複雑な家庭事情

第17話 決心

 ポタリ、ポタリと涙が太ももに落ちてきて、不意に僕は思い出した。そうだ、僕が腕に小刀を突き立てた前に、マリアさんが僕の足に熱いスープをこぼしたんだった。


 確かにそのスープはとても熱かったけど、火傷になるほどじゃなかったはず......と思うけど実際火傷になってしまったんだろう。そうでなければ、足に包帯が巻かれている理由に説明がつかない。


 スープが僕の足にこぼれた後に、僕が自死を試みてしまった――なるほど、それでマリアさんが気に病んでしまったのか。スープと死にたがりの間にはなんの因果関係もないっていうのに。


「――ッたっ」


 筋肉が引きつるような痛みを覚えて僕は足を引っ込めてしまう。僕のために涙を流したまま眠ってしまっていたマリアさんが飛び起きた。僕の目を見て、僕に意識があると確認するや、さめざめと泣いていたさっきまでとは真逆の、叫ぶような泣き方で泣き出した。心配をかけたのは僕なのにちょっと面食らってしまったくらいだ。


「ごめんね、ごめんね……――」


 声にならない声でしゃくりあげるのを見てさすがの僕も居心地が悪い。こんな不自由な、働くことも許されない世界なんてとっとと見限って逃げ出してしまおうとまで思っていたのに不思議なことだ――この人たちをこれ以上悲しませてはいけないという抑止力が僕を引き留める。


「こちらこそ、ごめんなさい」


 ぼそりと呟いた言葉は空中を誰にも聞かれずに浮遊した。泣き叫ぶマリアさんには聞こえていないだろう。


「――ッ!」


 自分の無力さゆえに師匠を死なせてしまった。そして現実を直視できないあまり記憶障害まで起こして僕を庇った師匠を忘れた。それだけでどうしようもない罪なのに、レオさんとマリアさんに迷惑をかけては師匠に怒られる。


「ごめんなさい、マリアさん!」


 ハッとした顔でマリアさんは泣き止み、僕の顔を見て、❘ひざまずくようにして僕の上半身の横にピタリと接し、腕を伸ばして僕を抱きしめてくれた。今度は僕がわんわん泣く番だった。


 名も顔も知らぬ母親というものも、僕が泣いたときには抱きしめてくれたのだろうか? 生まれてすぐ捨てられたのか、ある程度まで育ててくれたのか、物心なんてついているわけもない幼少期のことは覚えていない。


 万が一僕に対する実の母親からの愛情が全くなかったとしても、それはそれでいいと思った。


 僕を捨てた人のことよりも、僕は僕を愛してくれる人を愛したい。貧民街とは全く違う世界に放り込まれてしまったけれど、拾ってくれた二人の顔に泥を塗らないように頑張って慣れよう。一刻も早く仕事がしたいけど――それは後でもいい。


 願わくば、各家庭の機械の修理をして稼いだお金をお二人に差し上げたい。市長の秘書なんてやっているレオさんにとっては微々たるお金だろうけど、今の僕にできることはそれくらいしかないから。

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