第10話 すれ違い

 ドアを開けて、右へ進む。マリアさんが左へ行ったから、その逆を行くのは当然の選択だろう。一家族が暮らせそうな部屋が何個も繋がり、その間に細い道がある。


 僕が知っている貧しき者たちの住まいは、この左右に広がる部屋一つ一つに家族が収まっていた。大きな一部屋のなかに、用を足す場所と飯を食べるための場所だけがあり、延焼の危険性から火気を使う場所はない。彼らは三食を、安く腹持ちの悪い片手食で済ますのだ。


 この家族は、これらの部屋を一手に所有しているのだろうか? 汚いスラム育ちの僕には想像もできない。無闇に部屋を増やしたことで、人間の体温で部屋が暖まるのが遅くなる。隙間風などあれはたまったものではないだろうに。


 そう思いながら、走る足が教えてくれる。この細い道には足の裏を容赦なく刺す砂利がない。建物自体が軋む気配もない。なにより、この道には屋根がある。


 複数の部屋を同時に所有できて、さらにそれらを屋根付きの通路で繋げられるとは、この人たちはどれほどの富豪なのだろう。考え始めると恐ろしくなって、僕はまた足を早めた。


「うわっ」


「……お前は」


 曲がり角で人にぶつかる。それは旦那様で、こちらに気づくと僕の肩を掴んで僕の目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。


 逃げ出そうとしたことを叱られる!


 あるいは、マリアさんのように哀れみの目で射竦められるのだろうか。


「こらこら、廊下は走るもんじゃないよ。今みたいにぶつかって怪我をしてはいけないからね」


「ロウカ……この道のことをそういうのですね」


 僕は肩を掴む旦那様の腕を振り払って顔を手で覆った。そうしないと、旦那様の手から流れてくる温かい熱に耐えきれそうもなかった。


 隙間風一つ吹かない、たくさんの部屋が繋がった、空想上のキメラのような、歪で醜い家。そこに住む、孤児を逃すまいと動く思惑。


 僕はなにをすれば解放されるんだろう? あまりにも、僕の肌に馴染まない環境に息が詰まる。


「ちょっとずつでいいからね、少しづつ、慣れていこう」


 哀れな子に向けられる生温かい眼差しに、文字通り八方塞がりになる。背後から、部屋に僕がいないことを知ったマリアさんが早歩きで迫ってきたからだ。


 ああ、僕はこの家に囚われるんだ……。えもいわれぬ絶望感が僕を包み込んだ。

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