第2話
「いちー! いないのかー? おーい!」
ドンドンドン!
森の中に、いちはの家の扉が叩かれる音が響く。しかし家主は留守のようで、中から返事はない。
「ったく、なんなんだよー。せっかくいいもん持ってきてやったってのに……」
ブツクサ文句を言う少年はキオト。十五になり、背も伸びてだんだん精悍な顔つきになってきている彼のことを、九の村の女たちみんなが狙っていることに、彼自身は気がついていない。
「おい、いち……」
ガササササッ!
再び呼び掛けた彼の声を遮ったのは、家の真横に立っている木の上から何かが落ちてきた音だった。
「あれっ? きーちゃん!?」
そう、今しがた木の上から降りてきたこの少女こそが、キオトが探していたいちは本人だった。
「あれっ? じゃねーよ。てめーオレが来てんのに留守たぁいい度胸だな」
「ごめんなさい、今日は木の実採集の日だったから」
さ、入って入って、と促すいちはの背には、フリフリと嬉しそうに揺れる狐の尾。側頭部の耳と尻尾は変化の術の練習中という彼女は、妖狐九尾と人との間に産まれた半妖だった。
目の前で揺れるそれについ触れてみたくなる衝動などおくびにも出さず、キオトは涼しい顔でいちはに続く。ドサリと降ろした籠の中には、大量の戦利品が入っていた。どこかどんくさいところのある彼女だが、こと狩猟や採集に関しては器用なのだ。
「って、お前なぁ~! まーたそのつんつるてんのまんま外出掛けたのか!」
ズビシィ! と指差した先にいるいちはの着物は、幼少期から着続けているせいでクタクタにくたびれており、袖は七分丈とも言い難く、裾に至っては足が見えている分のほうが長い。以前キオトが指摘した時には、
「わ、わかった、確かにそろそろみっともないよね」
などと反省の色を見せていたように見えたが、どうやらそれはその場しのぎのフリだったようだ。
「だ、だって、これはこれで慣れると動きやすいし、反物って高価なんでしょ? いち、お金なんて持ってないし、交換できるような値打ちのある物、ここにはないし……」
言いながらシュンと沈んでいくいちはに、キオトはフッフッフッ……と不敵な笑みを見せる。
「そんなこったろうと思って、今日はこれを持ってきたぜ!」
ジャーン! と持っていた風呂敷を広げると、キオトは真新しい女物の着物を持ち上げた。愛らしい小花柄で、いちはにピッタリの採寸より少しだけ余裕を持たせている。
「かっ可愛い……! どうしたのこれ!?」
「へっへーん、オレだってただのうのうとあの村に居候してた訳じゃないんだぜ。何年か前から仕事もらって、働きながらコツコツ貯めてきたんだ」
その成果がこれよ! と威張るキオトとは対照的に、いちはの顔はサーッと青ざめる。思っていた反応とは違う顔色を見せるいちはを、キオトは布越しにひょいと覗いた。
「あ? あんだよ、あんま嬉しそーじゃねぇな」
「だっていち、こんなのお金払えない……」
「ばーか! やるっつってんの! お前がそんなつんつるてん着てんの、オレが嫌だっつってんの!」
わかれよバカ、と、キオトの顔がプシューっと赤く染まる。そんなキオトに、いちはは恐る恐る尋ねる。
「でもこれ、狩りには不向……」
「あー、もう! 言いたいことはわかってるよ! 今まで通り、狩猟採集の時はそのみっともないかっこしとけ! そのほうが動きやすいってんだろ!?」
照れ隠しに物凄い剣幕でのたまってくるキオトに、いちはは正座でコクコクと頷く。
「だけど家に……家ん中にいる時くらい。オレといる時くらいは、これ着てくれると、嬉しい」
今度はいちはの頬が赤く染まる番だった。再びコクコクと頷くと、そっとキオトから着物を受け取る。一通りしげしげと眺めた後、ポスッと顔をそれに埋めた。
「ありがとう、きーちゃん。この恩返しは、必ずする」
「ったく、お前はホンットにいつもそればっかりだな。オレがしたくてしたことなんだから、お前は素直に受け取っとけばそれでいーの!」
じゃな、と片手を振り、キオトは家を出ていった。決して高級品ではない、けれども安くもないはずの買い物。それを、いちはのためならいとも簡単に行えてしまえるキオトの気持ちに、いちはは胸がほっこりとあたたかくなるのを感じた。一体どんな顔をしてこの柄を選んでくれたのだろうと想像すると、自然と笑みがこぼれてくるのだった。
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