第10話◆捻(ねじ)れる愛念

 《TV》や《週間誌》では芸能人や著名人がターゲットとなって話題になる『不倫』なんて、

 自分とは無関係な『別世界』のハナシだと思っていた。


 島に生まれ育ち、

ただ平凡に暮らしている〈葉子〉にとっては、あり得ないハズの『事象』が―・・・今、まさに起ころうとしていたのだ。

 決して夫である〈圭司〉に不満がある訳ではない。

 『夫があってこその自分』

だと、感謝し愛してもいる。


 ―・・・なのに・・・。


 初めて出会った〈小菅〉という男性と、

成り行き任せのように一夜を共にしてしまった・・・。




『・・・この《男性(ひと)》は・・・』


 確かに『何か』に怯え震えていた。

 乱れる呼吸で苦しんでいる間にも〈葉子〉へ必死に囁くように懇願し続けたのだ。


「・・・助けて・・・」


「・・・お願い・・・オレを―・・・」


 遠慮の無い力強さでしがみつきながら、

それとは対称的な《甘い声》はまるで『呪文』かと惑わされる。


 大の大人である〈小菅〉が幼い子供のようにさえ感じる程、

 無防備で自分に救いを求める姿に、


『・・・何とかしたげたい・・・』


 と、〈葉子〉の中にある《母性》が首を擡(もた)げた。


 しかし、何をどう介抱してやればいいのかが判らない。

 ただ・・・小刻みに震える〈小菅〉を抱き締め頭を優しく撫でながら、

 ひたすら落ち着くのを待つだけだった―・・・。


『・・・何て逞(たくま)しいんやろ』


 夫以外の男性と『抱き締め合う』事すら無かった〈葉子〉は、

 触れ合った〈小菅〉の・・・服の上からでも判る筋肉質な躰(からだ)に、

 我が身が欲情していくのに気付く。


 故に船から降りた後も、

これで別れてしまう事が惜しいと感じていた―・・・。


 『何か』を期待していた訳じゃないと言い聞かせながら、

 親切を装い家まで送り届けた自分の発した言葉に応えてくれた〈小菅〉を堪らなく『欲しい』と思う〈葉子〉は、

 何の躊躇いもなく招かれるまま部屋に入って行った―・・・。




「・・・まだ顔色が悪いみたい。少し横になった方がラクになるんじゃ―・・・」

 ふらつく〈小菅〉の腰に手を回し、

《ベッド》まで連れて行こうとした〈葉子〉は逆にふらつき、

 自分が先に《ベッド》へと腰を下ろしてしまう。


 すると、

〈小菅〉が当たり前のように彼女を押し倒し上に重なった。


「・・・えっ・・・⁉️」


 〈葉子〉の隙を付いて《キス》をする。


「・・・傍に居てくれるって―・・・『こういう意味』なんでしょう・・・?」


 まだ全回復している訳では無いのだろう。

 〈葉子〉を見つめる瞳が心無しか潤んでいるが、それに相まって例の甘い声で囁かれてしまえば酔いしれてしまいそうになる。


 〈小菅〉は更に深い口付けをして来た。


 自分の舌を慈しむように絡めて来る・・・

こんなにも濃厚なキスなんてした事も無い〈葉子〉は、

 その瞬間から我を忘れ―・・・。

〈小菅〉の首に両手を回すと、貪(むさぼ)るように舌を絡め合い続けたのだった―・・・。


 それから気付けば、

〈小菅〉の快楽を探るような愛撫に悦んでいる〈葉子〉の乱れた姿があった。


 夫の〈圭司〉とは確実に違う、

少し荒い手付きも仕種も―・・・更に気分を高揚させる。

 幾分か年下であろう〈小菅〉の、

『若さ』だけでは無い―・・・その『経験豊富さ』も〈葉子〉にとっては未知なる『快感』でしか無かった。


 そんな自分の意のままに、

艶のある喘ぎ声を出し「もっと・・・」とねだる〈葉子〉に、

 〈小菅〉も暫く振りの『人肌』を味わいながら興奮が抑え切れない。

 夏が近いといっても汗ばむ気温でもない部屋で、二人は汗でしっとりとした身体を互いに強く抱き締めたまま上り詰める。


『・・・あぁ・・・』


 声にならない驚嘆の吐息と共に、

意識が遠のいた―・・・。




 〈葉子〉が目を覚ました時、

もう夜が明けようとしていた。


 隣には静かに寝息を立てる〈小菅〉が居る。


『・・・私に救えるんかな・・・』


 《ワンナイトラブ》―・・・一夜だけで終わらせてしまいたくない気持ちが自分の躰の中に燻っていた。

 ・・・《夫(圭司)》にでさえ、

あんなに求められなかった『女性(オンナ)の悦び』を初めて知り、

 〈葉子〉は〈小菅〉に救いの手を本気で差し延べてやりたいと思った。


『私が・・・私が助けてあげるわ、絶対―・・・』


 《人妻》としての立場が頭の片隅に残るも

そう心に誓った〈葉子〉には、既に一片の『後ろめたさ』すら感じられないでいる事に我ながら驚く。


 出会った時には気付かなかった〈小菅〉の穏やかな《表情(ねがお)》を改めて見て、

 微かに微笑むと―・・・起こしてしまわないように、

 そっと前髪を掻き分け優しく《キス》をした・・・。




 その日を境に、

二人は頻繁では無いが度々『逢瀬』を重ねている。

 〈小菅〉にとっては《両親》以外で、

こんなにも自分を素直に曝け出せる《女性(ひと)》は『初めて』で―・・・それだけに失う事が怖いと思っていた。


 一方の〈葉子〉は、

そんな従順な〈小菅〉との関係はあまりに甘美で―・・・自らも知り得なかった自身の中にある《魔性》的な血に操られるように、

 どんどんのめり込んで行く。


『この関係を誰にも壊されたくは無い‼️』


 共に、この《秘め事》を保持しなければならない―・・・という思いで無我夢中だった。

 それが証拠に〈葉子〉亡き後、

周囲の誰一人として彼女の『不倫』を疑わなかったのは、

 最期まで死守し続けたからである―・・・。




 人目を忍び何回か逢う内に、

次第に〈小菅〉の抱えているモノが見えては来たが―・・・。

 かと言って、それを打開出来る策も浮かばない〈葉子〉は、


「私が《海女伝説》の頃の海女やったら、きっと助けてあげられたのに・・・」

 と、《ピロートーク》には不似合いな呟きをした。


「・・・何?その《海女伝説》って?」


 〈葉子〉に背を向けるように《ベッド》に腰掛けて《煙草》を燻(くゆ)らせていた〈小菅〉が思わず振り向く。

「《結子(すくね)》にある言い伝え。それがあるから《海女》の発祥は《結子(ウチ)》や―・・・って言われてるんよ?」

「・・・そうなんだ・・・」

 『・・・で、それが何?』と言わんばかりの呆けた〈小菅〉の顔を見て、

〈葉子〉はクスッと小さく笑うと尚も続ける。

「その頃の《海女》はね、海だけや無くて『人間(ひと)の心』の中にも潜れてたんやて✨」

「まさか・・・《超能力》みたいじゃないか⁉️―・・・本当に?」

 予想外の話の展開(笑)に、

〈小菅〉は慌てて煙草を消し・・・横たわる〈葉子〉に戯(じゃ)れるようにして、

 向かい合い寝転んだ。


 こんなにも男性を『可愛らしい』と感じた事はない。

 〈葉子〉は自分を見つめる〈小菅〉の髪を掻き上げた。

「・・・多分、ホント。子供の頃に、このハナシを聞いた時・・・羨ましかったわ✨」

「・・・羨ましい・・・?」

 〈小菅〉は、その言葉に反応し眉を顰(ひそ)めるも、

「だって、そんな『能力(ちから)』があったら何でも出来るやない✨」

「・・・・・・。」

 閉口する〈小菅〉に構わず更に続ける。


「《心理学》には興味ある?・・・人間(ひと)には『意識』と『無意識』があるでしょ?・・・―その『意識』まで潜ると、人の心が読めるの。

・・・で、更に深い『無意識』にまで潜れたら人の心が癒せたり―・・・操る事かて出来るんって、スゴいでしょ⁉️✨」

 饒舌に語る〈葉子〉の恍惚とした表情に、

〈小菅〉は何か『違和感』を感じるとそれが顔に出ていたのだろう。

 〈葉子〉は慌てて『フォロー』した。

「・・・あっ💦でも、そんな『能力(ちから)』があったら、小菅さんの『無意識下(深層心理)』にある―・・・その《トラウマ》みたいな『闇』を取り除いてあげられるん違うかなぁ~って・・・💦」


「・・・あぁ~・・・」


 〈小菅〉の生返事に、

〈葉子〉は度が過ぎたかと不安になりジッと様子を窺っていたが、

 ふと我に返りそれに気付いた〈小菅〉は取り繕いの微笑(え)みを返し、言った。


「・・・ねぇ―・・・その《海女伝説》に所縁(ゆかり)のある『場所』とか『代物』ってあるの?」

「えっ⁉️・・・あぁ―・・・《祠岩(ほこらいわ)》があるケド・・・💧」

「・・・今度、其処に行ってみたいな。

連れて行ってよ?」

 そう言うと〈小菅〉は〈葉子〉の頬を撫でながら、

「・・・葉子さんが『そんな顔(笑)』して言うから―・・・何か《興味》が出てきた」

「やだっ💦どんな顔よ💦」

 〈葉子〉はそれに素直に照れたが〈小菅〉の中にはある『変化』が芽生えていた事には気付きもしなかった―・・・。



『・・・オレの、この《闇》は―・・・』


 さっきの〈葉子〉の『言葉』とあの『恍惚とした顔』に、

 自分を長年苦しめる《闇》の正体を見た気がした。


 幼い頃から追い詰められ続けた『焦り』は

『いつか誰かに《何かを》されるかも知れない』―・・・とも言えるそんな焦りに似ているし、

 どうしようもない『苛立ち』も、それを止める手段を得られない・・・『非力な自分自身』に対する気持ちにピッタリと当て嵌まってしまうのでは無いだろうか?


 そう思うと、

その『能力(ちから)』に溺れ、酔いしれるような表情(かお)をする《海女》の姿と、

 さっきの〈葉子〉が重なり―・・・ザワザワとした『不安』に陥る。


『・・・コレが・・・オレを苦しめる《闇》の正体―・・・⁉️』


 どんどん深く考える程、息をするのも辛くなる。


『でも、どうして・・・』


 《海女伝説》の話は今、初めて聞かされた。

 〈葉子〉は『トラウマ』だと言っていたが―・・・知らない間に、

 無意識にそれを擦り込まれてしまったとでもいうのだろうか?


『―・・・誰が・・・何の為に⁉️』


 ・・・しかし。

 自分をこれ程までに苦しめて来たその《闇》の『正体』は、

もはやそれしか無いと〈小菅〉は直感的に確信する。


『・・・その《祠(ほこら)》に行けば―・・・きっと、総てが判る・・・』


 今、この瞬間にさえ息苦しさに襲われるその『苦しみ』から、

 いよいよ『解放』されるであろう喜びに自然と口元が弛み、

 大声で叫び出したい気持ちを悟られまいと必死に堪えていた―・・・。






 〈葉子〉が行方不明になる前に、

数人の島の人間にその姿を目撃されていたのは〈小菅〉を《祠岩(ほこらいわ)》へ案内したこの時だ。


 島ではすぐに《噂》になる。

それを恐れ、慎重に『逢瀬』は《本島》で重ねていた〈葉子〉だが、

 そんな事すら気にしていられない程に・・・『〈小菅〉の為に』役に立ちたい一心しか無かったのだ。

 事前に用意しておいた舟で、

《祠岩(ほこらいわ)》へ着いた頃には陽も傾き始めていた―・・・。


 「・・・そんな大したモンや無いんよ?」

 〈葉子〉が申し訳なさ気に案内した先には長い間・・・

 潮風に晒されすっかり風化した古い小さな《祠(ほこら)》があった。


「・・・コレが―・・・」


 〈小菅〉は近付く事に躊躇しているのか、

立ち止まったまま―・・・ただじっと《祠(ほこら)》を見つめている。

「・・・ココには《海女伝説》の何が奉られてるの?」

 心、此処に在らずにも聞こえる〈小菅〉の問いに、

「この間話した・・・あの『能力(ちから)』を一番持ってた《姫》さんが、夫の《島長(しまおさ)》に殺されてしもた時の《呪符》―・・・て聞いてるケド・・・多分、それを誰も見た事ないんや無い?私も無いし」


 〈葉子〉は《祠(ほこら)》に近寄ると、

良く今日まで壊れずに済んだモノだと感心するように、

 そっと屋根に触れてみる。

「・・・《祠(コレ)》も、愛してた《旦那さん》に殺されて可哀想な《姫》さんの為に造られた―・・・って・・・」


「・・・可哀想・・・?《姫》が⁉️」


 今まで黙って聞いていた〈小菅〉が突如、

〈葉子〉の言葉を遮るように否定した。

「・・・可哀想なのは《島長(しまおさ)》の方じゃないのか―・・・」

 そう言いながら、

フラフラと吸い寄せられるように《祠(ほこら)》に近付く。


 今まで感じた事のない――・・・。


 『喜怒哀楽』の全てが入り混じった感情に押し潰されそうになりながらも、

 それでも《祠(ほこら)》に触れた瞬間。―・・・ザワザワとしたあの漆黒の《闇》が、

 自分の背後から猛烈な勢いで迫り来る気配に思わず〈小菅〉の息が止まる。


 《闇》はまるでそれを待っていたかの如く

足元からジリジリと背中を伝い・・・やがて、〈小菅〉の首へと巻き付いた。

「―・・・っあ‼️・・・がっ‼️」

 その苦しさに全く息が出来ず、

必死でもがいている様子を《闇》はほくそ笑むかのように〈小菅〉に囁く。


「・・・殺セ・・・殺シテシマエ・・・」


『―・・・殺される‼️』


 それは何度も魘(うな)され続けて来た《悪夢》そのものが―・・・

 今、現実感を増し、

リアルに〈小菅〉を襲っていた。

 もう形振り構わず必死の形相で足掻き苦しみ・・・自分にまとわり付いた《闇》を振り払おうとする。


『・・・何?・・・今、何が起こってんのん⁉️💦』


 目の前で突然の尋常ではない〈小菅〉のその様子は、《闇》が見えていない〈葉子〉には畏怖な光景でしかなく、

 為す術もなく立ち竦んでしまったままだった。


『・・・どうしたら―・・・』 


 この状況に、ただただオロオロとしていた〈葉子〉だが、


『小菅さんが死んでしまう‼️』


 そう心の中で叫んだ咄嗟に、

足元の近くにあった石が視界に入るや否や、両手で掴むと《祠(ほこら)》の鍵を壊し始めた。


『この中に、ホンマに《呪符》があるんなら―・・・‼️』



 ―・・・古くは《海女》が『心に潜る』際にも《呪符》を使っていたという。

 《夫》が傍に付き・・・

《妻》と手を取り《呪符》で結び、

心に潜った《妻》を呪符(それ)で『現実世界』に引き戻していたらしい―・・・。

 それが《舟人(ふなど)海女》の由来にもなっていると〈葉子〉はそう訊いていた。


 心の《闇》に呑まれ、

苦しむ〈小菅〉を何とか引き戻して助けたい―・・・‼️


『お願い❗️《姫》さん‼️・・・私に能力(ちから)を貸して下さい‼️』


 無我夢中で鍵をこじ開け祠(ほこら)から《呪符》を取り出すと、

 〈葉子〉は直ぐ様暴れる〈小菅〉の手を取り自分の手と《呪符》で巻き付け―・・・、

 必死になって〈小菅〉を全力で抱き締めた。

「・・・私がいるから大丈夫‼️」


『・・・だからお願い―・・・‼️』



 ――・・・どれだけの時間が経ったのかも判らない・・・が、

 辺りはすっかり暗くなってしまっていた。


 〈小菅〉はまだ乱れた荒い呼吸をしていたが、しっかりと〈葉子〉を抱き締め返している。

「・・・オレが恐ろしくないのか・・・?」

 涙声で呟くその表情(かお)は見えないが、身体を優しく抱く手が教えてくれていた。


「・・・何で怖いのよ」


 小刻みに震える〈小菅〉の背中をあやすように〈葉子〉も撫でてそれに応える。


「・・・あの《闇》は―・・・オレの『弱い心』そのものだ。・・・『その声』に負けて、オレは《海女》の葉子さんを《姫》みたいに―・・・いつか殺してしまうかも知れない・・・」




 〈小菅〉は総てを覚(さと)った。


 『輪廻転生』とか『生まれ変わり』だとかそんなモノを信じる人間では無いが、

 自分は―・・・

《海女伝説》に関わる《島長(しまおさ)》の『生まれ変わり』だと認めるしかなかった。


 今まで苦しまされて来た、

あの『感情(やみ)』の総てが《島長(しまおさ)》のそれ、そのものなのだろう。


 《海女》随一の『能力(ちから)』を持つ《姫(つま)》に戦(おのの)き・・・非力な己れの『弱さ』に負けて―・・・。


「・・・やったら《海女》、辞める」


 〈葉子〉は凛として告げた。


「《結子(しま)》も出るよ・・・?」


 殺されるなら、それでもいい――・・・。

本気でそう思った。


『私が傍に付いてんと・・・このヒトきっと駄目になる―・・・』






 その数日後には、

〈葉子〉の姿が《結子(すくね)》から消えている。


 《本島》にある小さなビジネスホテルに自ら常泊し、

 毎夜訪れる〈小菅〉との『情事』に溺れ、快楽の日々を過ごしていた――・・・。


 ・・・あの日までは。

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