第12話 カスとお人好し

 アウトドアショップを出てから、ゲンは一言も話さずにいた。

 あの場にいた沢村って奴が原因なのは間違いないが、なんでそんな表情をしてるんだ。


「ユウさん、なんか悪かったな。説明も中途半端になってしまって」


 何を謝ってるのか知らないが、自分の方が気分悪いだろうに、こっちを気遣ってんじゃねーよ。

 俺は一つ息を吐いた。


「ゲン、飲みに行くぞ」


「え?…あ、あぁ」


 居酒屋『ポーテ』に行く事にした。


 平日ということもあり、客は二組しかいなかった。


「ジンさん、おつかれ!客連れてきたぞ」


「おう、この前連れて来た奴か?」


「ジンさん、客に向かって奴はないだろ」


「だな。いらっしゃい、ユウが世話になってるな」


 ジンさんは呼びかけるが、ゲンは不細工な愛想笑いをするだけだった。


 飲み物を頼み、ツマミはジンさんに任せた。


 グラスを合わせて、飲み始め、早速事情を聞いてみる。


「なぁゲンよー、どうしたんだよ。あいつがどうかしたのか?」


「ははっ…やっぱりわかっちゃうよな。あいつは会社の後輩だ」


 ゲンの話はこうだ。

 一つ歳下の後輩で、最初から自分に対してあんな態度ではなかったそうだ。

 沢村は仕事が出来る方ではなかったが、人付き合いには長けていた。なので多少失敗しても周りに助けてもらいながら仕事をこなしていた。

 ゲンも初めて出来た後輩を可愛がっていた。仕事もフォローしたし、プライベートでも沢村が興味を持ったキャンプを教えてやった。


 しかし、沢村は女癖も悪かった。

 あまり大きな会社ではないゲンの会社の、八人いた女性社員のうち、四人に手を出していた。


 手を出されなかったのは、社長の娘、年配の女性二人、それと太った女性。


 ある時、沢村は事務的な失敗をした。それも致命的な。ゲンはそれを知って、何とかフォローをしてやろうと頑張ったが、どうにもならなかった。


 基本的に事務的な仕事をこなすのは女性社員だが、最後の決裁や、最初から最後まで自分の裁量で通した仕事は、事務をする女性社員を通り越して完了する。

 その時は、自分の裁量で行った仕事を間違えたまま完了してしまっていたが、沢村は手を出していた女性社員に頼み、太った女性社員の印鑑を盗ませ、決裁した書類に偽装させた。


 結果、失敗は太った女性社員に擦り付けられ、沢村は事なきを得た。


 太った女性社員は沢村とは逆に、人付き合いが苦手で、自分のせいではないとは言えず、会社で肩身が狭い思いをしていた。

 ゲンはいつの間にか沢村の失敗がなかったことになっていて、その太った女性社員のせいにされている事に愕然とした。

 沢村にその事を問いただし、本当の事を話すように説得したが、全く聞く耳を持たず、その時から態度がおかしくなったらしい。


 社長に報告をしようとしたが、太った女性社員に、自分は辞めるから大事にしないで欲しいと止められ、彼女が辞めるまで言えなかったという。


「カスじゃねーか」


「そうだ。それで先日、彼女が辞めた後だが、社長に報告した。当然あいつは首になった」


 手を出されていなかった残りの女性社員の三人は、その子と仲が良かったようで、ゲンはかなり責められたようだ。特に社長の娘は激怒し、沢村と手を出されていた女性社員のうち、不正に加担した一人を全社員がいる前で責め立てた。

 手を出されていた残りの三人は、それぞれ自分達以外にも沢村と関係を持っていた事に怒り、その場では壮絶な修羅場になったらしい。


 騒ぎになった女性社員四人と沢村は退職した。

 沢村はゲンに『友田、覚えてろよ』という言葉を残し、去って行った。


「お前は何も悪くないじゃないか。堂々としてろよ」


「いや、その女性社員の事もそうだが、沢村の態度も、俺が何とか出来たんじゃないかと思うとな。やりきれん」


 そんな話聞いた俺の方がやりきれんわ。

 何処までお人好しなんだこのバカは。


 話が一段落したのを見計らってか、ジンさんが鍋を持って来てくれた。


「はいよ、水炊きだ。ゲンっつーのか?また来てくれよ。今日はサービスだ」


 偶にジンさんはこんな事をしてくれる。


「あ、ありがとうございます」


 ゲンはお礼を言った。

 俺もご相伴に与る事にする。


「ユウ、お前は金払えよ?」


 ダメだった。


「ゲンが落ち込んでるじゃねーか。お前あれ見せてやれよ」


 あれ?あれとは、あれか?

 しゃあねえ。


「ジンさん。見せるのはいいが、この水炊き俺もタダにしてくれよ」


「いいぜ?今日はゲンにお得意様になってもらうために、俺もサービスしてやるよ。ゲン、お前しか持ってない物って今ないか?名刺とか、コインとか、カードとかでもいい」


 ゲンは怪訝な表情をしながらも、鞄を漁り出す。

 俺はその間に、店の奥にあるC型のカウンターの中に向かった。


 ゲンが鞄から取り出した物は、家の鍵だった。


「これでいいですか?何するんですか?」


 そう言いながらジンさんに鍵を渡した。


 ジンさんは右手の親指と人差し指でそれをつまみ上げると、ゲンの目の前にかざす。


 店内にいる二組の客が、C型のカウンターの前に集まり、騒ぎ出す。


「おお!今日は見れるのか?!」


「ジンさん!ユウちゃん!がんばってー!」


 俺はニヤリと笑い、ゲンに話しかけた。


「ゲン、自分の鍵をよく見てろよ?」


 何かを察したのだろう、先程の悲壮な顔から、少しワクワクしたような顔になり、ジンさんが持っている自分の鍵から目を離さず頷いた。


 ジンさんもニヤリと笑った。


「よし、ユウも準備出来たようだな。じゃあ行くぞ?イチ、ニイ、サン」


 ゲンは目を離さなかった。しかし、その目の前から鍵は消えていた。

 驚いたゲンは、ジンさんの指と顔を交互に見ている。


「か、鍵は?消えた…」


 カウンターから見ていた俺は、ゲンの間抜けな面を見て笑った。

 その鍵の行方は当然、俺も俺の前にいる客も分かっている。


 俺の前にいる客が驚きの声を上げた。


「おおっ!何回見てもわからん!」


「すげぇ!」


 こちらの騒ぎに気付いたゲンは、俺の方を見て、再び驚いた。


「鍵が…浮いてる」


 俺の頭の少し上に、ゲンの鍵は浮いている。

 それを見ながら、ゲンは席から立ち上がった。


「ゲン、そのまま手を出せ」


 呆然としながら、ゲンは手を前に差し出した。

 俺は鍵を目の前まで下ろすと、指先で弾く。

 鍵はゆっくりと回転しながら、ゲンの側まで飛んでいき、そのまま手のひらの上に乗った。


 うぉぉぉ!!


 ゲンを含めた店内の客全員が喝采を送ってくれる。

 俺とジンさんは一礼して、それに応えた。


 店内の興奮が覚めやらない中、俺はゲンの様子を確認する。


 うん。やっぱり飲むなら楽しく飲まねえとな。

 ジンは笑っていた。


 俺が席に戻ったタイミングで、店の扉が開いた。


「おつかれでーす!あ、ユウさん!」


 楓が現れた。

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