セントポーリアのせい


 ~ 十二月二十日(金) 五千キロ ~


 セントポーリアの花言葉 小さな心



 静かな広い空間に。

 聞こえてくるのは。

 オルゴールのメロディーだけ。


 優しくて。

 のんびりとした曲調が。

 なんとなく眠気を誘います。


 でも、もちろん。

 オルゴールが手元にあるはずはないので。


「……珍しく、調子っぱずれにならずに歌えていますね」

「鼻歌の話?」

「はい。オルゴールのメロディーですよね」

「全然違うの。道久君、変な耳してるの。これはヘヴィメタルっていうの」


 …………うそですよね?


 そんなに優しくて。

 のんびりとしたメロディーだと。


 ヘッドバンキングをしても。

 眠たくて舟を漕いでる人に見えちゃいます。


 この、音痴な人に希望を与える音楽の神は、藍川あいかわ穂咲ほさき

 軽い色に染めたゆるふわロング髪を……、ああ、それで逆立てていたのですか。


 迷惑千万で。

 電車の中でもずっと首を傾げたままでいることになった髪に。

 沢山のセントポーリアを活けている穂咲さん。


 ここでも小首をかしげて。

 巨大な髪のタワーをゆっさゆっささせて。

 俺に問いかけてきます。


「ねえ、道久君。ヘヴィメタルって、ロック?」

「違うからヘヴィメタルと呼ぶのではないでしょうかね」

「あ、そうか。なんだか複雑で意味が分からないの」

「君の頭ほどじゃありません」

「……どっちの話?」

「無論、『複雑』の方です」


 ウソですけど。


「じゃあ、今のメロディーに歌詞をつけるといいの」

「またそれですか」


 先日、千草さんが話していましたが。

 この曲に歌詞をつけた方がいらっしゃるとのことで。


 まさか。

 ヘヴィメタル風の歌詞ではないでしょうね?


「それより、新曲より前に、ラブソングはできたの?」

「なんで二曲作ることになりました?」

「はやいとこ作るの」

「では、偶然同じメロディーですし。一番の歌詞はラブソングで、二番の歌詞はヘヴィメタルにしましょう」

「なんだか分かんないけど、童謡っぽくするの」

「ちきしょう。たまにボケてみたところで、君の足元にも及ばないことがよく分かりました」


 まさか三番まで作るはめになるとは。

 とんだ藪蛇なのです。


 俺のボケに。

 さらなるボケをかぶせて来た穂咲さん。


 でもこいつはもちろん。

 ボケていた自覚がないわけで。


 俺が悔しがる意味も分からずに。

 眉根を寄せたあと。


 急に視線を外して遠くを見つめると。


「……決めたの。専門学校、行かない」


 まるで、夕飯の献立でも決めたかのように。

 気軽な口調で。

 とんでもないことをつぶやいたのでした。


「えええ!? どうして?」

「だって、調理士の試験用の本、もう何冊も覚えちゃったし。学校を卒業して料理の仕事をしてる人に聞いた方が、ずっとためになると思って」

「はあ。何となく間違ってはいないような気もしますけど」

「もし、最初の学校に受かってたら。通ってから、なんか違うって気が付いて、惰性で通うことになってたかも」


 言いたい事は分かりますし。

 それなり、筋は通っているような気がします。


 でも、肯定もしづらい。

 いきなり、なんて難問をぶち込んできましたか。


「……今からでも間に合う学校、あるにはあるのですが」

「なんかね? ここなら行きたいとか、ここは微妙とか。いろいろ考えてるうちに気付いたから。あたし、一人で学校に行くのがいやなんだって」

「お友達ならできると思いますよ?」


 そうじゃないのと。

 小さな声でつぶやいて。

 むすっと膨れた穂咲ですが。


 そのうちオーバーなアクションで。

 両肩を落として。

 俺の頬をぐりぐり突くのです。


「いたいいたい」

「……あのね? 調べてみたら、仕事でお料理した経験が、決まった日数越えると試験受けれるの」

「調理師の?」

「調理師の」

「そんなことしなくても、学校卒業したら資格とれるのに?」

「それこそおかしな話なの。もう、試験の問題ならまるきり全部答えられるの」


 ああ、ほんとだ。


「じゃあ、二年勉強するよりも……」

「二年、実戦経験を積みながら、経営の仕方教わりながら、開業資金貯めた方が断然ましなの」


 ……いきなり子供みたいなことを言い出したのかと思えば。


 こいつはしっかり。

 考えたうえで決めたようで。


「でしたら、文句はありません。穂咲のやりたいようにやりなさい」


 俺が、笑顔で背を押すエールを送ると。

 こいつは嬉しそうに頷いたのでした。


 ……そうか。

 お仕事をしながら勉強して。

 調理師の試験は直接受験して。


 その方が、穂咲らしい。



 ただ。

 その場合。



 試験以前に。

 大きな難関が待っているのではありませんか?



「君を雇ってくれる店、あるかな?」

「……そこはかとなく失礼に感じるけど、ものすごく共感できるの」


 良かった。

 ギリ、自分の事を理解してくれていた。


「いいの。卒業までに、頑張って探すから」


 そして再び、正面を見つめて。

 きゅっと口を引き絞った穂咲なのでした。



 ――就職するのか。

 フリーターになる気なのか。


 まるで分かりませんが。


 一歩進んで。

 一歩後退。


 さすがにちょっぴり。

 心配ですけど。


 でも、穂咲が自分で決めた道。

 沢山悩んで、選んだ道です。


 ゆっくりと。

 カメのような歩みでも。


 いつかはウサギに追いつくものと。

 俺は信じることにいたしましょう。


 だから、頑張って。

 職場を探してくださいな。


「頑張って探すの。…………道久君が」

「自分で探せ!!!」


 ええい!

 なんて油断のならない子!


「だって、パパが言ってたの」

「はあ!? なんて?」

「ママに叱られそうなことをした時は、道久君に頼りなさいって」


 それは確かに言っていたような。

 記憶がないでもないですが。


「さすがにその教えを守ろうとしなさんな!」

「言ってたの!」

「君の頭、都合のいいことは覚えているのですね。そうじゃないことはなんでもかんでも忘れるくせに」

「全部覚えてるの! …………あ」

「なに?」

「忘れてたの」

「全部ひっくり返しなさんな! ……で? 何を?」

「指輪!」


 …………ああ、そう言えば。

 俺も忘れてました。


「ないの! 見つけるの!」

「今までほいほいなんでも見つかっていたのが奇跡なのですから。諦めるのです」

「いやなの! あれ、結婚する時に使う奴って決めてたの!」

「けっ……! な、なに言っているのです!?」

「うるさいの! 決めてるの!」

「ええい、お黙りなさい!」

「…………いや。貴様らは黙らなくていい」


 おや、珍しい。

 先生からこんなセリフを聞くことができるなんて。


 いつもは心の狭い先生が。

 大きな気持ちで接してくれるのです。


 でも。


「そう言われると、黙りたくなってしまうのはなぜでしょう?」

「安心するの、道久君。授業中じゃないから立たされることは無いの」

「…………既に、立ちっぱなしですけどね」


 だって、今。


 終業式の真っ最中ですし。


「貴様らは、理事長の素晴らしいお話もまるで聞かずに……っ!」

「怒らないで欲しいの。大きな心で許して欲しいの」

「貴様……!」

「そこで、なぜ俺をにらみます? あと、さっき黙らなくていいと言ったのはどのような意味なのです?」


 ああ、なるほど。

 聞くだけ野暮でしたね。


 了解了解。

 それくらい理解できるのです。


 だから心の大きな俺は。

 文句ひとつ言わず。


 穂咲の手を引いて。

 先生が指差す先。


 校庭のど真ん中へ向かいました。



「……ここ、さみいの」

「そうですよね。噴火しそうなほど真っ赤な顔をした先生こそここに立つべきですよね」



 そんな軽口をたたいた二時間前の俺を。

 𠮟りつけてやりたい。


 ホームルームが終わるなり。

 俺たちの前に立った先生から。


 噴火しそうなほど真っ赤な顔が冷めるまで。

 みっちりとお小言を聞かされた俺たちなのでした。


「……こんなに怒って。心の狭い大人なの」

「およしなさい。もう一時間延長されてしまいます」

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