out of time 第一話 カサブランカのせい
― out of time タイミング悪く -
~ 十二月十二一日(土) 四十キロ ~
カサブランカの花言葉 無垢
ため息が頬に白くまとわりつくと。
橋を渡る風に乗って空へ舞い上がる。
きっと今の季節は。
あと十日ばかりとなったこの年を思い。
日本中からため息が上がって。
こうして空を覆うのだろう。
灰色の空は心の鏡。
思えば、俺の心はずっと曇り空。
欄干を革の手袋でなぞると。
ざらりとした音も凍えて聞こえ。
川の流れが奏でるリズムに。
寂しいメロディーで青い色を付ける。
そんな冷たい季節だから。
橋から眺める街並みは。
四方を山に囲まれた中で。
暖を求めて肩を寄せ合って。
そして俺の冷たい気分まで。
こっちへおいでと優しく受け入れると。
綺麗な景色を見せてあげようと。
優しい声音でささやいて。
川を、山へ向かって。
イルミネーションで虹色に染め上げてくれたのでした。
「おや? 綺麗さね!」
「これが名物のイルミネーションか?」
「いやいや! イブの夜にはもっと凄いことになるってさ!」
ご機嫌な二人の会話。
二人の口から立ち上る煙は。
この町の至る所から上がる煙と同じで。
幸せを表す目印なのです。
なんだか、この界隈で冷たい息を吐くのは。
俺一人のような気がしてきました。
「とっとと温泉に入りましょうよ。冷え切ってしまいました」
声をかけた先で振り向くトレンチコートが。
イルミネーションを見つめてテンションを上げる雪だるまのようなダウンジャケットの隣で。
やれやれと肩をすくめます。
「藍川さんたちがまだだと言うのに、無粋な奴だな」
「そうさね! 道久だって、穂咲ちゃんと一緒に入りたいだろ?」
「同時って言いたかったのですよね? 一緒になんて入れないでしょうに」
「混浴もあるぞ?」
「混浴もあるさね?」
「困惑しかありません。理解不能です」
まったく分かってない。
穂咲と混浴なんてしたところで。
頭から湯桶をずっと被らされるに決まってます。
どうやって頭を洗えと言うのです?
それに、混浴というものは。
その言葉に憧れがあるだけであって。
実際にやりたいかと問われれば。
恥ずかし過ぎて無理なものなのです。
俺のため息は、冷たく虚空を舞い上がると。
灰色の冬空の隅っこに並ぶのでした。
「しかし、時間を潰そうにも。何か見るものとかあるのですか?」
「当然だろう。ここ、下呂温泉は一大観光スポットなのだぞ?」
ええ、そうですけど。
温泉街などというから。
もっと静かな場所を想像していたら。
ずいぶんと都会で。
驚いたのですけど。
「そういうこっちゃなくて。何をして過ごしましょうかと聞いているのです」
「何でもいいじゃないか。温泉名物なんて、いくらでもある」
「ほう。例えば?」
「屋台の焼きそばにビール。みたらし団子にビール。温泉饅頭にビール」
「食べ物ばっかりじゃないですか」
「バカを言うな。飲み物ばかりじゃないか」
「ビールなんか飲めませんし、おなかも空いてません」
それにそんなの。
どこでも食べることができるのです。
「だったら、射的、輪投げ、亀すくい……」
「夏祭りですか?」
亀なんか取ってどうします。
「あとは、秘宝館!」
「え? 秘宝?」
思わず驚いて。
聞き返してしまいましたが。
母ちゃんが。
むせて咳き込むほど笑っていますし。
「……冗談でしたか。無垢な子供を騙しなさんな」
「本当にあるんだぞ? 温泉は、これなくして語れない」
「はいはい。陳列されていたら楽しいですよね、秘宝。例えば卑弥呼が使ってたスマホとか」
きっと落っことして割れた画面が。
亀甲占いを行った形跡とか説明書きされているに違いない。
大笑いしながら先を急ごうとする父ちゃんと母ちゃん。
そんな二人に、ちょっと待ってと声をかけて。
川沿いのイルミネーションを撮影して。
穂咲へ送ってみると。
「……おお。興奮しているのです」
「最近の子供は羨ましいな。離れていても、そばにいるように過ごせて」
父ちゃんと母ちゃんは。
なにやらニヤニヤ俺を見つめているのです。
でもね?
「そうでもないですよ? ほら、こんな感じにいらん文句を言われるのです」
父ちゃんに携帯を渡すと。
途端に浮かべた苦笑い。
興奮していると言っても。
いい意味ではなく。
もっと送れだの。
メッセージくらい付けろだの。
ここぞとばかりにお小言がつらつらと。
「……そして肝心の写真については、随分リアクションが薄いな」
「微妙だと言われましても」
「写真が下手なせいだと言って来たぞ?」
「どれどれ……」
俺は返してもらった携帯に。
言い訳など書きながら。
温泉街を楽しそうに歩く。
二人の後ろをついて歩きます。
だいたい表現できてますって
もっと、盛るもんなの
盛ってもしょうがないでしょう。一時間もしたら見れるのですから
もちっと派手派手なの期待してたの
地味地味写真で悪かったね
写真のせいじゃなくて、こう、もっと
もっと?
びかーって光るやつ撮るの
はあ。例えば?
スカイツリー
ここ、下呂温泉
キラキラ光る方だったの
アニメだとね。それにしても、びかーって光らないでしょ、スカイツリー
浅草は夜でも明るいの。昼みたく
絶対スカイツリーのせいではないと思うのですが
じゃあ、提灯がびかーって?
そこまでは光らないでしょう。……え? あれ、光るの?
そんで夜遅くまで酔っ払いが歩いてんの……
ちょっと! 光るの?
はっ!? まさか光ってるのは提灯じゃなくて、キラキラ!?
光るか! 君だって見たことあるでしょ!? それより提灯!
「……穂咲ちゃん、なんだって?」
「あいつ、酔っ払いが繁華街を虹色に輝かせているのだと思っていそうなのです」
「なんだそりゃ? ネオンの話か?」
「しかも提灯が光るとかおかしなことを言って……」
「お前、現代っ子なんだな、やっぱり」
「は?」
「いや、提灯が光らないってお前……」
そして父ちゃんが。
こいつはきっと牛肉も豚肉も、タネを植えたら生えてくると思っているのだと。
失礼なことを言うのですが。
そんなこと思いませんよ。
でも、穂咲は先日。
俺の大事な動物図鑑をめくりながら。
あれだけ有名な魚なのに。
トロがどこにも載っていないと。
文句を言っていましたが。
……そんな現代っ子は。
おばさんに急な仕事が入ったため。
未だに地元にいて。
正次郎さんが手配してくれた温泉宿には。
俺たちが先に到着しているのです。
家から車で一時間。
これだけ離れているというのに。
まるで隣を歩いているよう。
この感覚は。
まるで家族。
だからでしょうね。
今になっても。
好きなのか、嫌いなのか。
さっぱり分からないのは。
……家族なんて。
好きに決まっていて。
だからしょっちゅう。
嫌いだってケンカして。
誰かに聞かれれば。
好きとも嫌いとも。
言いづらいのが当たり前。
「……道久。射的で勝負でもするか?」
「結構です。欲しい景品もないし」
「なんだつまらん」
「そうだ。おじさんと、何かの勝負をした覚えがあるのです。こんな感じの街並みを歩いている時。何かをかけて」
「何か、ばかりじゃないか。穂咲ちゃんみたいなことを言い出したな」
父ちゃんと母ちゃんは。
人の事言えないじゃないかと大笑い。
でも、うすうす感づいてはいたのです。
俺も同じくらい。
おじさんとの思い出を。
よく覚えていないということを。
ただ。
それを他人に探させようとするかしないか。
違いはしっかりあるのです。
「昔、おじさんたちと温泉に来たことあるのかな?」
「あるさ。こんないい所じゃなく、車で三十分くらいの所だがな」
「ああ、行ったさね! そもそも旅行なんて何日もかけて準備するもんなんだから、もう三十分かけて有名なこっちにすりゃよかったのに」
急に文句を言い出した母ちゃんが。
いつの間に買ったのやら。
温泉まんじゅうを頬張りながら怒っているのですが。
ちょっと待って。
『日』?
「旅行の準備にそんなにかかるのはお前だけだ」
「道久の分の荷物も作んなきゃいけないんだから、大変なんさね!」
「あの時、四才の道久が自分のリュックを作っていた姿を見て感心したことを覚えているが?」
ため息をつく父ちゃんの見つめる先。
イカ焼きを咥えてぴたっと固まる母ちゃんの姿。
呆れた記憶違いはいつものこととして。
ねえ、ほんと。
いつ買った?
「あらま。ほんとかい?」
「すごいのです、四才の俺」
「しかも、お前の作るカバンに潜り込もうとしていたんだ」
「なんでさ」
「道久を持っていくのを忘れそうだったからだろうな」
「すごいのです、四才の俺」
そしていつものがはがは笑いで誤魔化そうとする母ちゃんが。
トウモロコシを右手に持っているのですけど。
何なの?
盗んでるの?
「道久。みんなで温泉に行ったこと、覚えていないのか?」
「え? ……ええ。父ちゃんたちと、こうして歩いた記憶はありません」
申し訳ない気持ちが半分。
仕方ないじゃないかと思う気持ち半分。
頭を掻きながら、正直に言うと。
「当たり前だろう」
「え?」
おかしな返事が返ってきました。
「当たり前ってなにさ」
「うちの一家。お隣りの一家。どうなるかくらい分かるだろう」
…………なるほど。
言われてみれば。
「さっき、おじさんと勝負をした記憶の中で。俺はおじさんに腕を引かれて、浴衣のような物を羽織ってお祭り屋台みたいな通りを歩いているのですが」
「記憶、ばっちりじゃないか」
「そして、宿の部屋がビール臭くて、お隣りの部屋でおじさんと穂咲と寝た記憶があるのです」
「パーフェクト」
「どうしてでしょう。朝になって、ビール臭い部屋を泣きながら掃除したトラウマがよみがえってまいりました」
「困ったな。これ以上の褒め言葉を俺は持ち合わせていない」
おい。
「……『みんなで温泉に行った』というセンテンスの和訳は?」
「あ、そうそう! あんとき、温泉入るの忘れてたんさね!」
「なにひとつ間違ってないけど、なにひとつ合ってねえ!」
「去年の会社の社員旅行、仕事が山場で社員よりクライアントの方が多かったんだ。人生とはそんなものだ。覚えておけ、道久」
「なにひとつ合ってねえ!」
すれ違う皆さんが。
温泉であたたまった赤ら顔で。
幸せそうな白い煙を吐く中。
俺は、たった一人。
真っ赤な顔をして怒りながら。
黒い毒を吐き続けたのでした。
……あと。
いつ買いました? その焼きそば。
「おっととと。これ以上食ったら晩御飯食べられなくなっちまう。これ、あんた食いな!」
「……この、残ったひとくち分。食おうが食うまいが変わらんと思いますよ?」
「いいからいいから! これも思い出になるさね!」
そう言いながら、にっこり笑った母ちゃんの顔。
確かに思い出にはなるでしょう。
俺は苦笑いを浮かべながら。
母ちゃんの嫌いなひとくち分の紅ショウガを。
口の中に放り込んだのでした。
~♨~♨~♨~
「ほっちゃん! 急ぐわよ!」
「……べつに、急がなくっても」
「なに言ってるのよ! 早く遊びたいでしょ?」
「すでに、そこそこ楽しんでるの」
眉根を寄せた母親に。
にらまれている女の子。
彼女の名前は
軽い色に染めたゆるふわロング髪を。
頭の上に、手ぬぐいを乗せたフォルムでセットして。
驚くべきことに。
そこにカサブランカを一輪活けています。
一見、目を疑うようなこの頭。
でもご近所や学校では。
すでに当たり前となっていると聞くから驚きです。
そんな女の子は。
いぶかしむ母親へ。
携帯を差し出します。
「ほら。綺麗なの」
「あら、川沿いにイルミネーション? こんなの送って来るなんて、道久君も結構やるようになったじゃない?」
「…………へたっぴい写真だと思うの。ぜんぜんやるようになってないの」
口を開いた旅行バッグ。
着替えや日用品が床にぶちまけられたようなフローリング。
そこにペタンコ座りした女の子の言葉を聞いた母親は。
荷造りの手も休めずに語ります。
「あんたねえ。その景色を、道久君といっしょに見たいな~とか。あわよくば、腕を組みたいな~とか、そういうのないの?」
「腕組み? えっへんなの」
「ちがあう」
肩を落としながらも。
母親はせわしなく動き。
今度は女の子のバッグへ荷物を詰め……?
いえ。
出し始めましたね。
「ちょっと! なんでピンポン玉がケースごと入ってるのよ!」
「温泉なら、これが無いとなの」
「借りれるでしょうに!」
「だって、あのね? こないだ、ボールを探すのが宝探しみたいで楽しかったの。だからこいつを温泉に沈めて、ママと探したいなーって」
「浮くわ!」
𠮟りつけながら、母親が詰める荷物を。
ぼけっと見つめていた女の子。
今度は。
彼女がバッグから荷物を取り出してしまいます。
「邪魔しなさんなあんたは! 必要な物でしょうに!」
「これ、ちくちくするしスースーするからいらないの」
「乙女の嗜みだから!」
「たしなみたくないの。きっとさみいの」
「気合! 寒くったって、あんた学校に生足で行くときあるでしょ?」
「あれは、タイツ履いてっと遅刻しそうになる時」
「……そうね、そうだったわね。おしゃれのためじゃないとか、女子としてどうなのよ……」
がっくりとうな垂れたまま。
母親はバッグの口を閉じて。
そして、ふと、何かを思い出すと。
廊下から小包を持ってきて。
娘のバッグへ無理やり詰め込むのです。
「……なに? それ」
「なんだろうね。面白いものよ、きっと」
「面白いもの?」
「なんと! パパ宛ての小包なのです!」
「開けるの!」
「遅くなるから、向こうで開けなさいな。そのまま持ってきなさい」
ぐずる娘を引きずるように。
バッグを二つ抱えた母親は。
バンの後ろへそれらを放り込んで。
エンジンをかけて暖気させてから。
家の明かりを消して。
お店のシャッターを下ろします。
「ふう……。よっしゃ、行きますか! ほっちゃん、温泉楽しみね!」
「うん。焼きそば、みたらし団子、温泉饅頭」
「え? おなか空いてるの?」
「ううん? 道久君が、温泉名物の写真見せてくれてるの」
「夕食前に? そんなに食べてるの?」
「…………全部、おばさんが食べてる」
「ああ、はいはい。携帯いじってないで、さっさと乗りなさい!」
「タオルケットは?」
「助手席にあるから」
ヒーターも、必要以上に効かせない車内では。
寒さに弱い女の子にとって必須のアイテム。
それを肩からかぶって、人心地つく間に。
車は日が傾き始めた車道へ滑り出します。
あとは、山道を一時間ちょっと走れば。
楽しい温泉が待っています。
「しかし、道久君はセンス無いわね。食べ物ばっかりなんて」
「うん。文句言ってやるの」
「ちょっと。あんた、すぐ酔うんだから。携帯はほどほどにしときなさい?」
「ほどほどにしないと、キラキラが出る?」
「…………やめなさいな。目的地が目的地なんだから」
「じゃあ、食べ物以外の名物だけ聞いて、後はやめとくの」
そして携帯に指を滑らせる娘の姿をちらりと見た母親は。
羨ましそうな声音でつぶやきます。
「いいわねえ、最近の子は。離れてても、寂しく無くて」
「うん。いつものお隣りな感じ」
「だからなのかもね……」
「なにが?」
「さあ、なにがでしょうね」
母親の言葉に。
首をひねったままの女の子。
その首が。
交差点で、逆にかくんと倒れます。
「うわ!? お花、邪魔!」
「ママが活けたの」
「そうだけどさ。……返事、来た?」
「うん。射的、輪投げ、亀すくい……? え!? 秘宝!?」
「うわっ!? どうしたのよ大声出して?」
「道久君から、なんだか魅力的な提案が届いたの!」
「……へえ?」
「事前チェックしとくの!」
急にそわそわとし始めた女の子を見て。
嬉しくなった母親は。
ハンドルを握る手も。
どこかウキウキ楽しそう。
「そうしなさいそうしなさい。でもほっちゃん。あらかじめ知ってたって言っちゃダメよ?」
「なんだっけ、いい女のテクニック、その三十五?」
「そう。男子が頑張って作ったデートプランには?」
「ネットで調べて知ってても、他の人と一緒に来たことあっても、やだー、びっくりー、たのしー、こんなとこ初めてーって言う」
「よくできました」
……なにやら。
男性が聞いたら頭を抱えそうなことを話しながら。
車はいよいよ山道へ。
いつもなら。
普段の会話なら。
気になる単語を聞いたところで。
空想くらいでとどめるところ。
でも、タイミング悪く。
女の子が腰かけるのは。
車の助手席という暇な空間。
そう、タイミング。
タイミングが悪かっただけなのです。
だから女の子は。
男の子が送って来てくれた。
温泉名物とやらを携帯で調べて。
……十八歳以上だから。
素直に、『はい』のボタンをタップすると……。
「ふんぎゃあああああああ!!!」
「うるさっ! なんなのよあんたは!」
……あわれ、女の子は。
タオルケットに頭をうずめることになったのでした。
そう。
タイミングが悪かっただけ。
それだけの事なのです。
~♨~♨~♨~
「は?」
「どうしたんさね?」
何があったのでしょう。
俺の携帯に。
穂咲のアカウントから。
『グループから退会しました』
というメッセージが届いたのでした。
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