第9話◆慟哭する闇

 物心の付いた時から、

『それ』は自分の中に存在していた。


 ・・・―けれども。


 その存在をどう《言葉》に表現すればいいのか判らず、

 周囲に上手く伝えられない自分が子供なりに、もどかしくてならなかった―・・・。


 ・・・やがて《思春期》になり、

『それ』が『焦燥感』だと自ら覚(さと)るが一体『何に』対して自分がそんなにも焦っているのかが―・・・皆目、見当も付かないで居た。


 ―・・・ただ・・・、

いつ時でも『焦燥感(それ)』は自分と背中合わせの対になっているかのように存在し、

 ジリジリと追い詰められている感じが妙に生々しく苦しくて・・・息さえ出来ない時もあった。


 そして、遂にはその『苦しみ』の捌け口を《両親》や周囲の人間へと『暴力』を奮う事で逃れようとする。


 ―・・・が。


 それで解放されるハズも無い。


 一人、また一人と自分の元から友人達が離れていく中、

四面楚歌のような『孤独感』をも負ってしまうのだった。




 ―・・・そんな時に、

〈小菅〉は《競泳》に出会う。


 荒れ果てた《我が子》を見兼ねた《両親》が、

何とか救ってやりたい一心で幼少の頃から『水遊び』が異常に好きだった〈小菅〉に勧めたモノだが・・・


 これがまさしく光明(こうみょう)だった。


 何を考える訳でもなく、

ひたすらに『無心』で泳いでいるとあの『焦燥感』から解放される自分がいた。


 『至福の時』とは、この事を指すのだろう。


『・・・これこそが・・・《真の自分》』


 そう実感するも、

プールから上がってしまえば元の日常に戻る。

 それを拒みたいが為に、

がむしゃらに《競泳》に没頭していった―・・・。


 その姿は、他人を決して寄せ付けない程ストイックに自身を追い込んでいるようにしか傍からは見えない。

 飛躍的に《選手》として著しい『成長』を遂げていく〈小菅〉に将来の希望も見えた―・・・と、

誰もがそう信じて疑いもしなかったのである。


 ・・・しかし、

肝心の当の本人には致命的に『競争心』やタイムに拘る『向上心』が全く無かった。

 そんなモノに興味すら無いのは当然だろう。

 〈小菅〉にとって《競泳》は、

単に『逃れる術(すべ)』でしかないのだから―・・・。


 他の『世界を見据えて』努力を積み重ねる《選手》達と肩を並べられる程、甘い世界では無い。

 〈小菅〉の類稀なる才能を持ってしても《大学》に入る頃には選手として見限られ、

 《競泳》から離れるようになってしまった―・・・。



『・・・オレは一体、どうしたいんだ・・・』


 一時期は治まっていた『焦燥感』も発作的に今度は毎夜、《悪夢》とカタチを変え〈小菅〉を襲い始め出す。

 不安に戦(おのの)くその感情は、やがて漆黒の蠢(うごめ)く闇となり、足掻く自分を容易く呑み込んでいく―・・・。


『・・・このままじゃ―・・・』


 もう、『限界』だと思った。


 《悪夢》に襲われ夜に眠る事すら出来なくなってしまった〈小菅〉は、

 現実でさえ己れの闇に追い詰められていく。


『オレは《闇》に殺されてしまうのか・・・?』


 雁字搦めに囚われてしまった《我が身》を救う方法は?

知る術(てだて)を必死に模索するも既に、

 そこには疲れ切った自分しか居なかった――・・・。




 環境を変えた方がいいだろうという両親の勧めで、

 大学卒業後は母方に所縁(ゆかり)のある田舎で《教師》として生活を始めた〈小菅〉だったが、


 精神的不安を理由に休職する事も度々あったが為に、

 ひと所に落ち着くコトなく『産休代理』として学校を転々としていた―・・・。

 《結子(すくね)》という小さな島に赴任する知らせを受けた時は、

 思わず『島流し』を連想し自嘲する。


『・・・これが《最後》なんだろうな・・・』


 〈小菅〉はただ、漠然とそう思った。


 ・・・《教師》という仕事は嫌いではない。

 生徒達が、純粋に自分を慕ってくれるのは本当に嬉しいし常に孤独の中にいた〈小菅〉には安らぎにさえ思えた。


 それもあったのか、

仕事をしている間は不思議と『焦燥感』に駆られるコトも無かった。

 ・・・が、逆にそれが『不安』になる。

 

 もし授業中や仕事の最中に、

あの闇に襲われてしまったら―・・・と想像するだけでゾッとした。

 生徒や同僚達にどんな危害を加えてしまうのか、

自分でも計り知れなかったからだ。


『・・・何故なんだ・・・』


 常に己れの呪われた人生を恨む。

一体、自分は何の為に生まれて来たのか――・・・。


『・・・死にたい・・・』


 それは幾度となく頭を過(よぎ)る思いだが、

 〈小菅〉には自ら命を絶つ事だけは出来なかった。


 『あの日の両親の姿』を、

忘れられずに胸に留め続けているからだ。






 《競泳》を辞めてからの〈小菅〉の自暴自棄な行動は、

《両親》への当て付けでもあったが父も母もそれを承知していたのだろう。

 一切、我が子を責めはしないで全てを受け止めていた。


 幼少期から『何か』を必死に訴える我が子を心配し、

 圏内にある大きな《大学病院》や有名な《心療クリニック》へも通ってみたが、

 専ら『然(さ)したる障害は見当たらない』と診断されるだけだったのだ。


 ・・・途方に暮れたくても《息子》が一番苦しんでいる以上、自分達が匙を投げる訳にはいかないと、

 夫婦で『護っていく』と誓い合ったのである―・・・。


 そんな《両親》の想いを知ったのは『死にたい』と洩らした〈小菅〉に、初めて母が手を上げた時だ。


 ・・・そしてひと言、


「ゴメンね・・・」


 そう言い、母と共に父までも《我が子》の足元で土下座のように蹲(うずくま)り泣き崩れた。


「どうしてなんだろうな・・・小さい時から、何時も『何か』に苦しんで」

「・・・ゴメンね・・・アナタだけに、こんなに辛い思いをさせて―・・・」


 自身だけが、もがき苦しんでいるのでなく《両親》もまた、自分を愁(うれ)い苦しんでいた――・・・。

 以来、両親に対する『暴力』も『死にたい』と口にする事もしなくなった。


 こんな自分でも、

見棄てずにいてくれる――・・・。


『・・・ならば《生きる》道を選ぼう―・・・』


 〈小菅〉はここで初めて、

《闇》と対峙する決意をしたのである。


 相変わらず《悪夢》にうなされ、

声にならない悲鳴を上げて目を覚ます日々も続いていた―・・・が、


『それでもいつか・・・』


 きっと救われる日が来ると信じていたのだ――・・・。






 《結子(すくね)》に赴任して『ひと月』が過ぎた頃、

 〈小菅〉は帰りの船の中で不意にあの『焦燥感』に駆られ、

《闇》への恐れから座席で具合を悪くしてしまう。


 その時、

声を掛け介抱したのが〈甲田葉子〉だった。


 《結子(すくね)》で『海女』をしている―・・・という彼女は、

 その日は《本島》にいる親戚を訪ねる為に、この船に乗っていた。


「・・・《海女》、ですか・・・」


 何故だか判らない。けれども、

自分を救い出して貰える―・・・という変な『確信』が芽生える。


『オレを・・・この《闇》から解放してくれるハズだ・・・』


 〈小菅〉の呼吸も儘ならない状態に〈葉子〉は介抱では済まないと判断し《船員》に救急要請をしようとするが、

 それを必死に拒むその姿に何かしらの『不都合な事情』でもあるのかと察したのだろう。


 観念したように―・・・


 苦しみながらも時折、自分を縋るような眼差しで何かを訴える〈小菅〉を放って置けず

 下船する間ずっと傍に付き添っていた。


 一時に比べると『症状』も治まり、とりあえずは一人でも歩けるようにはなったが、

 そのまま『さよなら』とは言い難いし言える状態でもない〈小菅〉を、

 〈葉子〉は意外にも嫌な顔をする事もなく家まで《タクシー》で送り届ける。


「後はお一人でも大丈夫ですか?」


 まるで《台本》にあるような取って付けた言葉(セリフ)を口にした自分にも驚いたが、

 そこに『気持ち』がある訳ではない。


 ・・・〈葉子〉は〈小菅〉が、

『それ』に対して言葉を『どう返して』くれるのかが単に知りたかった。


「・・・大丈夫なんかじゃない。

今日は、このまま傍にいて欲しい・・・」


 つい数時間前に知り合ったばかりの《男性》だと判っている。

 ・・・しかし〈葉子〉は、

自分の『望んでいた』その言葉に微笑むと小さく頷き、

 一夜を共にしてしまうのだった――・・・。

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