第32話 ゆかりバニッシュ
私がゆかりちゃんのところに駆け付けると、今度は泣くことを隠す様子もなく、抱きついてきて号泣した。
驚いたけど、ゆかりちゃんの肩が震えてただ泣き続ける様子に、彼女の身体を抱きしめ背中をポンポンと叩いてあげた。
暫くして落ち着いてきたゆかりちゃんは、それでも大丈夫だと言える顔をしておらず、目は虚ろで、今にも死んでしまいそうな気がした。
そんな彼女を放っておく訳にもいかず、取り敢えず家に連れて帰る事にした。
「どうぞ」
私の部屋のソファに座らせ、ローテブルの上に紅茶を置いた。
困惑気味でゆかりちゃんの対面に座っているユウさんにはコーヒーを出して、私の分もユウさんと同じコーヒーを入れて、ゆかりちゃんの隣に座る。
「あの…ごめんなさい。ご迷惑をかけて…」
そう言うや否や、ポロリと涙が零れ落ちる。
もぅハンカチじゃ間に合わないね。タオルを渡しておくことにする。
「気にしないで。こんなボロアパートでごめんね」
「おいコラ。ボロアパート言うんじゃねえ。文句があるなら引っ越せ」
ボロアパートなのは間違いないのだ。でも引っ越す気はない。
私はユウさんにニッコリと笑いかけて、顔を横に振った。ユウさんは嫌そうな顔をする。
ゆかりちゃんは恐縮しながら紅茶を一口飲み、言った。
「すぐに出ていきますので…」
真っ青な顔をしながらそんな事を言われても、心配でしょうがないよ。
「取り敢えず、事情を説明してみないか?あの家はゆかりちゃんの家じゃないのか?」
そうだよね。先ずはお話を聞かないとどうしてあげることも出来ないからね。
「はい…でも私も何が何だか…あの家は確かに私の家で、あの人はお母さんです」
「どういう事なの?お母さんと、その…仲が良好じゃないって事?」
「いえ、そうじゃないんですけど」
自分でも分からない事なのだろう。淡々と、自分の頭を整理するように話し始めた。
ゆかりちゃんは数ヶ月前から記憶がおかしくなっているそうだ。
ある時、気がついたらお母さんが泣き崩れていて、その時以前の記憶が飛び飛びになっている。
それ以降の記憶には問題がないけど、何故かゆかりちゃんの存在が忘れられていく。関係が浅いほど自分の事を覚えて貰えなくなり、一度顔を合わせた位の人は、次に会う時には完全に忘れられるそうだ。
初めは大して気にしていなかったらしいが、それがゆっくりとクラスメイト達まで広がり、友達にも広がっていった。そして遂に母親にまで。
「ん〜、自分だけの記憶がおかしいのは何かあったかもって病院にいけば対策がとれそうだけどな…それは難しいな」
「初めは虐められてるのかと思ったんです。でもクラスメイトだけじゃなくて、お母さんも、少しづつ忘れていくんです。朝起きて顔を合わせて始めて私がいる事に気づいて…朝ご飯も準備して貰えなかったり。そのうち私だって分かってるのに名前が分からなくなってきたみたいで。今日、全て忘れてしまったみたいです」
大変な事が起きてるよね。
これも多分不思議な力と関係してそうだと、勘だけど思った。ユウさんもそう思ったんだろう。此方を仕切りにチラチラと見ている。
私が知らないフリしてるから言うに言えないんだと思う。
「しょうがない。ユウさん、私ユウさんの力とか知ってますよ?」
「…え?何で?信じられないだろそんな力」
私はユウさんの隣に移動して、耳元でささやいた。
「私も同じですから。ユウさんがそうしてるように、黙っててくださいね?」
ニコリと笑いながら言うと、ユウさんは顔を引き攣らせて頷いた。
これで、秘密を共有する仲になった!
でもここでおかしな事に気がついた。
初めて会った人は次に会った時忘れてるなら、私やユウさんはどうして覚えてられるのかって事だ。
「なぁゆかりちゃん、明日と明後日少し俺達に付き合ってくれないかな?その間楓が泊めてくれるから」
ちょっと!何を勝手な事を言ってくれるんでしょうか!
「ユウさん、いきなり何を言い出すんですか?」
そう言うと、ゆかりちゃんは慌てだした。
「いや、そんなにご迷惑かけられませんから!」
まぁねぇ。親しい人でもないのに気を使うよね。
「でも家に帰れないだろ?楓がダメなら…俺の家に…」
「ゆかりちゃん!遠慮しないで泊まっていってよ!いえ、寧ろ泊まりなさい!私の家に!」
ダメに決まってるじゃない!ユウさんの家にこんな可愛い女子高生を泊めるなんて!
「いや、別に何もしないぞ俺は…」
苦笑いするユウさんだけど、分からないじゃない?心が弱ってる女の子の前にこんな素敵な人を置いておくなんて私は出来ない。ダメだよ。寄りかかるなら私にしときなさい!
私の剣幕に押し切られる形でゆかりちゃんはコクコクと頷いた。
また明日と言って出ていくユウさんを見送って、家に帰っていないゆかりちゃんにご飯を食べさせる。
何も準備してないからカップラーメンだけどね?
それからお風呂に入れている間に、パジャマを引っ張り出す。下着は…我慢してもらおう。明日にでも買い物に行くか。
ご飯とお風呂で落ち着いたのか、ゆかりちゃんはすぐに眠った。
私のベッドは、ユウさんと一緒に眠れる程に大きいから、問題なく二人で眠れるのだ。
翌日の午前中に買い物に行くことにした。凄く遠慮してたけど、解決したらお母さんに返してもらうからと言うと、とても嬉しそうにした。
希望を持つことは大事だからね…
正直治るのかどうかは全く分からない。
それから河川敷に行きたいとゆかりちゃんが言うので、一緒に向かった。
昼前になると先日会ったケイタ君とマチちゃんがやってきて、話をしていた。彼らはゆかりちゃんを覚えているようだけど、来てすぐに名前を呼べなくて、顔を歪めていた。そんな二人を諦めたような微笑みで見つめるゆかりちゃんが印象的だった。
ゆかりちゃんは恐縮しているけど、ここで会うのは彼らからの約束らしい。彼らも周りがゆかりちゃんを忘れていく事をおかしいと思い、自分達は忘れないと、ここで毎日会う約束をしたそうだ。因みに、本当はもう一人いたけど、その人は忘れてしまったようだ。彼らは誤魔化していたけど、私でも気付いたからね。
何故ここで会うのかと言うと、ゆかりちゃんは学校を休んでいるから。休んでも学校から連絡はないし、行っても教師から誰だという顔で見られるらしい。それでも制服を着て会うのは、同じ格好の方が忘れられないかもしれないというゆかりちゃんの考えからだ。最近まで冬服を着ていたらしい。
ゆかりちゃんは記憶が飛び飛びになっている事で、自分が覚えていない人がいるかもしれないという事と、自分が知っていて、相手が自分を忘れかけているかもしれない可能性を考え、自分に目を止めてくれる人に対して「お久しぶりです」と挨拶を交わす。流石に彼らには普通に挨拶していたけれど、今日名前が中々出てこなかった事を考えると、そう挨拶を交わす日も近いかもしれない。
余りにも悲しい挨拶だよね。
「だから、楓さんとユウさんが私を覚えててくれる事が嬉しくって!」
だろうね。そして、不思議だっただろうね。
私も不思議だよ。
………ん?今この子、ユウさんって言った?
「ユウさんって呼ぶようになったね?」
「あ、楓さんがユウさんのお話いっぱいしてくれるから、移っちゃいました。」
そうかぁ…そんなに話したんだ私。
まぁいいか。
私達は家に戻ってユウさんを待つことにした。
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