第4話

 少年が目を覚ました気配を感じて、いちはもハッと起き上がる。少年はいちはをじっと見つめてきた。正確には、いちはの耳を。

「あっ、あのっ、これは! これは……」

 いちはは慌てて両手で耳をペタンと折り畳むが、今更隠そうとしたところでもう遅い。この綺麗な少年も、いちはのことを軽蔑するだろうか。恐ろしい想像に思わずぎゅっと目を瞑ると、少年から掛けられた声音は、驚くほど優しいものだった。

「助けてくれたの?」

「えっ?」

「倒れたところまでは覚えてるんだ。だけど、ここまで連れてきてくれたのは、君?」

 少年の問いかけに、怯えも忘れてこくこくと頷く。そんないちはの様子に、少年は再び柔和な笑みを浮かべる。

「ありがとう。僕、キオト。君は?」

 名前をきかれたのなんて初めてのことで、いちははどぎまぎしながら居住まいを正す。

「いち? いちは、いちはっていうの。いちまいのはっぱってことだって、おとうさんいってた」

「お父さん? お父さんと一緒に住んでるの?」

 いちははふるふると首を横に振った。

「じゃあ、お母さん?」

 いちははもう一度、同じように首を振る。

「もしかして、一人でここに住んでるの?」

 今度は首を縦に振った。

「おとうさん、しんじゃった。おかあさんはもっとまえにしんじゃった」

「そっか。じゃあ僕と一緒だ」

「キオトも? キオトもひとりぼっちなの?」

 九の村の子どもは大抵両親が揃っているか、なんらかの理由でいなければ祖父母や親戚がいるから、これにはいちはは驚いた。そんないちはに、キオトは少し目を伏せながら言う。

「もう顔も覚えてないよ。クニの内戦に巻き込まれたんだ。僕一人が、たまたま生き残ったらしい」

 キオトの話は、いちはには少し難しかった。けれど、先ほどまで微笑みを浮かべていたキオトの表情が変わったことから、なんとなくではあるが、何か大変なことがあったのだろうという察しはついた。

「じゃあキオト、いくところないの?」

 いちはの問いに、キオトは曖昧に首を傾げる。そんなキオトの様子に、いちはのお節介が心をうずうずさせてくるが、いちはは一生懸命それを我慢した。キオトは人間だ。半妖の自分と関わったと知れれば、キオトも自分と同じような目に遭わされてしまうかもしれない。自分と会ったことは、誰にも言わないほうがいいに決まっているのだ。

「キオト、むらにいくといいよ」

「村?」

「もうちょっと、あっちのほうにいくと、くのむらっていうところがあるの」

 いちはが指差す先に、キオトも釣られて視線をやる。

「そこにいって、たすけてもらうといいよ。でも、いちにあったってことはぜったいいっちゃダメ」

「なんで?」

「いちはニンゲンじゃないから。いちのおうちにきた、なんていったら、キオト、きっとひどいことされる」

「それは、これが理由?」

 そう言って、キオトはいちはの尾を掴んだ。

「にゃっ!」

 驚きのあまり猫のような鳴き声を上げたかと思うと、いちはは寝床からゴロゴロと転がり落ちた。

「ご、ごめんっ! そんなに吃驚するとは思わなくて」

 キオトは慌てて手を差し伸べるが、いちはがその手を取ることはなかった。恥ずかしそうに真っ赤な顔を俯けながら、いちはは小声で話を続ける。

「いちはニンゲンとキツネのこなの。むらのひとは、はんぱもののいちがきらいなの。だからキオトも、いちのこと、いっちゃダメなの」

「そんなこと言ったら、僕だって、この国の人と髪も目も色が違う」

 そう、目が覚めてわかったことだが、キオトの目は、髪が光のような色であるのと同じように、空を閉じ込めたかのような透き通った色をしていて、いかにも九の村の人々が爪弾きにしそうな容姿をしていたのだ。だがそれでも、いちはには彼がこのままこのボロ小屋で生活するより、九の村を頼ったほうが遙かにマシだと思えてならなかった。しかしそれをうまく言語化する能力が、今のいちはにはまるで足りなかった。

「~~それは……でも、でもぉ……」

「わかった。いちはちゃんを困らせたい訳じゃないから、いちはちゃんがそう言ってほしいならそう言う。でも、これだけは覚えておいて」

 そうしてキオトは、床にペタンと座り込むいちはの手を、今度こそそっと取った。

「僕はいちはちゃんに助けてもらったことを絶対に忘れない。この恩は、必ず返すから」

 いちははこの時、初めて【おんがえし】という言葉を覚えたのだった。

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