【厳選!この人物が維新の分岐点ランキング 幕府サイド】6位 勝海舟《カツカイシュウ》

第六位【勝海舟】(勝安房守)(勝麟太郎)

《親子鷹》でお馴染みの苦労人旗本。

咸臨丸の渡航経験者でもあり、開国論に関しては、攘夷論自体が馬鹿馬鹿しいと考えていた人物。

まだ見聞の浅い【坂本龍馬】が、千葉道場主の息子【千葉重太郎】に誘われて勝の命を狙いに来た際に、話を聞いてからにしなよ!と説いて坂本龍馬は勝に弟子入りしたとされる。

一応、勝海舟が《神戸海軍繰練所》開設の際に坂本龍馬は金策に奔走したようである。

勝も坂本龍馬の紹介で【岡田以蔵】を護衛につけてもらったことがあり、実際に襲われた際に以蔵が襲撃者を斬り捨てた。

勝は、人斬りを嗜んじゃいけねぇ。と以蔵に言ったが、以蔵にそしたら勝先生が死んぢゅうがぜよ。と言われてしまい、ぐぅの音も出なかったようである。

勝海舟自身は、上層部に翻弄されたり、小栗上野介と対立したりと政争に揉まれながらも、徳川家存続に情熱を注ぐ。

【西郷隆盛】《西郷吉之助》との交渉で成立したとされる【江戸城無血開城】も、裏側で勝海舟による【江戸焼き払い】計画が存在したらしく、西郷隆盛にとっても何一つメリットが無い為に江戸城開城に至ったようである。

その後も西郷隆盛らによる徳川家滅亡計画が企てられる可能性は否定出来ないので、徳川慶喜は徹底恭順し謹慎。勝海舟は幕府軍の武装解除を進める。

しかし、榎本釜次郎榎本武揚らは五稜郭に渡り最後まで抗戦する。

幕府軍が瓦解した後も、【奥羽越列藩同盟】が、新政府軍に抗戦することになるがもはや勝海舟が関わる問題ではなくなっていた。

勝海舟は、【第二次長州征伐】などの幕府軍の重要な戦いに限って悉く要職を外されている……この事も幕府軍が不利になる要因の一つであったであろう事は想像に難くない。

勝海舟は自ら分岐点となり、周囲の人間からも分岐点にされた人物像が浮かんで来てならないのである。

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【厳選!この人物が維新の分岐点ランキング 徳川幕府サイド】 どら焼きパンケーキ中佐 @kotobukinatsuodorayaki

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