよう。

 間違えてはいけませんよ。自殺を肯定するのではなく、そんな気持ちになった相手の在り様を肯定するのです。



 私は、究極的には『本当に自殺したかったら、すれば?』というスタンスである。

 もちろん、最初からそんなことは言わない。相手の命に寄り添い、話を最後まで聞いてあげて。それでも死にたい、ということであれば、じゃあどうぞ、と言うだけである。

 本書で言ってきたことは、人間として生きる我々はゲームキャラなのだということ。我々の正体は神……またの名を「神意識」といい、永遠で絶対の存在。

 だから、死ぬことなんてできない。消えることなんてない。

 スピリチュアルの世界ではよく言われる「私たちは本来生まれることもなければ、死ぬこともない」というのは、そのことを言ったものである。



●自殺したくなるなら、それは

『あなたのゲーム、この状況では手詰まりですね? 何でしたら、リセットして新しくプレイしますか?』

 という呼びかけであり、

『あなた、人生に喜びがないですよ。楽しくないのに、何のためにゲームやってんですか?』というアラームでもある。



 神意識が、この世界にあなたというゲームキャラをわざわざこさえて遊びにきている理由。それは、楽しみ喜ぶため。

 あなた、ゲームをすることはありますか?

 なぜするんですか? ゲームが楽しいから、ですよね?

 楽しくなくなったら、やめませんか? 修行のような苦しい思いをしてまで、やりますか? だから、自殺したくなる、というのは 「ゲームが面白くなくなってきた」のです。

 例えばあなたがゲームをしていて、望ましくない展開になって、これ以上無理に続けても先が見えたな、っていう時。リセットボタンを押して最初っからやろう、って思うことがあると思います。

 だから、自殺というのはリセットボタンを押したくなる誘惑です。

 そして、一種の警告です。

 この世界にはゲームしに来たのに。楽しくないなら、続けている意義がなくなる。

「どうします? こんなんだったら、しないほうがいいんじゃないですか?」 



 イエス・キリストは、親の葬式に行かせてくださいという弟子に、こう言った。


 

●その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい(ルカ福音書9章60節)  



 イエスは、生きている人を指して死人と言った。

 生きていて死人とは、どういうことか。

 例えば、あなたはゲームをする時、明らかにイヤイヤモードで、どうだっていいやって気持ちでやりますか?

 ワクワクして、やるからにはクリアするぞ! ハイスコア出すぞ! ってやるのが普通のはず。

 だから、この三次元ゲームの舞台に来ておいて、楽しくもなくワクワクもなく、情熱もなく、野心も希望もなく、日々食っていくためだけに動き(中にはお金があって動く必要さえない者もいる)、機械的に動く。

 変化もなく、またそれを望んでもいなくて、ぬるま湯につかったような状態。

 それはまさに、やる気なくゲームをプレイしている状態。

 そんなんだったら、やってて何の意味があるの?という状態。

 イエスは、その状態をもって死人、と言った。

 だから、自殺したってしなかったって変わりゃしない。

 肉体的に生きてようが死んでようが、どっちにしたって死人なのだ。

 


 ゆえに、私からのメッセージは、これに尽きる。



●本当に死にたければ、止めはしない。

 あなたは神であり、本当の意味で死ぬことなどできないから。

 ゲームキャラが消滅するだけで、あなたはまた新しくプレイするだけ。

 でも、これだけは分かってほしい。

 あなたの意識こそが、すべてである。

 遅すぎることなど絶対にない。

 取り返しのつかないことなど、絶対にない。

 今ここであなたが生きよう、楽しもう、やり直そうと意思を固めれば——

 宇宙は、あるじであるあなたに応え、そのような現実を創造するだろう。

 次のプレイに持ち越さず、今ここでクリアしないかい?

 私と一緒に。



 死んで輪廻したら、また赤ちゃんからやり直しです。

 これって、大変でしょ?

(神意識からしたらどうってことないが、三次元キャラであるあなたの認識では、ということ)だから、このことも提案したい。



●それが面倒なら、ゲームキャラを自滅させないで、いやおうなしにゲームオーバーになるまではベストを尽くしたほうがよくはありませんか?



 では、本日のまとめに入ろう。



①自殺したい、という人に頭ごなしにダメというのは思慮が浅い。

②自殺したい人を思いとどまらせるには、相手の「死にたい」に勝る「生きよう」を植えつけるしかない。

③あなたが自殺する人以上にマジに人生と向き合っていないと、相手にしてやれることはほとんどない。

④否定形(自殺はダメ)で相手に臨めば、恐らく相手も否定形で返してくる。

⑤本気で相手を止めたければ、まずは説得よりも相手の話を聞くことに全神経を注ぐこと。

⑥相手を神と思い、その神としての命に寄り添うことだけを考え、他のことは一切計算機をはじかない。

⑦自殺自体を肯定するのではなく、自殺をしたいと思うに至った相手の在り様を認める、ということ。

⑧死にたくなるのは、三次元ゲームが楽しめていないから。

⑨自殺することは、リセットボタンを押してまた一からゲームをやり直す、ということ。

⑩次のプレイに持越し、赤ちゃんからはじめるよりは、今クリアしてみない?ということ。

⑪どんな人情的な言葉を尽くしても、⑩以上の意味ある言葉などない。

⑭自殺が選択できるという現実がある以上、その価値は中立である。良いも悪いもない。

 

 

 自殺に関しては、南直哉さんという方の意見も、参考になります。

 曹洞宗の禅僧をしておられる方です。

 たくさんの著書を出されている有名な方なので、お名前で検索すれば色々見つけられるはずです。

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