キンモクセイのせい


 ~ 十一月二十五日(月)

      三百メートル ~


 キンモクセイの花言葉 初恋



 小さな子供の小さな遊び。

 でも、遊びは大人になったって。

 楽しくて、幸せなものなのです。


 学校帰りの寄り道は。

 ブランコ揺らして棒取り遊び。


 相手から、足元に木の枝を投げられて。

 手で拾えたら合格で。

 足がついたら負けなのです。


 ちょっと例えるのは恥ずかしいですが。

 まるで、愛の告白のよう。


 適当にでも、慎重にでも。

 棒を投げなければ相手に届かなくて。


 その棒が、届きにくければ届きにくいほど。

 必死に手を伸ばして取ろうとしてくれて。


 でも、本当に届かない所に投げてしまうと。

 諦められるか、あるいは見向きもされない。


 そんなものに例えると。

 余計なことを考えて。

 せっかくの遊びがだいなしで。


 だから今は。

 子供のように、ただ楽しもう。


 小さな子供の小さな遊び。

 でも、遊びは大人になったって。


 楽しくて、幸せで。


 そして、もう一つ。




 ……顔が痛いのです。




 何度説明しても。

 俺の足元に木の枝を置かず。


 枝を放り投げて。

 都度、見事に顔に当てるこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 朝からずっと。

 随分と不機嫌な事。


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を頭のてっぺんでお団子にして。


 そこにキンモクセイの枝を一本挿していますが。


 秋の風物詩と言える香りを楽しむために。

 どこへ行っても穂咲を囲むおばちゃんたち。


 今日は一日。

 ちょっとした、町のアイドルでした。



「むう、もうちっとで届くのに……」

「ふっふっふ。届くわけないのです」


 ぎいこぎいこ。

 揺れるブランコの上から一生懸命腕を伸ばしても。

 ギリギリ届かないブランコの真下。


 本当なら。

 こころもち前の方に置くのがセオリーですが。


 先週末。

 先輩と後輩。

 美女姉妹と一緒に出掛けて以来。


 どうにも不機嫌な穂咲の手が。

 ぎりぎり届くところに置いて。


 棒取りならぬ。

 ご機嫌取りに必死なのです。


「なんだかこれ、見つかりそうで見つからない指輪みたいなの」

「まだ見つからないのですか?」

「そりゃそうなの。道久君、まるでやる気ないんだもん」

「今ので、ちょっぴりだけあったやる気が根こそぎ失われました」


 なに様なのですか。

 ずっとご機嫌を取っているというのに。


 ようし、次はもうちょっと取りにくいところへ置くことにしましょう。


 遠大で陰湿な反撃。

 そんなものを思い付いてみたものの。


 今の段階で。

 穂咲は未だに棒を取れない模様。


 なんだか、あっという間に。

 溜飲が下がったのでした。


「むう。あたしの手が、もう少し長かったら歴史が変わっていたのに……」

「どうしてクレオパトラ気取り?」

「地面に落ちた棒を拾えないのなら、髪に挿した枝を拾えばいいの」

「マリーアントワネット?」


 やれやれ、さっきはなに様なのかと訊ねましたけど。

 女王様か王妃様。

 まさかそこまでの大物だったとは。


 でも、そんなビッグネームさんが。

 指輪ひとつで騒ぎなさんな。


 しかもお手づから探そうとするなんて……、ん?


 探す?


「そうだ! オルゴール!」

「ひゃうっ!? もう! 急に大声出すからまた取れなかったの! 罰として、もうちっと右の方に寄せるの!」

「そんな事より、俺の部屋にあったはずのオルゴールがどこにもないのです。君の部屋に探しに行ってもいいですか?」


 そうお願いしても。

 膨れた穂咲は俺をにらむまま。


 しょうがない。


 俺はブランコに足をからめて右腕で左の鎖を掴んで。

 地面を這うように体全体を伸ばして穂咲の足元の枝を拾って。

 ちょっぴり取りやすいところへずらしてあげました。


「ようし、今度こそ……、取れたの!」

「はい、よかったのです。それで、部屋に行ってもいいですか?」


 嬉しそうに枝を掲げていた穂咲は。

 俺のお願いを聞くと。

 またもや眉根をよせるのです。


「レディーの部屋を訪ねたかったら、もちっと色っぽいこと言うの」

「ええい、今日は随分面倒ですね」

「色っぽくないの」

「色っぽくする気はありません。がさ入れなのです」

「……まさか、道久君がサツの回し者だったなんて」


 色っぽく無くても。

 機嫌が悪くても。


 こういう話にすれば。

 君は食いつくでしょう。


 ちょろ子さんなのです。


「国家権力の犬如きに、あたしが尻尾を掴まれるはずないわなの」

「ふっふっふ。そう言っていられるのも今の内なのです」

「ちょこざいななの。見つけられるもんなら見つけてみるがいいの。……でも、ちょっと散らかってるからお掃除の後ね?」

「急にしおらしい女子ですか。了解しました、金曜辺りにうかがいまいてっ!」


 そして思い出したように木の枝を顔に投げつけてきましたけど。

 しおらしいと褒めるなりこのざまなのです。


「酷いのです。もう勘弁ならんのです」

「犬っころごときに怯むあたしじゃないの」

「見ていなさい。ピンポイントで取りにくいところに……」


 枝を掴んで身を乗り出して。

 ブランコの真下から。

 ずっと前の方を狙います。


 ここは、勢いをつけて漕いでおいて。

 後ろに思い切り倒れないと取れない場所。


 俺の鼻に何度も枝をぶつけた報いを受けるがいいのです。


「むう……。こ、これは手ごわいの」


 そう言いながら。

 穂咲は前方向から手を伸ばしていますけど。


 届くはずないでしょうよ。



「スカートが邪魔なの。めくりたいの」

「おやめなさいよ」


 なんとか説得して。

 取り方の説明をしてあげるとご納得いただけた模様。


 クマとの三度目の遭遇は。

 無事に回避できました。


 しかし、スカートをめくりたいとか。

 こいつは何を考えているのやら。


 遊んでいて、夢中になって。

 気付けばパンツ丸見えで走り回ることはよくありますけど。


 自分でめくるとなると。

 ちょっと意味が違う。



 ……我ながら。

 ちょっと……。



「色っぽいこと考えてた?」

「か、考えてません!」


 これは色っぽいことではなく。

 …………な事ですし。


 そういえば。

 それまで、家族としての愛情ばかりだったのに。


 この公園で初めて。

 君を異性として意識し始めたのでしたっけ。



 初恋。



 そうなるのでしょうかね。



「色っぽいこと考えてた?」

「ですから。考えてませんって」


 俺がレクチャーした通り。

 後ろへ体を伸ばしても。


 空振りばかりの穂咲さん。

 どうして君はこういう時だけ。

 鋭いのですかね。


 でも、色っぽいことは考えてないです。

 君を初めて女の子と認識した理由。


 鉄棒で見えた。

 パンダだったのです。


 …………な事なのです。


「色っぽいこと考えてた?」


 ええい。

 鋭いやつめ。


 何とか誤魔化さねばなりません。


「では、金曜日にお邪魔しますから」

「日曜じゃダメ?」

「きみ、試験でしょうに」


 ああそうだったって顔になるまで。

 ブランコ、何往復させてるのさ。


「忘れてたの。道久君は、その次の週?」

「そうですが、本命はもっと後。そこは前哨戦なのです」

「ふーん。……あ! 取れたの!」

「良かったのです。では、そろそろ帰るとしまいてっ!?」


 ほんとにコントロールいいですね!

 ああそうかいなのです!


 それでは棒取り最大の難関。

 陣地の左前方を狙うのです!


「そう言えば、探してた曲、オルゴールのだったの?」

「ちょっと黙っててください。あそこは慎重に投げないと、線を越えてしまいますので」

「その曲で、作曲して欲しいの」

「ですから静かに……、ん?」


 なにか今。

 変なことを言いませんでした?


「作曲して欲しいの」

「まさか聞き違いじゃないとは思いませんでした」

「作曲するの」

「もう、曲はあるでしょうに」

「せっかく曲があるんだから、作曲するの」


 しまった。

 こいつが何を言っているのか分かりません。


 数十秒。

 ブランコと頭が。


 どこにも行き先が分からないまま。

 ゆらゆら揺れて。


「あ。……まさか、作詞と言いたいのですか?」

「さくし? よく分かんないけど、歌なんだから歌詞がいるの」

「その作業をなんという?」

「作曲」

「作る、詞を。その作業をなんという?」

「だから作きょ……、あ」


 こら。

 鳴りもしない口笛吹いて誤魔化さない。


 俺は、手にした棒で穂咲の頭を軽く叩こうとしたのですが。


「危険察知なの」

「おっとっと」


 棒は空を切って。

 前に漕ぎ出す穂咲のスカートに引っかかり。


「ひょえええええ!」


 ……結果、猛獣との。

 三度目の遭遇と相成りました。


 そして穂咲は裾を押さえて。

 慌ててブランコから飛び降りて。


 たたらを踏んだあと。

 顔から転んで。



 …………四度目のがおお。



「びええええ! 痛いの!」

「すいません、今のはさすがに謝ります。あと、隠せ」

「むっつり変態なの! また久君なの!」

「ごめんなさ……? また久ってなんです?」

「変態の変の字なの」


 うぐっ。


 一年前くらいに。

 どこかで聞いた気がしますが。


 まさか今になって言われることになろうとは。


「亦久君は、語尾を『タイ』にするの!」

「九州の方に謝れ」

「うるさいの! エロ久君は、道クサ君してちゃいけないの!」

「それじゃ、俺が臭いみたいなのです」


 朝から斜め下方向。

 そんな穂咲のご機嫌は。


 とうとう。

 真下を向いてしまったのでした。



「ダメ久君は、罰として指輪を探すの!」

「はあ。了解なのです」

「それとバカ久君は、そこに立ってるの!」



 こうして俺は、近所の中学生に。

 『立ちこぎ高校生』と言う名でネットに動画をアップされ。


 それなりの再生数を稼ぐことになったのでした。


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