第5話 メロスの理想

「俺はな、せっかく先人が身を賭して実現した理想を穢すやつは、例え英雄の子孫でも許せないんだよ。確かに、今『黒肌の民』という階級は存在しないし、その階級を奴隷のように使って戦争をする派閥もいない。世界は無事に一つになって、共通の目的意識で進んでいくはずだった。現に世界の危機はまだ去っちゃいない。つい最近、やっと『レジスタンス』が本拠地にしていた海の向こう側まで空気を取り戻したけれど、まだ世界の大半は瘴気に閉ざされているんだ」


 団結の必要性を訴えかけるメロスの顔に、無力感がにじむ。人が吸えば肺が腐り死に至るという汚れた大気は、まだ世界から一掃されるには至っていない。これには瘴気に対する人類側の足並みが揃っていないことも影響していた。


 工場の乱立による有毒な金属や排気ガスの流出で、いわゆる健康被害というものが各地で報告されている。四肢の震えが止まなくなり言葉も話せなくなった少年や、薄い布一つ掛けただけで骨折するほど骨が弱くなった老人……これはまるで身内から生ずる瘴気ではないか。


 健康被害が工場の管理不足によるものと認めたくない富裕層と、死の危険に身近に晒されている労働者の対立、それが外へ、外へと向かうべきベクトルを内側に収束させてしまっている。市長が取りなそうとしてできなかったあの騒ぎも、結局はこの構造に落ち着くのだ。


 瘴気対策に有効とされている植林事業の予算は、富裕層の傀儡と成り果てた政府により縮小され始めて久しい。


「こんなの、革命の英雄の誰が見ても喜ばない! そう思わないか、ロン!?」


 メロスの怒りに、ロンは身震いした。ロンは、己の師匠があちこちで敵を作りたがる心理を少し理解したような気がした。


 この人は、世界を憎んでる。ロンの直感は、そう外れてはいない。


「……だからよ、あんなクソみたいな太鼓腹のどら息子がタエの孫というただ一点において・・・・・・・・偉ぶってるんだから、俺もメゾン様の息子を名乗ったって❘バチは当たるまい」


 メロスはトーンダウンし、ほぞを噛んで悔しがる。しまいにはさめざめと泣き出してしまった。


「師匠、泣き上戸だったんですね」


 いつだってメロスの世話を焼くのは弟子の役割だった。ソファーの上に寝転がりはじめたメロスに、ロンは優しく毛布をかける。


 やがてメロスは泣き疲れ、イビキをかき始めた。


 夕飯の時刻はとうに過ぎ、月明かりが彼らの小屋を薄く照らす。


「師匠は、どうしたいんですか」


 寝てしまった師に問いかける弟子は、世界を憎んでしまった師の代わりに本懐を成し遂げる覚悟だった。ーー彼もまた孤児であり、拾われ養われている身であった。養父でもある師が、同じく養父に抱いた感情など推測するにあまりある。


「僕も、いつか師匠にご恩を返したいです」


 世間は『あんな偏屈な男に囚われて可哀想』と言うけれど、ロンはメロスと共に在れて幸せだった。機械をいじるときの師匠のキラキラした目が好きだった。そんな目を安い酒に曇らせたものは、なるべく退治したい。それがロンの本心。


「馬鹿だな、俺はお前の師匠なんかじゃねぇよ」


 メロスが呟いたときには、今度はロンが眠りについていた。敬愛する師の安否を確かめるように、こちらに顔を向けて床に寝転んでいた。


 メロスは、毛布をロンにかけた。

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