アザレアのせい


 ~ 十二月十三日(金) 八千キロ ~


 アザレアの花言葉 

      あなたに愛される幸せ



「ベティーは愛する猫を捨ててまでジャックを取ったの。でも、ジャックは愛される幸せよりキャサリンを愛する幸せを取ったの」


 本日も受験対策講座。

 難しい授業にまったくついていけない中。


 黒板に書かれた英文を実にスラスラと。

 和訳するこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を三つ編みにして。

 耳の横にアザレアを一輪だけ活けているのですが。


 そんな文学少女風な容姿通りの。

 素晴らしい解答を聞いて。

 先生は一つ頷きながら確認を取ります。


「……藍川。意訳ではなく冒頭から直訳してみろ」

「ミケは」

「マイクだ。そのまま立っとれ。……渡」

「マイクはバターを拭くためにジャケットを脱いだ。キャサリンから貰った情報によると、水よりもむしろお湯で洗う方がいいらしい」


 バターとジャケットのせいで。

 呼ばれてもいないベティーとジャックが。

 昼ドラを始めてしまうなんて。


 君の頭は。

 一体、どんな妄想で満たされているのですか?


「ここには受験に頻出の構文が三つほど含まれている。in order to、according to、rather than。目立った熟語に気を奪われると意外な落とし穴に落ちるから気をつけろ」

「そうなの。引っ掛け問題だったの」


 偉そうに言った君の答えは。

 箸にも棒にもひっかかってないですけどね。



 ……昨日、おばあちゃんに。

 クリスマスプレゼントを世界中から購入するというフランスのお友達のことを聞いたのがきっかけで。


 食事の後、二人で。

 フランス語入門なるウェブサイトを見て盛り上がっていたのですが。


 その時、怪しいなとは思っていたのですけど。

 案の定、フランス語を覚えるために。

 英語が詰まっていた脳内フォルダーをまるっと削除してしまったようですね。


 いつもなら、笑いが起きるようなこの事態。

 でも、真剣な皆さんに遠慮して。

 誰もが一生懸命。

 笑いをこらえている様子。


 これ以上刺激を与えると爆発してしまうので。

 こいつには黙っていていただきましょう。


「……そう言えば、水曜日に行くの?」


 ちょっと。

 立ったまま無駄話しない。

 目立つ目立つ。


 俺は返事の代わりに。

 指でマル印を作ったのですが。


 しゃべったらまずいというアピールも。

 どうやら届かなかった模様です。


「また、会長の車で行くの?」


 ええい。

 お黙りなさい。


「……ねえ、教えるの」


 肩を揺すりなさんな。

 神尾さんが限界に近いのですから。

 腿をつねる音がここまで聞こえるほどですから。


 俺は天に祈りつつ。

 先ほどの質問に。

 ばつ印にした指で答えると。


 穂咲はそれを見て。

 さらに話を続けるのです。


「そうなの。あたしも行くつもりだったから残念なの」


 ……会長の車に乗りたかったのですか?

 なんてチャレンジャー。


 あれは逃げたくても逃げることができない。

 シートベルトのせいで命が危険に晒される唯一の車ですよ?


「葉月ちゃんが言ってたんだけど、あたしもやりたかったの。車の中で、会長のことをどれだけ好きか自慢し合うんでしょ?」


 合ってるけども。

 確かに合ってるけども。


 うまいことを言った葉月ちゃんが。

 どれほどの苦笑いを浮かべていたのか想像しながら。


 俺は穂咲を黙らせるべく。

 熟語と構文の説明をする先生の方を向きます。


「では、何か質問はあるか? …………今、手をあげている奴以外で」


 そうは申しましても。

 皆さんの両手は。

 口を押さえることで精いっぱい。


 インパクトありましたもんね。

 ミケ。


 こいつ以外だれも。

 手をあげることなどできないので。


 先生は仕方なく。

 びしっと手を上げる人をにらみながら言いました。


「…………下らん質問だったら、即刻却下するからな」

「下らなくないの。真面目なやつなの」

「では言ってみろ」


 これでもかと言う程の渋面で。

 先生が穂咲の発言を許可すると。


 こいつは予想通りのことを言い出しました。


「続きを書くの。ジャックがどっちとくっ付くか興味津々なの」

「…………秋山。お前がこいつに一から英語を教えておけ。廊下で」

「無理です。今のこいつならTAKE IT EASYを糸車と訳します」

「あれは竹など使ってないだろう」

「訳します」

「つべこべ言わずに教えておけ」


 どれだけ頑張ってみても。

 頑として譲らない先生。

 しょうがないですね。


「では、俺が教えますので……」

「どっちを取ったの?」


 穂咲の腕を引いてみたものの。

 こいつは廊下について来ようとせず。


 どうあっても。

 昼ドラの結末を知りたいようなのです。


「愛される幸せと愛する幸せ、どっちを取ったの?」

「真面目に聞きたい方の邪魔。好きな食べ物買ってあげますから来るのです」

「ねえ、どっち?」

「いいから君は、何を食べたいかだけ考えてついてきなさい」

「そんな卑しいことは考えないの。それより、愛について知りたいの」


 ぶつぶつ文句を言いながらも。

 ようやくついて来た穂咲さん。


 それでも歩みは遅く。

 いつまでたっても廊下へ着きません。


「ええい、早く歩かないと食べたいもの無くなっちゃいますよ?」

「あたしはそんないやしんぼじゃないからスイーツの事なんか考えてないの」

「食べたいもの、言っちゃってるじゃないですか。スイーツですね、了解です」

「そんなバカな」


 慌てて口を塞いだって手遅れです。


「君の場合、愛より食い気を取ることなんて分かり切っているのです」

「だから、考えてないの。あたしは愛についてだけ考える文学少女なの」

「どの口が言いますか。で? 何を食べたいのです?」

「そんな事には答えないの。どっちを取ったの? 愛される幸せよりアイスを取ったの?」

「食べたいもの、言っちゃってるじゃないですか」

「そんなバニラ」


 ……今のは致命的。


 さすがにこらえきれず何人かが噴き出すと。

 一斉にクラス中が笑いに包まれます。


 ああもう、こんなことで。

 明後日の試験。

 大丈夫ですか?


「不安しかないのです」

「チョコっとも心配ないの」

「ダブル? 食べたいもの駄々洩れにもほどがあります」

「そんなバナナ」


 ……トリプルでした。

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