out of time 第三話 ヒヤシンスのせい


― out of time 時期外れ -


 ~ 十二月二十三日(月) 四メートル ~

   ヒヤシンスの花言葉 ゲーム



 『ちょっと来るの』とメッセージを貰い。

 起き抜けの浴衣に寝ぐせ頭で。

 スリッパをつっかけてお隣りの扉を開くなり。


 土間に正座ですよ。


「……既視感」

「お黙りなさい。常日頃を斯様に気を張らず過ごす者への罰として相応しいと心得なさい」


 そんな俺がにらむ相手は。

 もちろんおばあちゃんではなく。


 自分ばかりが正座で叱られているところ。

 道連れが欲しいと呼び出したとしか思えない藍川あいかわ穂咲ほさき


「……既視感」

「文句言わないで欲しいの」

「母ちゃんとおばさんの姿が見えませんが」

「おばあちゃんが来るなり、この地に咲くと言われる野生の花をもぎに行くって叫んで逃げ出したの」

「なんの花?」

「湯の花」

「……咲くのだろうけども」


 よく思い付きますね。

 そういう言い訳。


 旅先へ、どうしておばあちゃんが訪ねて来たのか。

 気になるところではありますが。


 それより俺も、なんとかして。

 この状況から抜け出さないと。


 だって……。


「いくらなんでも寒いのです」


 この寒いのに。

 窓が開けっぱなし。


 そこから見える灰色の空には。

 ちらちらと白いものが舞っているではありませんか。


「朝は、一晩ひとところに留め置き濁らせてしまった空気を掃いて捨て、新鮮なものと入れ替えるが当然。そのようなことも学んでこなかったのですか?」

「それはこの雪の降る朝にも当てはまることなのでしょうか」


 おばあちゃんは、俺の質問に当然とばかりに頷くのですが。

 時期を考えてくださいな。


 現在この部屋、ほぼ外気温。

 浴衣一枚では凍えてしまいます。


 前に。

 寒くなると足が痛痒くなることを学びましたが。


 今日はもう一つ。

 新しいことを教わりました。


 痛痒い状態を、もひとつ越えると。

 眠たくなってくるのですね。


「そのような格好をしているのが悪いのです。心に体に、常に気を張ること、身に染みましたか? ……これ、道久さん? 船など漕いで、居眠りとは何事です」

「むにゃ……、漕いでません。だって、船は出せないと言われました」

「…………寝ぼけていらっしゃるのですか?」

「いいえ。目の前に横たわっている、蓮の花が乱れ咲く川。これだけ寒いと凍ってしまって、船が出ないらしいのです」

「やれやれ。穂咲さん、道久さんに布団をかけてあげなさい」


 なにやら掛け布団を山盛りでかぶせられる心地がしますが。

 おやめなさいな穂咲。


 機転を利かせてスケート靴をレンタルしてきたのに、重くて動けませんよ。

 六百円も取られたのでもったいない……?


「はっ!? 俺、アイススケートできないのです!」

「お帰りなの。道久君が運動音痴で良かったの」

「どういう意味です?」


 首をひねる俺の腕を引いて。

 ファンヒーターの方まで連れて行こうとする穂咲さん。


 でもね?


「いた、いたたたた。無理に引っ張らないで下さい。体が凍り付いて、この速度で限界なのです」

「我慢するの」


 そんな俺を。

 おばあちゃんが、溜息をつきながらにらんでいるのですが。


 あれ?

 いつの間にお小言が終わっていたのでしょう?


「……だらしのないことです。心頭滅却すれば火も涼しくあると心得なさい」

「ガチガチ……。い、今なら滅却なしで火の中へ飛び込めます」

「滅却どころか、焼却すら臨むところなの」

「嘆かわしいことです。かつては、暖を取るなら火鉢に炭を。涼を取るには打ち水で十分だったものを」

「むりなの。暖を取るならこたつん中。涼を取るなら冷蔵庫の中なの」

「気持ちは分かるのですが。さすがに冷蔵庫からは出てきなさい」


 歯をガチガチとさせながら。

 俺が穂咲と並んで。

 ヒーターで体を温めていると。


 おばあちゃんはため息をつきながらも。

 温かいお茶を淹れてくれました。


「おお……。体の内側から温まるのです」

「ありがとうなの、おばあちゃん」

「この程度の寒さに勝てずどうします。しっかり鍛えて、風邪などひかぬ体にならねばいけませんよ?」

「うう、確かにそうなの。これから楽しいイベント目白押しなのに、風邪ひいちゃもったいないの」


 穂咲は、鞭の後に貰った飴のせいで騙されていますが。

 俺はそうはいきませんよ?


「だからと言って、こういう鍛え方では体を壊します」

「ですので、日頃からこつこつと積み上げなさいと申しているのです」

「うぐ、おっしゃる通り。でも、昔の人はよく耐えることが出来たものです」

「きっと江戸時代なみんなは、クリスマスも紅白も、寒くて楽しめなかったの」

「楽しんでいたら怖いです」

「……江戸時代の頃ですか。きっと囲炉裏と温かな料理で暖を取っていたのでしょう。そう言った意味で、温泉というものは大変貴重なものだったと聞きます」


 なるほど。

 確かに、勝手に暖かいのですから。

 冬は重宝したことでしょう。


 まあ、夏については。

 ちょっと考えたくないですけどね。


「……二人とも、冷え切ったのでしたら温泉に入ったらどうですか?」

「この時間、入れたのでしたっけ?」

「確か入れるの。おばあちゃんも一緒に入るの」


 そんな穂咲の申し出に。

 ふわりと嬉しそうな笑顔を浮かべたおばあちゃん。


 先日、クリスマスプレゼントに料理を上げると言われた時にも。

 同じような顔をなさいましたね。


 俺は、心をポカポカにしながら。

 おばあちゃんの笑顔を見つめていたのですが。


 そんなポカポカが、一瞬で凍り付くようなことを。

 穂咲が急に言い出したのです。


「道久くんも一緒に行く?」

「はああああ!? 一緒に!? 混浴は嫌です!」


 ヒーターの音が掻き消えるくらい。

 穂咲の耳元で大声を上げたら。


 この人、これでもかと眉をひそめて。


「……当たり前なの。一緒に行こうって言っただけなの」

「へ? ……ああ、そりゃそうですよね! びっくりしたのです……」

「ちいちゃなころは、パパと三人で入ったことあったけど」

「え? そうでしたっけ?」

「……うすらぼやーっと覚えてるの」


 そして穂咲がいつものように。

 遠くを見つめて、思い出せるはずもない昔の記憶を探っていると。


 おばあちゃんが。

 すこし寂しそうな顔になってしまったのです。


 これはいけない。

 早いところ、楽しい気持ちにさせてあげないと。


「ほら、穂咲。すぐにお風呂に行く準備をするのです」

「え? ああ、そうだったの。おばあちゃん、宿泊してないのに入れるかな?」

「でしたら、外の温泉に行きましょう」


 俺の提案に。

 おばあちゃんは、折り目正しくお辞儀をしてくださったのですが。


 そんなにされると恐縮なのです。


 居心地が悪くなったので。

 慌てて隣の部屋へ駈け込んで。


 すぐに着替えて手荷物を持って。

 でも、廊下へ出ようとした瞬間にペースダウン。


「しまった。急いで出る必要ないじゃないですか」


 だって、穂咲の準備なんて。

 どれほどかかるか見当もつかない。


 一旦引き返そうかと考えながら。

 扉を開いたら……。


「手際の悪いこと。準備に時間をかけすぎです」

「ああ、そうか。……穂咲、ずるいのです」

「何にもインチキしてないの」

「ほんとは?」

「ちょっぴり」

「…………ほんとは?」

「まるきりおばあちゃんが準備してくれたの」


 さもありなん。

 

 いつもなら。

 きっと、自分で準備を整えるまで。


 おばあちゃんは、お小言を言いながら。

 一切手を貸さない所なのでしょうが。


 まるで鼻歌でも歌い出しそうなオーラで包まれたこの人には。

 無茶な相談というものでしょう。


 多分、一緒にお風呂に入ったことなど無いでしょうし。

 やっぱり俺は席を外そうかしら。

 そう思った瞬間。


「さあ、グズグズなさらないで下さい。行きますよ」


 おばあちゃんに、凛とした声をかけられては。

 ……そんなに嬉しそうな声をかけられては。


 ついていくしかありませんね。


「……それにしても。小さな頃、一緒に温泉に入ったなんてよく覚えていますね」

「うすらぼんやりだけど」


 おじさんと三人。

 お風呂に入ったことは、確かに何となく覚えていますけど。


 それが温泉だったかどうかなんて。

 まったく覚えていないのです。


「俺たちも小さな頃は、男女どちらのお風呂に入ってもお構いなしでしたもんね」

「なに言ってるの?」

「ん?」

「あたしはそんな変なことしないの。女湯にしか入ったこと無いの」

「……別に、そこで頑張らなくても。おばあちゃんは怒ったりしないのです」


 こいつ、目の前を歩くおばあちゃんを意識しすぎて。

 勝手なことを言っていますけど。


「ウソじゃないの」

「いいえ。ウソって言ってください」

「ウソじゃないのに?」

「はい」


 だって、そうしないと。



 おじさんが女湯にいたことになるので。



 俺は、穂咲と同じように。

 遠くの空を見上げて、思い出せるはずもない昔の記憶を探っていると。


 雲の切れ間から。

 山の向こうに一筋の光が降り注いで。

 

 その輝きの中で。


 おじさんが、頭を掻きながら。

 穂咲を見つめているような気がしたのでした。



 ……だから。

 早く否定しなさい。



「あたし、女湯にしか入ったことの無い貞淑なレディーなの」


 ああ、残念。

 こいつはおじさんの正義より。

 今、いかにして叱られないかの方を取ってしまいました。


 だからでしょうか。

 穂咲の言葉に合わせて。

 雲が切れ目を閉じて。


 光が、ぱっと消えてしまったのでした。



 ……ええ、逃げてください。

 穂咲の言葉を、おばあちゃんが全部信じると。


 正座させられちゃいますからね。




 ~♨~♨~♨~




 早朝というのになかなかの客入り。

 それでも外湯はとても気持ちが良くて。


 タオルを首に巻いて。

 上機嫌で外へ出てみれば。


 ……一本背負いですよ。


「ぐはあああっ!」

「貴様! 穂咲ちゃんと同時に温泉から出てくるとは、なにやつじゃ!」

「道久君なの」

「道久さんです」

「そんなことは聞いとらん」


 そう言えば。

 気にしていたのに忘れていましたね。


 そもそも、旅先へどうしておばあちゃんが訪ねて来たのか。


 ……先行部隊でしたか。


「おじいちゃん!」

「穂咲ちゃん!」


 薄く道路に雪が染みる中。

 おじいちゃんと孫娘。

 久々のドッキング。


 そして穂咲たちと俺の間に。

 するっと身を入れる新堂さん。


 この寒空に、背広一枚なのは大した胆力と思いますが。

 紳士の鑑と思いますが。



 ……見えてますよ、ホルスター。



「旦那様、お早いお着きで。出迎えも致しませんで申し訳ございません」

「よいよい! それより穂咲ちゃん、また大きくなったのではないか? そろそろ車が欲しい頃合いじゃろう! 何でもこうてやるぞ? ベンツか? それともロールスロイスがよいか?」

「身長なら去年から二ミリ縮んだの。あと、便座もローストビーフもいらないの」

「がっはっはっは! 謙虚じゃなあ穂咲ちゃんは! では、何か欲しいものは無いのかの?」

「おじいちゃんと遊ぶの。温泉らしいもんで」


 そんな穂咲の言葉に。

 珍しく目頭を押さえたおじいちゃん。


「……うるっときちゃいましたか?」

「バカもん! これは、ワサビのせいじゃ!」

「いやいや。いつ食いましたか、お寿司」

「うるさいぞミチカネくんとやら!」

「道久です」

「道久君なの」

「道久さんです」

「そんなことは聞いとらん。……新堂!」


 俺に、強烈なデコピンを一発くれると。

 おじいちゃんは、新堂さんが差し出した目録に目を通します。


「ふむ……。よし! ならば卓球でもしようかの!」

「そりゃ丁度いいの。ピンポン玉なら、ダースで持って来てるの」

「がっはっはっは! それは豪気じゃのう! ならばわしも、球が壊れる事を気にせず思い切りスカッシュを打てそうじゃ!」

「スマッシュなの、おじいちゃん」

「スマッシュです、旦那様」

「それより、球が壊れるってどういうことさ」

「うるさいぞタツヤくん!」

「一文字も合ってねえ!」


 つい突っ込みを入れてしまった俺は。

 次の瞬間、地面に仰向け。


「ぐはあああ!」

「ふん! 大外刈りも返せんのに偉そうな口をきくでない、ケンシロウくん!」

「さっきから、文字数すら合ってないのでぐはあああ!」

「ふん! サソリ固めぐらいで乙女のような悲鳴を上げるでない!」


 こ、この人。

 三途の川の手前から戻ってきてから。

 パワーアップしてませんか?


 地面を何度もタップして。

 叫び声をあげていたら。


 ようやく穂咲が。

 止めに入ってくれました。


「おじいちゃん、放したげるの」

「ん? そうは言ってもじゃなあ……」

「冷えた体をせっかくあっためたのに、地べたに転がしたらまた冷えちゃうの」

「そ、そうなのです! 雪が降り始めてますから服もびしょびしょですし!」

「そしたらまた、道久君と一緒に温泉行かなきゃならないの」

「な、なあにいいいっ!?」

「ぎゃあああああ!!! いだだだだだ!」


 ねえ、わざとなの!?

 そんな言い方したら、足をへし折られちゃうのです!


「き……、貴様! 穂咲ちゃんと混浴だと!?」

「なに言ってんだこの野郎と突っ込みたいところですが、俺もさっき同じことやらかしたのでできません!」

「もはや勘弁ならん! ……ようし、かくなる上は、穂咲ちゃんをかけて、卓球で勝負じゃ!」

「ええっ!?」



 ……こうして俺は。

 好きなのか嫌いなのかよく分からない女の子をかけて。


 卓球で勝負をすることになったのでした。



 ……いや。

 あれ?


 穂咲をかけて。

 卓球で勝負?



 遠い昔。

 どこかで。



 聞いたことがあるような……?




 ~🏓~🏓~🏓~




「いたたたた……。参ったのです」

「凄いの。顔中あざだらけなの」

「あんなのと戦っても勝てませんよ。世界狙えますよ?」

「世界を狙えるのは新堂さんの方なの」


 まったくなのです。

 だって、おじいちゃんが打った球。


 全部空中で直角に曲がって。

 俺の顔面に直撃するのですから。


「床に散らばったエアガンの球くらい拾ってくださいな」

「KOだから、おじいちゃんの勝ちらしいの」

「いつから卓球のルールにKOが追加されたのです?」

「でも道久君、最後は顔の前にラケット構えてたのに、なんでダウンしたの?」

「だって、直撃したのです」

「どこに?」

「俺の秘宝館に。……あいたっ!」


 ひりひりとする顔に。

 なにやら薬を塗っていた穂咲は。


 俺の小粋なジョークに頬を膨らませると。

 デコピンをして、おじいちゃんの元へ行ってしまいました。


「ちょっと道久君! ようやく決心してくれたのに、負けるとは何事!?」

「違いますよおばさん。勝手におじいちゃんが穂咲をかけて勝負と言っただけで、俺が欲しがったわけじゃありませんから」


 卓球台の周りには。

 父ちゃん、母ちゃん、おばさんまで集まって。


 床にうずくまる俺を見下ろして。

 ため息などついているのですけれど。


 ……ああ、そうだ。

 忘れる前に聞いておかないと。


「あのですね。俺、おじさんと卓球勝負をしていませんかね?」

「ん? そんなの知らないわよ。それより道久君! リベンジリベンジ! こうなったら略奪愛よ!」


 荒ぶるおばさんを無視して。

 俺は、父ちゃんの方を見つめましたが。


「いや、知らんぞ? それがお前の探していた勝負なのか?」

「多分……。しかもその時、穂咲をかけて勝負したような気がするのです」

「何を言っているのだお前は」


 ええ、父ちゃんの言うことももっともで。

 おじさんと、穂咲を取り合う勝負なんて。

 どう考えても起きるはずが無いのです。


「わはははは! じゃあ、良かったじゃないか! あんた、ちゃんと大事にしてやんなよ?」

「は? ……なんで?」

「いやいや、なんでって! 藍川さん、あんたを勝たせてくれたんだろ?」

「そうか! でかしたわよ、パパ! さあ道久君! 商品を渡すから、この目録にサインして!」

「なんでいつも持ち歩いているのです!? ……まあ、サインはできないのですけどね」


 だって。

 思い出したから。


「え? 道久君、それってまさか……」

「ええ、負けた覚えがあるのです。……おばさん? どこ行く気?」

「ちょっとお墓に行って怒鳴りつけてくる!」


 父ちゃんと母ちゃんに。

 慌てて止められていますけど。


 おばさんも、ことこの件に関してはアクティブな方だこと。


 それにしても。

 おじさんと温泉で。

 卓球で勝負して。


 負けたことは思い出したのですが。


 負けて、そのあと。

 どうしたんだっけかな?


 そもそも、なんで穂咲をかけて勝負などしたのでしたっけ?



 俺は、ヒリヒリと痛む顔をさすりながら。

 おじいちゃんと、ピンボールに興じる穂咲の後姿を眺めるのでした。



 ……いえ。

 ウソですから。

 眺めてませんから。


 お尻を撃つのをやめてください。

 新堂さん。


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