第36話 潜入計画

 翌朝、眠れなかったと言うゆかりちゃんは、真っ赤な目をして仕事に行く私を見送ってくれた。


 今日も河川敷に行って、あの二人ともに会えたらいいな、そう思いながら、一日を過ごした。


 昼休みにユウさんから、ゆかりちゃんの記憶を戻す方法を考えているが、今のまま私の家に泊まらせている状況は良くないと言われた。

 最初に私の家に泊めるって言ったのはユウさんなのにね?


 と言うか、この状況が続くなら、ゆかりちゃんは生きていく事すら難しい。

 家も無いし、学校にも行けない。仕事に就く事も出来ないだろう。

 何にせよ、家には帰してあげたい。


 一つだけ案があるから、早めにゆかりちゃんの前向きな返事を引き出すようにと言われたけど、こればっかりは彼女次第なんだよね。


 仕事を早めに終わらせ家に帰ると、ゆかりちゃんは眠っていた。

 昨日は眠れなかったみたいだし、しょうがないよね。その寝顔には、乾いた涙の跡があった。


 寝かしといてやるかと思っていると、物音で起きてしまった。


「あ、楓さん、おかえりなさい」


「ごめんね。起こしちゃったね」


「いえ、すみません…」


 小さくなって謝るゆかりちゃん。まだ残っている涙の跡を見ていると居た堪れない気持ちになって、抱きしめてしまった。


「いいの、いいんだよ」


「忘れた事…悪い記憶だったとしても、思い出します。このままじゃいやだ…お母さんのいる家に帰りたい。ケイタやマチとも、元通りに戻りたい」


 どんな記憶なんだろう。無意識と言うか、嫌な記憶を箱に閉じ込め蓋をして、更に鍵を閉めている様な感じかな。そして、その箱には恐ろしい物が入っている事を知っていて、鍵を開けようとしてる。

 とても勇気のいる事だろうね。


 私は頷いて、ユウさんにメッセージを送った。


 ユウさんはメッセージを返すより、家に来る方が早いと思ったのか、直ぐに家まで来てくれた。


「じゃあ早速だけど、ゆかりちゃんの記憶を取り戻すには、ここに居てもダメだと思う。切っ掛けの出来事があったのは自宅みたいだし、自宅に戻る必要がある」


「そうですね。でもユウさん、ゆかりちゃんのお母さんも忘れちゃってるし、こう言っちゃなんですけど、普通は知らない人を家には入れないですよね?」


 ゆかりちゃんは知らない人って所で辛そうな顔をするけど、事実関係を確認しないとしょうがない。

 ごめんね。


「そこでだ、親友のマチちゃんは、ゆかりちゃんの家に遊びに来た事あるだろ?」


「あ!はい。あります。お泊まりもしてました」


「良かった。だからさ、マチちゃんに協力してもらって、家に泊まりに行く感じにしたらどうかな?」


 なるほど。それで取り敢えずは家の中に入れる訳か。でも、一日泊まるくらいで、思い出せるんだろうか…


 ゆかりちゃんも恐らくそう思っているんだろう。

 微妙な顔をしている。


「ユウさん、一日でどうにかなるあてでもあるんですか?」


「ポーテで確認しただろ。記憶媒体には写るんだから、一緒に撮った写真なんかもあるだろ?それを母親に見せれば、何かの切っ掛けになるかもしれないし、家に帰ることでゆかりちゃんも思い出すかもしれないだろ」


「…はい。写真…撮ってたかな」


 ゆかりちゃんは辛そうに眉間に皺を寄せている。


 撮ってたかなって、どういう事?

 撮ってるでしょ?


「ゆかりちゃん、写真とか思い浮かばなかったの?」


「はい。なんか、完全に頭になかったですね」


 これは…絶対に何かあるよね。

 俯いているゆかりちゃんを余所に、私はユウさんと頷き合う。


「早くした方がいいな。マチちゃんが完全に忘れてしまう前に」


 早速、マチちゃんに連絡をとる事にした。

 幸いな事に私もユウさんも顔見知りだから、ゆかりちゃんの事を忘れそうになっている現在でも、話は通しやすい。


 取り敢えず、マチちゃんに連絡するのはゆかりちゃんに任せた。


 ふとユウさんに目を移すと、ユウさんはこめかみを片手でグリグリとしている。

 私がここ最近やっているような事を、ユウさんもやっている。


「頭痛いんですか?」


「ああ、少しな」


 ゆかりちゃんに近付けば近づく程影響を受けるのかもしれない。

 正直、それは感覚的なものだけど、間違いなくゆかりちゃんからの影響を感じている。


 力を持っている人が、他人の力を何度か目にすると、それが自分と同じ普通ではない力だと理解するのと同じだ。

 ユウさんも影響を受けていると思う。


 でも、最も近いところにいる私が一番影響を受けているからと言って、私の謎の行動は説明がつかないけどね。


 そんな事を考えていると、ゆかりちゃんがマチちゃんと連絡を終えていた。


「今からですけど、ちょっと出ても良いですか?」


「いいよ。早い方がいいからね」


 私達はゆかりちゃんの家近くにあるコンビニでマチちゃんと待ち合わせをした。


 時間は夕方より夜に近いけど、まだまだ明るい。

 コンビニに行くと、荷物を持ったマチちゃんが待っていた。


 ゆかりちゃんとマチちゃんは、ありがとうとか、大丈夫だよとか言いあっている。


「マチちゃん、いきなりごめんね」


「大丈夫です。泊まらせて貰えればいいんですよね?」


 お泊まりセットを持ってきてたんだ。

 今から泊めて貰いに行くとは思わなかったよ。

 でも、いきなり泊めてと言って泊めてくれるのかな。ゆかりちゃんとマチちゃんにそんな事を聞いてみた。


「大丈夫です。マチはお母さんと本当に仲が良くて、恋愛相談とかしてるくらいなんですよ?いきなり泊まりに来る事も何度かあったし」


 そういう事なら大丈夫かな?


「そうなんです。おばさんの恋愛相談を受けた事もありますよ。フフっ」


 え?それ大丈夫なの?

 私がギョッとしているのに気がついたゆかりちゃんは笑っている。


「家は片親なので、問題ないですよ?でも、それは知らなかったかも…」


「まぁ、娘に恋愛相談なんてしにくいからだよ」


「よし。じゃあ楓、二人を送って無事に家に入ったのを確認したら、帰るぞ」


「あ、あの…楓さんも一緒に泊まって貰えませんか?」


 え?何も準備してないよ?


 でもゆかりちゃんは不安なんだろう。

 もしかしたら明日の朝にはマチちゃんが忘れているかもしれないもんね。


「分かったよ。でも一回帰って準備してからでもいい?」


「はい。ありがとうございます」


 先ずはゆかりちゃんの家に入れてもらわないとね。

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