第3話

 遡ること、五年前。


 ピシャン、ピシャンと、葉が雨粒を弾き返す音の中、いちはは急いで森の中を駆けていた。

「て、てんきもよめないなんて、これじゃおとうさんにおこられちゃう」

 いちはの父は妖狐九尾。いちはにとっては、なんでもできる自慢の父親だった。だが彼はもういない。母も亡くしているいちはは、今や天涯孤独の身の上だった。

「ぎゃうっ!」

 何かに引っ掛かったいちはは、そのままベシャッと泥の中に転んでしまう。グスグスと半べそをかきながら振り向いた先には、いちはと同じくらいの歳の、一人の少年が倒れていた。

(に、ニンゲン……!)

 いちはにとって一番近しい人間は九の村に住む人々だ。だが彼らはこぞっていちはを嫌い、村に近づくことさえ許さない。だからこうして、いちはは食糧を求めて森をさ迷うハメになっているのだ。……まさか雨が降るとは予想していなかったのだが。

「あ、あの……」

 声を掛ける勇気が出たのは、少年の髪が不思議な色をしていたからだ。いちはを含め、九の村のみんなは黒い髪をしている。だがこの少年は、まるで光を取り込んだかのような美しい金の色の髪をしていた。異国の民かもしれない。そんな好奇心が、いちはの腕を動かした。

「だ、だいじょうぶですか……?」

「う……」

 肩をゆさゆさとゆさぶっても、少年は呻くだけで返事はしない。だがどうやら生きてはいるようだ。そのことに少しだけホッとすると、いちはは少年を背負えはしないかともがいてみた。

「ど、どうしよう……」

 小さいいちはの身体では、当たり前だが無理だったため、途方に暮れる。しかしこのままにしておく訳にもいかず、なんとか少年の腕を自分の肩に回した。

「ごめんね、ごめんね、いちにもっとちからがあれば……」

 妖術が使えるのに。そんないちはの呟きは、一層激しくなった雨音にかき消された。ズリズリと少年の足を引きずりながら漸く自宅に辿り着いた頃には、いちはの気力も限界だった。バン! と扉を開けて倒れ込むと、いちはも気を失ってしまったのだった。


「う……」

 目を覚ますと、窓からは暖かい日差しが差し込んでいた。虹が出るかも……なんて呑気なことを考えていたいちはは、ズシッとかかる何かの重みにハッとする。慌てて横を見ると、少年はまだ意識を取り戻していない様子だった。いちはは少年の胸に顔を寄せ、心臓の音を確かめた。額にも触れ、熱がないことに安堵する。

「んしょ、んしょ」

 少年に覆い被さられている形になっている下からなんとか這い出て、乾いた布が余っていないか探し出し、自身と少年の頭を拭く。ずぶ濡れになった服は、洗濯紐を張って干した。本当は天気がよくなったのだから外に干したほうがよいのだろうが、突然訪れた非日常に気が動転していたいちはは、そこまで頭が回らなかった。

 熱はないとはいえ、少年の身体は冷えきっていた。いちははもう一度少年の下に潜り込み、肩を担ぐと、少年を自分の寝床までズルズルと引きずっていった。フーッと、どこか安堵したように息を吐く少年に、いちはも少しホッとする。同時に、寒気を感じてブルブルッと震えたいちはは、自らも少年の隣にコロンと寝転んだ。

「だれかといっしょにねるなんて、ひさしぶり……」

 自分一人ではない布団の温かさにウトウト微睡んでいたいちはは、いつの間にか再び深い眠りに就いていた。

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