第12話 いい子

 どこに逃げ出す勇気も出ずに、結局僕は与えられた部屋で自分の身体を抱きしめるようにして縮こまっていた。どこに身を置けばいいのかわからないほどに、部屋は小綺麗で整頓されている。比べて自分の服装はあまりに粗末だ。場にそぐわない、という言葉が脳裏に浮かんでは消えた。


 しばらくして、旦那様とマリアさんが部屋のドアを開けた。少し目を泳がせたあと、地べたに膝を抱えてしゃがみ込んでいる僕を捉え、安心したように微笑んでみせる。


 ——僕が逃げないことをわかっていた癖に。そう思ったが口には出さなかった。


「あら、そんなところにいたのね」


 ふかふかすぎるベッドに、僕はそぐわないから。


「地べたに座っていたらお尻が痛くはないかね?」


 旦那様は……本当に僕の生きてきた貧民街を知らないんだ。僕らは疲れたら糞尿まみれの道端に腰を下ろすのも躊躇しなかったというのに。


「いい子ね。私たちを待っていてくれたんでしょう」


「……?」


 いい子、という言葉に僕は固まってしまう。褒められたのか? 内心では嫉み不満を燻らせているというのに、黙っていればいい子・・・であると?


「そうだな。この子はいい子だ。じきに環境にも慣れるよ」


 そう言って旦那様は部屋の雨戸を開けた。僕はなんとなく追いやられるように窓際から移動し、マリアさんの立っている場所に近くなる。


 そういえば、僕はまだ旦那様の名前を知らない。この家でいい子・・・であるためには人の名前もきっと覚えないと。


「旦那様……お名前を聞かせてください」


 旦那様は恐ろしいものでも聞いたように振り向いた。また悲しそうな目をしていたけれど、理由はわからない。


「そんな下働きのような言葉遣いはやめなさい。君はもう家族の一員なのだから……そうだね、名乗りがまだだったか。私の名前はレオ・モンブラン。兄上が市長をやっており私は秘書をやっている」


「革命の英雄って知ってるでしょう? その一人のタエ・モンブランの子孫なのよ。きっとこれはあなたにとっていい経験になるわ」


 革命の英雄……確かもう一人、主要な人物がいた気がするのだけれど……


「メゾン様やタタ様が子供を作れない身体だったから、実質タエ様の子孫だけが革命の血を継いでいることになるわね」


「やめなさいマリア。私は血筋だけの男と言われたくないのだ——兄上と違って」


「メゾン様って、お子はいないのですか」


 話の筋を折ってしまった、とすぐに気づいた。黙っているいい子・・・ではない言動をしてしまい冷や汗をかく。でも、それどころではない。僕の記憶では、メゾンの子を名乗る人物が確かに存在していたはずなのだ。


 なんだろう、この違和感は。僕はなにか重要なことを忘れている気がする。

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