その2/4
中間試験期間中は毎日三コマずつしかないため、最終日である今日は部活に属している生徒は久しぶりの部活動に復帰し、そうでない生徒はそのまま帰ってしまうのが通例となっている。
俺は後者に属するのだから本来であれば今日はそのまま家に帰ればよくオカンにわざわざ弁当を作ってもらう必要もないのだが、放課後にSOS団へ足を運ぶことは俺にとってもうすっかりルーチンワークになってしまっている。母よ、無駄な手間をかけてしまい大変申し訳ない。
そのSOS団の根城となっている文芸部のドアをノックすると、まだ朝比奈さんはいらしていないようで中から古泉の声で「どうぞ」と返ってきた。朝比奈さんはハルヒ同様設問一つ一つに思いを巡らせながら一生懸命ゆっくりと回答しているであろうことは想像に難くない。
ドアを開けると部室奥のあけ放たれた窓の傍にはパイプ椅子に鎮座ましまして読書に耽る長門のいつもの姿があり、古泉は弁当を広げて目下昼食中のようだ。俺は古泉の向かいの自席に陣取り同じく鞄から取り出だしたる弁当包みを広げる。
「試験はいかがでしたか。涼宮さんの個人レッスンの成果が手応えに反映されているのではと推察しますが」
まあな。定期試験では赤点スレスレが常な俺だが、正直今回は高校入学以来初めてまともに試験を受けてるって実感があったよ。ハルヒに教えられた構文や公式はいくつも出たし、ヤマカンがドンピシャで当たった箇所もいくつかあった。こればっかりはさすがにハルヒのおかげってことは否定できねえな。いくつもの試験をギリギリですり抜けてきた盟友谷口には悪いが、共に追試に怯える日々にはもうオサラバになりそうだ。
いや、今はそんなことより。
「古泉。あの自己診断テストとやら、アレは何だ」
「今年から導入されたものだと聞いていますが、担任から説明がありませんでしたか?」
古泉はいつものハニーフェイスのまま自分のおかずに箸を進めている。しらばっくれやがってこの野郎。俺もまた箸先を白米に滑り込ませながら、端正な化けの皮を睨め付けて言ってやる。
「お前の胡散臭い組織の仕込みだろう。違うとは言わせねえぞ」
特に臆する風もなくブロッコリーを口に運んで咀嚼してから一旦箸を置くと、古泉は両の手のひらを上に向けて言った。
「バレてしまいましたか」
やっぱりな。
古泉はやれやれといった風情でかぶりを振ると再び箸を取って食事に戻りながら「どうしてそう思われたんですか?」と聞いてきた。いや、そりゃ気付くだろ。あんな大学生が就活時期に自分探しのためにやるようなシロモノを、進学校とは胸を張っては言えないまでも卒業生のほとんどが進学希望である北高で急に始めるなんていかにも不自然だ。それにこの前の様子だと試験導入の最終決裁権を握っている校長にもお前らの息がかかってるらしいじゃないか。輪をかけて怪しいだろうそんなの。
「ご明察です。まあ、あなたに知られて困ることではありませんから、特に隠しもしなかったのですが」
飯を食い終わったようで白い紙ナプキンで爽やかに口元を拭っている。お前は自分のクラスでも飯を食い終えるたびにそれをやってるのか? そのキャラ作りはどうかと思うぞ。というかコイツ、悪巧みが明るみになったっていうのに全然悪びれもしねえのな。
いや、それはどうでもいい。俺にバレるのは構わないと言ったが誰だったら困るんだ。というか何が目的だ。言え。
弁当箱を鞄にしまうと、古泉は腹の辺りで両手を組んでやや背をそらして悠然と解説を始めた。こっちはまだ昼飯中だ、ミニハンバーグやら卵焼きやらを口の中に放り込みながら釈明を聞かせてもらうぜ。
「以前お伝えした通り、新入生や教職員も含めて全北高関係者の身元や素性は我々『機関』で調べさせてもらっています。ただ、四月以降また何名か新たに北高に入ってきた人物がいるのでその調査と、元々在籍している全学生の人格把握を兼ねて行われたのが今回の試験です。某大手予備校が開発中の新規サービスで、その試験運用ということで破格の条件で北高で実施されることになった、ということになっています。もちろんその予備校の株主と役員の一部が『機関』の関係者ないし協力者です」
またお前らは意味不明なところで壮大な仕込みをしてやがったのか。ご苦労なこった。
だが俺にしてみればあんな薄ぼんやりとしたテストで人の性格や資質が分かるのか、効果の程は大いに疑問だね。実際俺は相当適当に回答してやったしそんな奴は他にも少なくないだろう。あの回答シートから何かが読み取れるとは到底思えん。
「人は無意識的に行動する時にこそ本性が現れます。だから適当に回答してもらう方がむしろいいのですよ。単純で冗長な設問はまさにあなたのように感性に任せて回答するよう誘導するためのものです。そしてあれだけのデータ量があれば、必ず何がしかその人なりの傾向が現れます」
セールスマンの営業トークみたいなことを言い出しやがった。お前のバイト、その某大手予備校の学校営業に鞍替えしたらどうだ? きっとお前ならその胡散臭いテストをいろんな学校に売り込めると思うぜ。相手側の担当者が女性ならなおさらだ。
古泉は話を一旦区切って自分の鞄から魔法瓶を取り出した。奥の棚から紙コップを三つ取り出してそれぞれ中身を注ぎ、一つを長門に、もう一つを俺に差し出す。長門は一瞥もしないまま無言でコップに口をつけている。俺も丁度お茶か何かで飯を胃に流し込みたいと思っていたところだ。
それにしても、俺ははて、と首をかしげる。最近北高に入ってきた人がいたというが、俺の知らないうちにそんなことがあったのか。確か明日から教育実習生の受け入れとかで教師のタマゴが何人か授業に来るようなことは聞いたが。
「ああ、そうですね、その件も含めてです。でもニューカマーについてはどちらかというと僕よりもあなたの方が詳しいかと思っていましたが」
俺が? どうしてそうなる。あと何で飲み物がホットのレモンティーなんだ。弁当に全然合わなくて噴き出しそうになったし第一暑いって言ってるだろ。やっぱりコイツの差し出すものなんかに期待なんかするんじゃなかったな。急に朝比奈さんの出してくれるお茶が恋しくなってきた。
と、脳裏に思い描いたのがよかったのか、控えめなノックに続いて扉の向こうから現れたのはSOS団専属ウエイトレスにしてみんなの心の拠り所(特に俺)、朝比奈みくるさんその人だ。
「遅くなってごめんなさい。試験の後に自己診断テスト? っていうのがあって、とっても時間がかかっちゃって」
いえいえ朝比奈さんが謝ることなんて何もないですよ。悪いのは全部ここにいる赤玉野郎で俺たちは全員被害者です。
それに、試験に集中して穴ポコを一つ一つ一生懸命丁寧に黒塗りしているあなたのお姿は想像するだけで顔がほころぶね。
「あれっ。涼宮さんは?」
あいつならまだ例の試験を受けてますよ。遅くなるって言ってたから当面ほっておいて大丈夫です。
朝比奈さんは机の上に荷物を下ろすと、すぐに俺と古泉と長門の手元に紙コップがあることに気付いたようだ。そこから一体何を読み取ったのかは不明だが、いつもの着替えも忘れていそいそと茶を沸かす用意を始めた。給仕の役目を怠ったことを恥じたのか、それとも自分以外の誰かがサーブをしたことにライバル心が芽生えたんだろうか?
自分たちが飲む茶の準備を最上級生に全部任せっきりというのも気が引けたので水汲みを申し出ると、度重なる固辞の末「すみません、じゃあお願い」と申し訳なさそうにお辞儀までして見送ってくれた。天使かな? 俺に娘ができたらぜひともこんな子に育てたいね。いつか朝比奈さんのご両親に会わせてもらって教育方針をご教授いただく必要があるかもな。
ここのところ朝比奈さんが淹れてくれるお茶は当たりの時とそうでない時の差がどんどん広がっている気がするのだが、それで言うと今回のは大当たりだ。スッと爽やかで、熱いのに麦茶やウーロン茶のようにがぶがぶ飲める。一気に飲み干してすぐにおかわりを所望したほどだ。
「うふ。さんぴん茶っていうの。この前物産展で買ってみたんだけど、気に入ってくれたみたいでよかったぁ。ジャスミンの花のいい香りがするでしょう?」
と言ってほわーっと微笑んでくださるのでこちらも破顔してしまう。
そりゃあもう、朝比奈さんの差し出してくださるものなら良薬でも口に甘しですよ。この匂いが何の匂いなのかは存じ上げませんが、きっとこれがジャスミンの香りなんだろう。いやあ、朝比奈さんを思わせる清純な香りだなあ。
今回のお茶は古泉や長門にも気に入られたようで、朝比奈さんはいずれかの湯飲みが空になる度に嬉しそうにお茶を注いで回っていた。
そんなこんなで、俺と古泉がボードゲームをし(古泉が新たに用意したのは海戦ゲームで、意外なことに古泉は善戦した。結局俺が勝ったが)、朝比奈さんが満足げにお茶を注ぎ、長門は相変わらずの読書モード。いつにも増して時間を無駄にしているだけとしか思えない団の活動時間はこんな感じで団長の存在を欠いたまま経過していった。
無駄といえば無駄な時間だが、それを言い出したらハルヒがいようがいまいがSOS団の活動に生産性などほぼ皆無だし、たまにはハルヒ抜きの静かなひと時を過ごすのも悪くはないだろう。どうせ太陽と北風が一緒になって攻めてきたような団長が帰ってくれば憐れにも一瞬で吹っ飛ぶような束の間の平和さ。
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