廃墟と妖精

 子爵軍と男爵軍の衝突から、少しあと。


 黄昏にとある礼拝堂で、両開きの扉が開け放たれた。

 廃墟と化したゴシックの聖堂。それでもほぼ健在な信徒席に挟まれた道の到達する果て、そこで半壊した祭壇と、上部に掲げられた十字架のイエスに対向している大きなシルエットが尋ねる。

「首尾はどうだ?」


「……残念ですけど」

 入り口から入ってきた二つの影が、歩みを進めた。うち、聖母のような顔立ちで首から下をマントで覆った少女が応答する。

「レイラインの構築には、やはりハーメルンの街ごと排除するのが合理的なようです」

 彼女は口を動かさない。どころか全身が金属じみた光沢で、いささかも形状を変えずに滑るように移動できていた。

「そうか。ご苦労だったな、〝鉄の処女アイアンメイデン〟」

 祭壇上のキリストを仰いだまま、奥の影はねぎらう。

「これで諦めもついたろう。一般市民でも魔力の強い女や子供も数多い、レイラインを歪める障害となりうるために邪魔なのだ。証言する者も残さないよう、一挙に処分すべきだ」


「本気でやるつもりか」

 新たにしゃべりだしたのは、アイアンメイデンに同行するもう一人。そちらは、吟遊詩人のような装いの少年らしき容貌である。

「結局のところ、外道ぶりには人と大差がないようだな。バフォメット」

 鍔広の帽子を目深に被り、マントを羽織った彼は挑発的に言及する。腰のベルトには角笛が結わえてあった。


「口を慎め、〝ネズミ捕り男ラッテンフェンガー〟」

 背を向けていた奥の影。バフォメットと呼ばれたものが、忌々しげに振り返る。

「街ひとつで済まそうという時点で奴らとは異なる。ほうっておけば、我らは根絶やしにされかねぬのだぞ。アイアンの調査どおり、やむを得ない最小の犠牲だ。だいいち、貴様も手を汚したろう」

 そいつは、牝山羊と人体が融合したような筋骨隆々たる怪物だった。

 体躯も自分の倍くらいはある相手にも臆せずに、ラッテンフェンガーは不平を口にする。

「子爵についてなら、貴様らも恨みがあっただけではないのか」

「無論それもある。自身の略奪を隠匿し、小悪魔のせいにしていたのだからな。お蔭で妖精への偏見は強まり、人間たちから敵視されての襲撃も増えていた。が、これとは別問題だ」

「そうかい」

 自身の正当性を信じて疑いそうにないバフォメットへと、少年は話題を替える。

「だったらハーメルンについてはどうだ。こちらにはもっといい策があるぞ、妖力ようりょくを応用すれば無用な殺生をせずに済むはずだ」

「貴様の策など、我らには負担となるのではないかな。ならば本末転倒。そもそもハーメルンの作戦に采配を振るう権限は、反人間妖精アンシリーコート連合、西欧方面軍司令官の我に与えられているのだ。任せてもらおう」

「おまえが死んだら、代わりが必要になるだろう」

 少年は、鍔の下から鋭い眼光を放った。

「……ほう」

 バフォメットが鼻で笑う。


 ――直後、ラッテンフェンガーが角笛をはずして振り上げる。

「〝即興曲アンプロンプチュ〟」

 唱えるや、即興曲の音色と共に見えざる刃が祭壇を真っ二つとし、後ろの壁に掲げられた十字架までをも引き裂いた。

 轟音と煙が舞ったが、そこにもうバフォメットはいなかった。

「〝洗礼パブテスマ〟」

 不気味な山羊人間の声と魔力が、両脇のステンドグラスを割る。無数の破片が浮き、矢のように少年を襲った。

 彼は瞬時に後退し、先ほどまでいた位置にはガラス片が突き刺さる。

 気配を察したラッテンフェンガーは、振り返りざまに角笛の先端を突き出す。

 背後で待ち構えていたバフォメットも、鋭い爪が生えた手刀を繰り出した。

 衝撃で信徒席の列を吹き飛ばし、聖堂の中央にクレーターが刻まれる。


「やめて!」

 アイアンメイデンが制止した。

 二つの凶器を間に入って己が身で止めた彼女には、傷一つなかった。

「こんなことをしている場合ではないでしょう」


「……もっともだ」

 僅かな沈黙を挟み、最初に手を引いたのはバフォメットだ。彼は、相対する少年へと提案する。

「ラッテン、ひとまず休戦といこうではないか。本当に妙案があるのならば静聴してやろう。ただし、そいつが失敗すれば原案でことを運ばせてもらう」

「いいだろう、成功させてみせる」

 ようやく、ラッテンフェンガーも角笛を腰元にしまった。


「さて」改めて、バフォメットは語る。「別の報告もあるのだ。最近完成したレイラインの一部ですさまじい力を捕捉した」

「発生源は?」

 ラッテンも、もう落ち着いて問う。

「神聖ローマ帝国中部、先日レイラインが通り役割を終えた遺跡でだ」

「まさか、メリュジーヌのですか」

「いや」推量する少女に、怪物は教えた。「フェアリーリングに酷似した穴が開き、そこに計測した」

「形成された理由も不明なのでしょうか?」

「そこから現れた何者かの仕業らしい。同様の質を纏った魔力が以後にも流れに干渉し、レイラインが湾曲されることで感知されている」

「時期と位置が怪しいな」ラッテンが案じる。「そんな不確定要素が発見されても、計略に支障はないのか?」

「普段はレイラインに引っかからないほどこの魔力は低い。どういう原理か、まれに増大するらしい。高低差がありすぎて、普段はまるで無力なようだ」

「そんなことが、ありうるのか」

 衝撃を受けて、ラッテンとアイアンは目を見開く。


「それに――」

 部下たちの反応を意に介さず、バフォメットは言葉を紡ぐ。

「クロード・リュジニャンが、その魔力の主と共にいる。そこらを縄張りにしていたオーガが二人に殺められたらしい」

「……結託したということか」

 やおら少年が尋ねると、怪物は厳かに口答した。

「可能性はある」

「こちらの予定を狂わせる可能性もな」

「ありうる。いずれにせよ、連中はハーメルンに接近している」

「どうするのですか」

 不安げな少女へと、バフォメットは宣託のように告知する。

「無論、気付かれぬように検査だ。心当たりもある。障害になるのならば、始末すべきだろう」


 微かな緊張が、ラッテンとアイアンにもたらされた。双方は一度顔を見合わせ、やがて少年の方は開口する。

「……もっと舞台を整えたかったが、いいだろう」

 彼の決意に、バフォメットはいかにも悪魔らしい笑みを湛えた。

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