第11話 「ブルジョワジー」

「さて、手始めにシャワーを浴びよう。なに、心配することはない、きちんと温水だよ」


 温水といえば、前に一度だけ聞いたことがある。火山の近くに温かい水が溢れ出る場所があるらしい。ただ、人間には熱すぎたり等温にする技術がなかったりで入浴に適した水を出せる場所は限られているらしい。そして、そういう場所は余程の有力者でもないと入ることすら許されない、と。


 楽園に行ったような気になる、と噂される温かい水・・・・だが、その恩恵に与れるほどの富豪なのだろうか。


 聞いてみたい気もしたが、あえて言わない。僕はそもそもこの人たちを信用していない。ここに来るまでの記憶が微妙に抜け落ちてる気がするのも、ここに僕を捕らえておきたいこの人たちの幻術かもしれないじゃないか。


 肺が腐るとも形容された仕事に就かされようとしていたところを救ってやったというのも疑わしい。この人たちこそ、僕をそんな恐ろしい仕事に就かせようとしているのではないか?


 疑心暗鬼はどんどん増幅して身体のうちに留め置けないくらいになってきた。機嫌を損ねては折檻されると恐れつつ、信用していないということを態度で示してしまう。


 その疑心暗鬼が、とうとう爆発してしまったのは、必ずしも僕のせいとは限らなかった。この人たち、よりにもよって僕の服を脱がせ始めたんだ!


 考えられない……考えられない! 他人の身体を、裸体を見るような真似をどうしてこの人たちはしようとするの?


「やめてください! あなたたちには恥という概念はないのですか?」


 一人の人間として、僕は大人に負けない働きをしてきた。一人で仕事をとれるようにもなった。なのに、なぜ生まれたての赤ん坊みたいな扱いを受けなくてはいけないの?


「ど、どうしたの? 身体の汚れを落とすだけじゃない」


「マリア、この子は自分の身体を他人に見られることを嫌がっているんだ。きっと体に酷いあざでもあるんだよ。ここはそっとしておいてあげよう」


 僕は僕への注目が緩んだその隙に、旦那様の腕の下をすり抜けて逃げ出した。きっとあの人たちは呆れているんだろう。知ったことか。


 身体の汚れを落とす、そんなの一人でできる。子供扱いされたことが許せなかった。けれども、逃げ出したところで生活できる術は思い当たらない。皮肉なことに、それはこの家の人たちの反応が示していた。


 ここでは子供が働くのは好ましくないと捉えられているらしいというのは薄々感じていた。貧民街育ちの僕が想像もできなかったような豪華な家が、この地区では多数立ち並んでいるのだろう。華美ではないが質のいい服を着た住民たちは、機械修理の仕事を受注しようとする汚い身なりの少年を不審に思うに違いない。


 仕事で世話になってきたような、貧民街の仲間たちとは、恐らく住む世界が隔絶されてしまって連絡も取れないだろう。


 ここで生きていくには、庇護対象の子供を演じるしかない。覚悟を決めなければいけないのはわかっていたが、僕にはとても理不尽なことに思えた。

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