Q&Aのコーナー第二十四回「情熱を傾けられるものが見つかりません」

 Q.


 情熱についてですが、僕は情熱を持ってイキイキとしてる人にとても魅力を感じます。この世界がゲームで、自分の好きなように自由に生きていいなら、僕は何かに情熱を持って熱く生きたいと切に思うのですが、情熱とはどこから湧いてくるのでしょうか?

 情熱を向ける対象に出会うにはどうしたら良いのでしょうか? やはり色々行動して、続けることでしょうか。

 もう、随分長い時間迷いの世界にいるような気がします。

 心から、何かに夢中になりたいのです。

 どうかアドバイス頂けたら幸いです。



 A. 情熱を傾ける対象を探すコツは、『探さないこと』です。



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「生きていて、何も楽しいことがない」

「一生懸命、情熱をもって打ち込める何かを、なかなか見つけられない」

 よく、そういうお悩みを耳にする。

 そんなわけで今日は、三つの問題について考えてみたい。



 ①情熱とは何か。どこから湧いてくるのか。

 ②なぜ、情熱が湧かない人がいるのか。

 ③どうやったら、情熱を向けられる対象を探し出せるのか。



 ではまず、①から。



 そもそも、なぜ我々人間や、この三次元宇宙が現われたのか。

 今までの記事の再確認になるが、お付き合いください。

 もともと、ワンネスなる、絶対であり永遠である存在、『神意識』だけがあった。比較するものもなにもない、一(いち)なる世界。

 これを『一元性の世界』とも言う。

 永遠の完全なる静寂の中で、その完全な存在は『退屈』した。退屈、と言えば何だかしっくりこない方もいるかもしれないが、他に適当な表現が見つからない。

 そこで、神意識は、自分が何者なのかを知ってみたくなった。

 知る、という行為は、知る側、つまり観察する側(主体)と、知られる側、つまり観察される側(対象)という二者がいて初めて成り立つ。

 しかし、一元性の世界なので、知ろうにも自分以外の対象が存在しない。

 なので、神意識は自分の内にあるものに似せて、観察の対象を創った。

 それが、この物理宇宙世界、つまり我々の住む二元性の世界である。

 観察の対象、と言うと実験みたいでおカタいが、要するに「見て楽しむため」である。自分のすべてを投影した対象をつくり、それを観察することで「自分を知ろう」と試みたのだ。


 

 神意識の 『自分のすべてを知ってみたい』という思いは、言い換えれば『情熱』である。自分が何者なのか、自分の可能性のすべてを知りたい! という情熱である……ということはですよ。

 私たち三次元の人間ゲームキャラクターを動かしている神意識の正体は、情熱だとも言える。そして、その情熱の原因者から生じた私たち自身も、この宇宙を楽しむぞ! という情熱の化身だとも言える。

 だから、「情熱が湧かないんです……」という状態は、世間から学習してしまった様々なウソの前提を受け入れてしまったせいで、自分の本当の正体を忘れさせられてしまった状態でもあるのだ、と言える。

 情熱が分からないどころの騒ぎではない。実はあなたはもともと『情熱そのもの』だったのだ。これは、他のことについても言える。

「自分には愛がない」「愛が分からない」 などと言われるが——

 あなた自身が、実は愛そのものだった!という喜劇。

 では、情熱とは何か、ということについて整理してみよう。

 


●神意識が、自分を知ろうとする原動力となったエネルギー。

 この世界も、そのエネルギーによって創造された。

 つまり、ゲームプレイヤーである神意識も、ゲームキャラである我々も——

 どちらも、その本当の正体は『情熱』であり『喜び』だったのである。



 では次に、②の問題。



 私たちの正体が情熱なら、なぜ情熱の湧かない人がいるのか。

 それは、正確には情熱が湧かないのではない。情熱がないわけでもない。



●この三次元ゲームにおいて、「ない」フリをして楽しんでいるのである。



 神意識にしたら、すべてが楽しいのである。

 喜怒哀楽、幸不幸は関係ない。すべて同価値に楽しむ。

 私たちも、映画やテレビ番組、小説やマンガを、無差別に楽しむではないか。

 ハッピーエンドな、心温まる作品だけ見ますか? バッタバッタ人が死んでいく戦争映画や、暴力シーンのあるアクション物だって見ますよね。

 ホラー映画だって、問題提起的な、不自然な終わり方をするドラマだって見る。

 だから、神意識にしたら、自分は完全であり、情熱でしかありえないので——



「ああ、情熱が分かんな~い!

 どうしよう、これってマジヤバ?」


 

 ……ってな架空の世界に浸って、情熱のない自分、というあり得ないフィクションを楽しんでいるのだ。

 だから、情熱が湧かないなら湧かないで、別にそれは悪いわけでも、問題なわけでもない。それはそれで、神意識側はどうでもかまわないのだ。

 ただ、ゲームキャラであるあなたが気にする、というだけ。

 ではまず、心に叩き込んで欲しいひとつめの情報はこれ。



●情熱が湧かないことが良くないのだ、という価値観を捨てる。



 これは、前回のQ&Aの内容にも通じることである。

 ~が良くて、~は悪い。良くない。

 この世間では当たり前にもつこの価値判断こそが、すべての元凶なのだ。

 なぜ、情熱の湧かない人が、何かを探そうと必死になってもなかなか見つからないのか? そのわけは、簡単である。

 今の自分を、否定しているからである。

 情熱の湧かない今の自分はダメなのだ、と否定しているからである。

 否定が種では、その種から成る実も、またそのようなものである。

 心に叩き込んでほしい、ふたつめの情報はこれ。



●現状を否定していては、良いものを探しても見つからない。



 だから、情熱の湧かない今の自分を価値判断せず、この私のありかたもOKなんだ、と認めてみる。

 自分という存在のありのままをまずOKだと認めて、力を抜いたその上で「でも、情熱を傾けられることがあれば、なお楽しいよねぇ! 何かあるかなぁ~?」と、そういうお気楽なワクワク感をもって探せば、意外とパッと見つかるかもしれません。



 では、いよいよ③の問題。



 どうやったら、情熱を向けられる対象を探し出せるのか?

 ひとつ、先ほどの②のところで、答えは出ている。

 情熱が湧かない現状をダメだと否定せず受け入れ、気楽に探すこと。

 そして、もうひとつ必勝法がある。

 さてさて、その必勝法とは?

 ジブリのアニメ映画『魔女の宅急便』に登場する『ウルスラ』さんから学ぶことができる。でも、ウルスラ、なんてキャラ、いたっけ? という人も多いだろう。

 劇中では、この人が名前で呼ばれることがないからだ。絵描きのウルスラさんは、魔法が使えずスランプに陥っている主人公のキキを、家に招く。

「私も、良く描けなくなるよ。そんな時はジタバタするしかないね。描いて描いて描きまくる」

 そこで、キキはウルスラに質問をする。

「それでもダメだったら?」

 その後の返答がいい。



「描くのを止める。

 散歩したり、景色を身たり、昼寝したり……なにもしない。

 そのうちに、急に描きたくなるんだよ」



 これなんですよ!

 手放すことなんです。

 ジタバタしてダメなら、それをやめてみるんです。

 そういう意味で、悟りと共通したものがあります。



 お金でも恋人でも、ムキになって求めれば相手は逃げていきます。

 意識の根底に、『欠乏感』があるから。

 必死で求める、ということは『今それが自分にはない』ことを表明していることになる。だから、ちょっと落ち着いて冷静になってみて、自分の努力がちょっと空回りしているなと感じたら、立ち止まって、休憩してみるのも手です。

 何かないか、何かないか!と必死になっている時は、エゴが活躍している時です。

 情熱が湧いてない自分はダメだから、何とかして探し当てなきゃいけないんだ!

 そのように、あなたが力みすぎているから、つかめるものもつかめない。



 一切の気負いを抜いて。

 目標がつかめようがつかめまいが、それであなたの価値が変わることはない。

 リラックス、リラックス!

 はぁ~い!あわてない、あわてない。

 ひと休み、ひと休み!(一休さんのノリで)

 


 そうしていると、急に情熱が何かに対して湧く瞬間を迎えます。

 それは本当に、自分の力でというより、運命のめぐり合わせのように出会えます。

 何もしない、リラックスしてすべてお任せ、という状態はエゴが黙っている状態。余計なことを言ったりしない状態。普段は価値判断やエゴの声でかき消されている『正味の自分』が、顔を出しやすくなる。

 よって、三次元ゲームでの自分の役割が何かに関しての感性が、鋭くなる。

 だから、そういう時ほど己というものを悟りやすい。

 瞑想やリラックスがよい、というのはそういうことだ。



 では、今日のまとめに入ろう。



①情熱が湧かない、というのはこの三次元ゲーム世界限定の現象である。

②なぜなら、空意識の正体も我々の正体も、情熱そのものだからである。

③人間が苦しむのは、情熱でしかない存在ががそれを分からない、という架空のゲームをしているから。

④情熱の湧かない状態が良くない、という価値判断を捨てること。

⑤現状を否定して別の何かを求める行為は、空回りする。

⑥煮詰まったら、何もしない、すべてを手放しリラックスする、ということをしてみる。そうしているうちに活路を見出せることは、多い。



 そもそも、あなた自身が愛・喜び・情熱でしかあり得ないのだから。

 分からないフリなんていつかは終わる。自然にそういうものは分かる。

 そんなお気楽なスタンスでいること。

 宇宙の王であるあなたがそう決めればよい。

 


 質問者も、宇宙の王である。

 愛であり、喜びであり、情熱そのものである。

 ほどなく、情熱を注げるものを見つけられると信じる——。

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