さとります! さとりんサトイモ、すいっすいっすいっ! さとっておさとが、さとポッポ !

 まず最初にお詫び。

『SPEC ~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿~』

 を知らないと、タイトルが何の冗談かわからないと思います。

 おおっ、賢者テラさんも『変人テラ』さんになったか!

 そう思われても仕方がありませんが、それでも受け狙いで冒険野郎マクガイバー・特攻野郎Aチームの覚悟でボケさせていただきました。


 

 スピリチュアルや宗教の世界で、「悟った」とか「覚醒した」という言葉を聞く。

 今日は、その「悟りって正味何なん?」ということを考えてみよう。

 世の中には、自分が真理をつかんだ!とか思って、他人を同じ考え方にしようとそれこそ骨身を削って、必死になっておられる方々がいる。じゃあ、そういう人って「悟った」人なんだろうか?

 あるサイトで、「悟るとはどういう状態か」についてのなるほど! という説明があったので、ここにちょっと紹介してみる。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 


さて、自分が覚醒したかどうかどうしたらわかるか、と聞かれることがありますが、そのような質問が出ること自体、まだ目覚めが起きていないことを表しています。


覚醒の大きな特徴は、真理の探究に対するあらゆる質問が止むことです。


知的に知らなければならないことが無くなります。


もちろん専門知識や専門用語の意味を尋ねることはありますが、いわゆる趣味のレベルであり、本質的な問いかけは消えています。


真理に対する議論もなくなります。


たとえ否定されようと、反対意見を持ち出されようと、議論にはなりません。


相手が学びたいという思いから意見を言っているのであれば、その人が理解できる言葉を使って説明しますが、相手の態度が決まっている場合は、こちらが折れて同調するか、その場を離れるかどちらかです。


たとえ自分の意見を曲げて相手に合わせたとしても、真理は何も変わりません。


不毛な議論に労力を費やすよりずっとマシです。


何のスタイルもありません。


四角い容器に入れば四角に、丸い容器に入れば丸くなり、水のように自由自在です。


もし何かの形に捉われているとしたら、まだ目覚めは起きていません。


「べきだ」も「ねばならない」もなく、自分が心地よいと思うことをして、好きなものを手に入れ、好きに生きだします。


聖者とはとか、覚者とはとかいうイメージからも完全に自由です。



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 どうだろうか。

 これは、「●●の証人」や「●●の科学」の人たちの姿とは、だいぶかけはなれている。

 本当に悟った人は、他者のあるがままを受け入れるのだ。

 決して、真理の押し付けをしない。私が正しくて相手が間違っている、という認識がない。ただ求められれば、その人の受け入れやすいレベルと言い方で、アドバイスしてあげるだけだ。

 相手の信念がまだ固く、今説明しても「まだ時ではない 」ことを知れば、もうそれ以上関わってこじれさせたりしない。そこの加減ができず、「絶対に見捨てない」と変な使命感で頑張ってしまうのが、多くの宗教者の傾向だ。



 誤解のないように言うが、決して必死に活動している新興宗教なり思想グループが悪い、と言っているわけではない。彼らは真面目に、気分よくそれをやっているのだから、それはそれでよいのだ。私が普段から言っているように、すべての物事の価値は『中立』なのだから。

 だが、本当の覚者とは、こうあるべきと他者に押し付けなどしない、ということは知っておいてよいと思う。

 あなたは、それで真偽を見分けやすくなる。



 他人を必死に変えようとする行為は、相手を「救ってあげないといけない問題のある人」と宇宙に宣言し、その信念の通りにしてしまう行為である。

 はっきり言って、



●目の前に問題のある人がいる、のではなく——

 あなたが目の前にいる人を問題のある人にしたのだ!



 これが真実である。



 だから、カウンセリングなどを仕事としている人は気をつけねばならない。

 カウンセラーが、目の前に座った人を「問題を抱えている人が来た」と思ったとたんにワンナウトだ。

 そして相手の話に傾聴して、その内容の深刻さに「こいつは大変だな……」でツーアウト。

 最後に、「私が責任を持ってアドバイスしてあげないと!」と力みだしたら、スリーアウト。

 さらに、その判断にマインドの思考が進入してたことに気付かず、その自覚を持てないまま対処療法的なアドバイスをしたら、来シーズン二軍落ち。



 新しい時代の、他者に関わるときの心構え。



●相手を「問題のある人間」だと考えない。

 神様だ!と考える。



 思考(信念)が現実化することがあるのは、お分かりになるだろう。

 だから、問題のある人が相談にやってくる、という認識でいたら、その信じている通りになる確率が跳ね上がる。



 私たちはすでに、あるがままで素晴らしく、完璧なのだ。

 あなたはただ「自分が変わりたい」と本当に思ったときだけ、心を開いて動けばよい。その時初めて、情熱を傾けて何かをすればよい。

 ただそれだけのこと。

 自分から変わりたいと思わない限り、人から言われようが何だろうが、操られるべきではない。他者に、自分をマリオネット人形のように操作させてはいけない。

 あなたが 「宇宙のあるじ」 なのだ。

 この世界はあなたに、~せよ、~すべきなどということは求めていないのだ。



●ただあるがままに、あれ。



 天はいつだって、あなたにそうささやきかけているのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る